第一幕 貴方の願いが何であろうともーⅩ

 トータから放たれた言葉の意味が、アルフは咄嗟に理解できなかった。

 目を見開いたまましばらく硬直していたが、やがて、どさりとトータを床に取り落とす。意図してのことではなく、全身の力が抜けた結果だった。

「な、んだと?」

 乾いた喉から、アルフは困惑の声を漏らした。トータは己の尻や掌を叩きながら立ち上がり、アルフに掴まれて乱れた胸元を丁寧に直すと、徐に語り出す。

「考えもしなかったようだね。貴方がスミス氏の死を願っていたのと同様に、スミス氏も貴方の死を望んでいた。貴方が彼の命を欲したから、彼も貴方の命を欲した。それだけのことさ。僕は何度も言ったはずだ。ここは願いを交換する店だと。貴方は奪うものと奪われるもの、そのどちらかしか決定できないと」

 打ちのめされ、もはや声を発することを、いや、息をすることすら忘れかけているアルフに向かって、トータは容赦なく追い打ちを掛けてくる。

「具体的には、貴方とスミス氏は寿命を交換したのさ。命を奪うとは、そういうこと。心臓と命は別ものだからね。それぞれが寿命を奪われて奪って、だから二人とも、まだ生きている」

 アルフの左胸を指さして、トータは薄く笑う。

 子どもの笑顔を無邪気と呼ぶならば、トータの笑顔は、有邪気だった。

「そんな、馬鹿な」

 額に手を置き、卒倒しそうになるのをどうにか持ちこたえながら、アルフは愕然とした。そんなアルフを下から見上げつつ、トータは人差し指を自分の口元にまで持っていき、内緒話でも囁くように告げる。

「おまけとして、一つだけ教えてあげよう。交換した二つの命のうち、一方は重篤な病を抱えていた。今回、二人の命を交換するのに伴って、その病も交換されたようだ。なぜなら『彼』の寿命は、その病とは切っても切れないものだから」

 どちらの命がどちらのものとは、トータは言わなかった。言えなかったのではなく、あえて言わなかったに違いない。

 急に心臓が痛み出したような、動悸が早くなってきたような気がして、胸を押さえながら顔を蒼白にするアルフを眺めつつ、トータはせせら笑う。

「これで依頼は完了した。僕が貴方に助言できることがあるとすれは、今すぐ優秀な医者の元へ駆け込むこと、それくらいのものだ。貴方が少しでも長生きしたいのならばね」

 幼い少年の声が、アルフの耳に、脳に、深くずぶりと突き刺さる。

 頭の中が一瞬で白く染まった。同時に、目の前が真っ赤に染まった。

「ふざけるな」

 喉の奥の奥、心の底から絞り出したような、アルフの震える呟き。

 それは呟きから、はっきりとした話し声になり、やがて熱を帯びた怒声に代わっていく。

「ふざけるな……ふざけるな、ふざけるな!」

 たった一種類の罵言だけを、アルフは顔を紅潮させて繰り返し叫んだ。床に転がっていた杖をがむしゃらに拾い上げると、剣のように両手で構え、トータに向かって躍りかかり、その脳天目掛けて躊躇なく振り下ろす。

 しかしトータは動じず、涼しい顔をしたままで。

「ハナダ」

 ただ、さらりと名を呼んだ。

 地下に降りてからこれまで一言も声を発しなかった少女は、トータの指示を待つことなく、この時点ですでに動き出していた。

 一歩、二歩。踊るようにステップを踏みながらトータを背後に庇って回り込み、ハナダはほんのわずかに顔を険しくして、アルフの前に立ち塞がった。長い三つ編みと薄水色のワンピースの裾が、暗い地下室に翻る。

 そこからの一連の彼女の動きを、アルフはほとんど認識できなかった。

 顔面に振り下ろされる杖の動きに合わせて腕を滑らせ、杖の動線を斜め下へと誘導していなす。受け流した力と速度をそのまま利用し、ハナダは右手を素早く横へ払った。杖はアルフの手からあえなく弾かれ吹き飛んで、真横の壁に打ち付けられると、ガランガランと派手な音を上げながら床へと落ちる。

「――っ!」

 アルフは苦痛の声を漏らしながら、痺れる手を胸の前に抱き込んだ。その間にも、眼前の少女は止まらない。アルフの目も、思考も、彼女の動きに追いつかない。

 ハナダは右膝を深く折って床に片手をつき、左足を床と平行に突き出した。強烈な蹴撃に右脛を強打されて靴底が床から離れ、アルフは悲鳴を上げながら前のめりに倒れ込む。そのすぐ脇にぴたりと取り付いたハナダは、反射的に前へと伸ばされたアルフの左腕を右手で掴むや否や、くるりと反転するようにアルフの懐に己の体を滑り込ませた。その小さな背にアルフを乗せるようにして、肩越しに前方へ投げる。

 アルフの長身が、軽々と宙を舞った。

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