第一幕 貴方の願いが何であろうともーⅤ

「貴方が持っている何かと、他の誰かが持っている何かを、直接会うことなく交換する。それがこの店でできる全てだ。交換するものに大きさや性質の制限は無い。物理的に存在する必要すら無い。例えば、運や才能のようなものでも」

「なん、だと?」

 トータがさらさらと述べた内容に、アルフは瞠目した。

 目に見えないものも、実在するかどうかも定かでないものも、さらには「概念」に近いようなものですら交換できると。彼が言っているのは、そういうことだろうか。

「金で解決できないことでも、ここならば叶えることができる。その理由を理解していただけたかな?」

 小馬鹿にするようにトータが肩を揺すった。しかしアルフは気分を悪くする暇すらも惜しんで、喰いつくように質問する。

「交換の相手は」

「交換可能な相手はこの世界で生きている人間のみ。相手が交換時にこの場に同席している必要は無い。よって手に入れることができるのは、他の人間が所有しているものに限定される。欲しいものを持っている誰かがこの世に存在しているのならば、交換が成功する可能性は高い。なぜなら、相手方が同意しなくても強制的に交換することができるから」

 被さるようにして始まったトータの説明を、アルフは必死で呑み下していく。聞き手の僅かな気の緩みすら許さないような喋りに嘆息したくなるが、トータの「ここからが重要」という前置きに、はっとして気を引き締めた。

「願いはあくまで交換だ。当然、貴方は欲しいものを人から貰う代わりに、自分からも何かを差し出さなければならない。さらに重要なこととして」

 トータは一旦、言葉を切った。アルフの正面で足を止め、首を回してこちらを見上げる。

「自分が貰うものと、自分が差し出すもの。貴方は、そのどちらかしか決定できない」

 右手と左手、それぞれで真っすぐに立てた一本指を、トータはアルフの眼前にずいと突き出した。

 短い二本の人差し指を見つめ、アルフは呆然とする。

「ちょ、ちょっと待ってくれたまえ」

 両手を胸の前で振って一時中断を求めてから、再び口髭をしきりと撫でつけて気持ちを落ち着けようと試みるアルフ。頭の中を慎重に整理してから、探り探り尋ねる。

「例えば私の願いが、そうだな、仮に、『葉巻が欲しい』であるとしよう。すると、私以外の誰かから葉巻を貰える代わりに、私が持っている何かを相手方に渡さなければならないということだな? それで、私が渡すものは」

「貴方が選ぶことはできない。その杖かもしれないし、上着のボタンかもしれない。お金で済むかもしれないし、貴方が今は身につけていない何かかもしれない」

 トータが後を引き取って続けた言葉に、アルフは首を捻った。

「身につけていない何か?」

「交換するものは、貴方がその時点で所持しているものではなくて、『所有しているもの』だからね。家にあるパイプや帽子、絵画や証券、土地ということもあり得るさ」

 造作も無いようにトータは語るが、アルフは想像が追いつかなくなってきた。

 一体この子どもは、何をどうやって、目の前にいない人物を相手に、手元に無いものを交渉材料に、目に見えないものを手に入れると言うのだろうか。

 かろうじて、一つだけ訊く。

「不平等ではないのかね。葉巻と土地の交換では」

 すると、トータは手近な壁に寄り掛かり、背後の引き出しを手の甲で軽く叩いた。

「そこは、この店がうまくやるさ。ある程度はね」

 またも含みのある言い方。アルフは「ううむ」と唸ってしまった。

 納得しがたい。いや、ぴんとこない、と表現すべきだろうか。料金は前払いである上、返金には応じられないとトータは言っていた。しかも、彼が言う「仲介料」とは別に、アルフが所有する何かを手放さなければならないという話である。

「私が何を交換に出すか決めるのは、トータ君、君かね」

「いや」

 アルフの問いに、トータはきっぱりと首を振った。壁から背を離し、前へと数歩、進み出る。

「それは貴方の交換相手が無意識に決定する。そして、その交換相手を探し出して決定するのは、貴方でも僕でも、他の誰でもない。この店だよ」

 トータは両手を横に大きく広げて、十字架のような姿勢になった。

 彼の背後に当たる壁には、トータ自身よりもはるかに大きな影法師が佇んでいる。単なる影に得体の知れない寒気を感じながら、アルフはもう随分前から、頭の半分以上を占めていた所感をようやく口に出した。

「信じられん。何もかもが、だ」

 言い返されることを覚悟しての発言だったが、その予想に反して、トータは「ふふ」と小さく笑った。

「こんな話を疑いもせずに信用する人がいるならば、その人の頭こそ疑うべきだよ。ただ、こちらも商売だからね。信じて貰わなければ稼ぎにならない」

 トータは困ったように、上目遣いで肩をすくめる。嘘くさい仕草だった。

「葉巻をご所望かな?」

 視線を流したトータに唐突に尋ねられ、虚を突かれたアルフは瞬きする。

「ああ、いや、さっき言ったことは例えだ。一本頂けるというのなら嬉しいがね」

 顔を引きつらせたまま乾いた微笑を浮かべ、冗談めかしてそう返すと、トータは小さく頷き、こう切り出す。

「百聞は一見に如かず、物は試しだ。一つ、無料で願いを叶えてみせようか」

「何?」

「口に出して言ってみるといい。今の貴方の願いをね」

 どうやら、実際に「交換」とやらを実演してくれる、ということらしい。慣れた口ぶりから察するに、話だけでは信用しないであろう大半の客に対しては、最初からそう提案する心積りなのだろう。

 願いはすでに、トータによって誘導されている。

 アルフは釈然としないまま、ぼそりと願いを言の葉に乗せた。

「《葉巻が欲しい》」

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