第二幕 彼女のほしいものーⅢ

「満足かい?」

 一心に手鏡を覗き込むマーガレットに、トータは感情の一欠片も込めずに訊いた。

 光も振動も消え去った地下室。ランタンの灯の元、真剣そのもので鏡像を凝視するマーガレットの目は、今までよりもくっきりとして、幾分か大きくなっている。

 そして確かに――あくまで一般的な感覚で言えば、だが――彼女は本来よりも少しだけ、美しくなっているように思えた。

 マーガレットからの返事は無かったが、小さな変化を遂げた自分の顔に見惚れているのだろう、と、トータは見当を付ける。

 美とは端的に言えば、「いかに均整がとれているか」だ。その「均整」の定義などあやふやで、時代や地域や個人の感覚によっていくらでも変化するものだが、当人が美しいと認識するのならば、それで必要十分だろう。

 ここはそういう店なのだから。

 トータは一人、得心顔で首肯する。やれやれ、とばかり、片手で己の肩を叩いて凝りをほぐすと、ランタンを持ち直してハナダに視線を送る。それだけで委細を承知したハナダは、帰りを促すためだろう、恭しくマーガレットに歩み寄った。

 だが、ハナダが控えめに掛けた何某かの声は、不意に上がった甲高い女の声によって完全に掻き消される。

「私、《今より少しだけ低い鼻が欲しい》わ!」

 トータの額に、豆鉄砲のようにコツンとぶつかる声。トータはランタンを掲げたまま硬直し、ハナダはまた、小さく首を傾げた。

 ゆっくりと五拍ほどを置いてから、トータは辛うじて、一文字だけを口にする。

「は?」

 上方向へと抑揚がついた短い音を発しながら、トータの頭の中は高速で稼動していた。まず状況を理解する。次にその原因を考察する。そしてその先を予想する。

 出てきた結論は、数分前と全く同じだった。

 ――今すぐ追い返したい。

「こうして見てみると、私の鼻は少し高すぎるわ。潰れているよりいいけど、もっと控えめになれば、ずっと見栄えが良くなるはずなのよ」

 右から左から、鏡に映る己の顔を熱心に観察しながら、マーガレットはしきりに指先で鼻をなぞっている。ようやく鏡をバッグに収めたかと思えば、わずかに大きくなった目でトータを見やった。厚ぼったい唇がにんまりと笑う。

「お金はちゃんと払うわよ。書くものを寄越しなさい。まさか、できないなんて言いやしないわよね。ここは、客の願いを叶える店なのだから」

 ずいと歩み寄ってトータを上から見下ろしながら、彼女は高慢に言い放つ。

 前髪の上から指先で額を掻き、トータは溜息も、固い表情も隠さない。

「もう一度だけ説明しよう。ここは、誰かと誰かの願いを交換する店だ。願いは必ず叶うけれど、それが本当に当人の願いどおりか否かは別問題。貴女は、その点を本当に理解しているのだろうね?」

 ふん、と鼻を鳴らし、マーガレットは両腰に手を当ててトータを睨み返した。

「分かっているに決まっているでしょう?」

 再度、長い溜息を一つ。トータは肩をすくめながらハナダに目配せし、素早く支払いの手続きを済ませた。

 トータは鍵を手に地下室の中を見渡す。先とは異なる、やや小ぶりな引き出しが呼んでいる。先と同じように鍵を差し入れる。同じように回す。

 くすんだ灰色の、靄のような光が漏れた。




 トータの予想は的中した。

 理想通りの「少しだけ低い鼻」を手に入れた後も、マーガレットの望みは無くならなかったのである。

 鼻の次は、眉だった。より薄く、細い眉を彼女は欲しがった。

 その願いが叶うと、今度は耳。形が気に入らないと彼女は吐き捨て、ふっくらとした福耳を手放した。

 唇が分厚い。前歯の形が悪い。首が太い。指が長すぎる。もっと豊満な胸にしたい。

 彼女が新たな願いを言い出すたびにトータは新たな引き出しを開け、地下室には新たな色の光が溢れ出す。そのたび、マーガレットの外見は少しずつ変わっていく。

 一つ一つの変化は微々たるものだったが、これだけの回数を重ねれば人相も変わる。彼女が肩幅を少しばかり広くしたときには、もう、マーガレットの見目は、最初に店を訪ねた時とは別人のようになっていた。

 ハナダの手の中には、束になった何枚ものサイン済み小切手。トータはついに、床にへたり込んで両足を投げ出した。

「それで、次のお望みは?」

 皮肉や嫌味を付け加える気力ももはや湧かず、平坦な口調で事務的に尋ねる。マーガレットは手鏡を正面に据え、厳しい眼差しを鏡の中の自分に向けている。

 そこで彼女はようやく、喜ばしげに声を弾ませた。

「上出来だわ!」

 頬に手をやり、顔を輝かせ、満足そうに大きく頷くマーガレットを見て、トータは目を瞬かせながら面を上げた。いそいそと立ち上がり、両手を広げながら余裕の表情を装う。

「それは何より。それでは、お帰りはあちらで」

「願いはあと一つだけよ」

 嬉々とした彼女の声が、すげない接客文句に被さって、トータはぴたりと動きを止める。こちらに向き直ったマーガレットは、にやりと笑って、うふふ、と笑い声を漏らした。

「これなら、どんな女にも見劣りしないし、どんな男も私を放っておかないわ。けれど、美しい外見には美しい品がふさわしいわよね」

 彼女は、またしても鏡を覗き込む。その中に映し出されたマーガレットの白く細い首元には、赤い小さな宝石が幾粒か並べられた首飾りが、控えめな光を放っていた。

「これも交換して頂戴。うんと大きな宝石がたくさん散りばめられた、女王様が持っているようなものに。私、《もっと豪華で素敵な首飾りが欲しい》のよ!」

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