第二幕 彼女のほしいものーⅡ

 地下一階半の暗い部屋の中に、昼と夜の区別は存在しない。

 ランタンの光に照らし出された引き出しだらけの壁面は、時刻にも季節にも影響されることなく、その姿を維持し続けている。ひやりとした床も、湿っぽい天井も、いつでも何者をも拒むことは無い。

 この時間が止まったような世界の中で、時々に変わるものがあるとすれば、トータに伴われて階段を下りてくる依頼人くらいのものだろう。ある者は迷子のように、おどおどと地下室を眺め回す。またある者は、恐々として顔を青くしている。

 そして今回の依頼人――マーガレット=ウィリアムズは、と言えば、これまでトータが対応してきたどの客よりも自信に溢れ、威風堂々として見えた。

「いや、違うな。単なる考え無しの怖いもの知らずだ」

 スカートの裾にばかり気を配りながら、口を尖らせて階段を下りる女の耳には届かないように、ぼそりとトータは呟くのだった。

 マーガレットが事務所の扉を勢いよく開け放ったのが、今からわずか五分前のこと。

 所長としての務めを果たすべく、不機嫌ながらも常と同じように概要を説明しようとしたトータだったが、この女、どうにもこうにも、碌に話を聞こうとしない。

 舌先三寸の魔術師であるトータにかかっても、発言を九割方無視されたのでは主導権を握ることは不可能だ。願いの交換の危険性を説くにしても、金額交渉をしようにも、「いいから願いを叶えろ」の一点張りでは、埒が明かないというものである。

 その上、彼女は言葉を発するたびに「坊や」や「おちびさん」と言った呼称を挟み込んでくるため、普段なら不敵ともとれるトータの表情も、今や子どものふくれ面と相違ないものになっていた。

 ――こんな胸糞の悪い客は早々にお引き取り願って、ハナダにもう一度紅茶を淹れてもらうことにしよう。今度こそ砂糖は抜きで。

 ポケットの中の鍵を指先でいじりながら、トータは心から強くそう思うのだった。

「それで、貴女のお望みは?」

 後続の二人が地下室の床に靴底を着けたと見るや、トータは早々に切り出した。

 マーガレットは興味津々といった様子で引き出しだらけの壁を見回していたが、トータの言葉を聞くなり、きらりと目を輝かせて顔を紅潮させた。両手を胸の前で握って、前のめりに、力強く告げる。

「《もっと大きな目が欲しい》、よ!」

 その言葉に、トータは思わずマーガレットの顔を凝視したまま硬直してしまった。彼女の後ろでは、ハナダがいかにも不可解そうな表情で、小さく首を傾げている。

「目? 眼球が欲しい、ということかな。目に異常があるようには見えないけれどね」

「つまらない冗談ね。もっと大きな、と言ったでしょう。まぁ、目と言うより、瞳と言うべきかもしれないけれど」

 マーガレットは鼻を鳴らしながら、呆れた様子で補足した。無論、トータには彼女の願いの意図が分かっている。ただ、嫌味の一つも言わずにはいられなかったのだ。

 大きな目が欲しい。つまり、「今より美しくなりたい」。彼女の願いは、端的に言えばそういうことだろう。

 実際のところ、マーガレットの容姿は世間一般的に見ても恵まれている部類である。茶色の目は切れ長で、「大きい」とは言い難いかもしれないが、魅力に欠けるということもないと思えた。

 だが、トータの経験上、この手の女性は満足というものを知らない。

 この先に待っているだろう展開が容易に想像できてしまい、トータはうんざりとして床に目を落とした。が、そんなトータを気に掛けることもなく、マーガレットは舌も滑らかに、尋ねもしないことを一方的にまくしたてる。

「遅くなってしまったけれど、ようやく私も社交界入りさせてもらえることになったの。何事も最初が肝心だもの、ほんの少しだって手は抜けない。もっと綺麗になって、みんなの視線を独り占めしてやるわ」

 察しはついていたが、彼女はどこかの貴族令嬢なのだろう。年の頃はハナダと同じくらい、つまり十代中程と思われるが、過剰な化粧のせいで、実年齢より年上に見えている。「大人びている」ではなく、「老けている」という意味で。

 ……などと、トータはマーガレットの話を半分に聞きながらぼんやりと考えた。

「今よりも大きな目が欲しい、願いはそれで間違いないんだね。念のための確認だが、左右どちらかではなく、両の目の話だろうね」

「馬鹿馬鹿しい、当たり前のことを訊かないでちょうだい。ただ、無暗と大きすぎては駄目よ。いっそ瞳の色を青くしても良いけれど、そこまで変わったら、さすがにみんなに訝しがられるものね」

 マーガレットの視線がちらりとハナダの大きな青い瞳を捉えていることに気付き、トータは彼女とのやり取りを、ここで即座に切り上げることにした。

 早口に金額を提示して合意させ、急かすように小切手に署名させる。壁一面の引き出しの中から一つを選び出すと、マーガレットをその前に立たせ、トータは鍵穴に鍵を差し込んだ。

 鍵が噛み合う、カチリと小さくも確かな感触。ゆっくりと半回転させると、微弱な電気が流れているような小刻みの振動に合わせ、引き出しは仄かに光り始めた。

 すると、壁の隙間から漏れ出したのは、黄色味を帯びた光の粒。それは蛍のようにふわりと宙を移ろい、きらきらと微かな光の帯を引きながら、目を見張っているマーガレットの顔や体へと吸い寄せられていく。

 女の体の表面を滑るようになぞっていく無数の光を眺めながら、トータは交換の詳細を知る。

 彼の頭の中に流れ込む情報は、マーガレットが望みのものを手に入れたことを、そして、世界のどこかにいる交換相手もまた、望みのものを手にしたことを伝えていた。

 トータは成功を悟る。

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