第一幕 貴方の願いが何であろうともーⅣ
唇を引き結び、表情を強張らせたまま、アルフは一段一段を慎重に下っていく。
程なくして、トータの手元から漏れる光が大きく見え始め、すぐにアルフも広い床の上に靴底を付けた。ほっと息をついて面を上げれば、階段の終着点から少し進んだ先で足を止めたトータが、こちらを振り返ってアルフの到着を待っていた。
地下一階半といったところだろうか。想像していたほどの深さではなさそうである。
「ここで何を?」
アルフはトータのやや後方で立ち止まり、恐々と尋ねる。反響する自分の声がまるで他人のもののように聞こえ、思わず身をすくめてしまう。
トータはこちらを見て薄く微笑み、ランタンを持つ手を高く掲げた。不安定に揺れる橙の光が、暗い地下室をぼんやりと照らし出す。
部屋は、さして広くはなかった。上階の半分程度の床面積しかないだろう。天井も低く、背の高いアルフであれば、爪先立ちになって手を伸ばせば指の先が触れるかもしれない。床も天井も冷たい石造りで、まるで牢獄のようだ。
室内は空虚ながらんどうで、調度品はおろか、物の一つも置かれていない。しかし正確に言えば、部屋の中には一種類だけ、それも、尋常でない程の数が存在していた。
それは、壁一面の「引き出し」。
地下室を囲う四方の壁は、大小様々な四角い抽斗で完全に埋め尽くされていたのである。
「……!」
アルフは絶句した。壁には床すれすれから天井ぎりぎりまで、小さな鍵穴がついた引き出しが隙間なく詰め込まれている。引き出し一つ一つの横幅は、小さなものではアルフの掌に満たない程、大きなものでも肘から指先ほどまでで、衣類を収納するには不都合だろう。縦幅も同様に千差万別だ。ただし、鍵穴だけは全ての引き出しが同じような形状と見えた。
大きさも形も不揃いな無数の引き出しは、それにも関わらず、一切の余地を残さずに整然と並べられ、まるで壁材であるかのように壁全面を埋めていた。
ただただ、異様な光景である。
「驚いた?」
アルフの顔を下から覗き込むようにして、トータはおどけて見せる。遅れて階段を降りてきたハナダにランタンを預けると、呆けたまま声も出せずにいるアルフを試すように。
「どこか開けてみても、構わないよ」
言われて、アルフはどきりとした。引き出しの中身が気になるのは間違いないが、このトータの挑発的な言い様。ありふれたものが入っているとは考えにくい。
「いや、遠慮しておこう」
右手を軽く振りながら、引きつった微笑を浮かべてアルフが辞すると、トータは「そう」と詰まらなそうに呟いた。
そして壁際に寄ったかと思うと、手近な引き出しをいきなりガラリと開ける。
「お、おい!」
声を上ずらせて叫び、反射的にアルフは後方へ飛び退いた。しかし予想に反して、引き出しから何かが飛び出してくるような気配は無い。
しばらく時間を置いてから、アルフは恐る恐る、遠目に中を覗き込む。
引き出しの中は、空だった。
ほっとすると同時に、無意味に驚かされたことで気分を害し、アルフの眉間に深いしわが寄る。トータはアルフの一挙一動を眺めながら、ふふ、と、可愛げのない微笑を漏らした。
「この部屋にある引き出しの中身は、全てそれと同様だ。何も入っていない。ただ普通に開けたのなら、ね」
含みのある言い方を聞き逃せず、アルフは片眉をぴくりと上げた。「普通」ではない開け方で開ければ、引き出しには何かが入っているとでも言うのだろうか。
トータは静かに引き出しを閉めて、改めてアルフに向き直った。緑色の瞳にじっと見つめられ、またもアルフの心拍数が上がる。
「貴方の願いを聞く前に、いくつか了承して頂きたいことがある。前もって説明しなかった不親切をお詫びしよう。この店は、願いを叶える店じゃあない。正しくは、『交換局』の名の通り、願いを叶えるために他の誰かと交換取引をする店だ」
「交換、だと?」
「そう。つまり僕、いや、この店が直接願いを叶えるわけではないから、料金は単なる仲介料ということになる。だからどんな願いでも金額は一律なのさ」
詫びると言いつつ、反省の色が微塵も見られないトータの態度と、その話の内容に、アルフは頭にかっと血が上るのを感じた。怒鳴り散らしたい気持ちを、「相手は子ども」と言い聞かせてどうにか押さえつけるが、口から噴き出す不平までは抑え込めない。
「ふざけるのも大概にしたまえ、それでは単なる商取引じゃあないかね。金ならあると言っただろう。金で叶うことならば、とうの昔に叶えている」
年齢も背丈もはるかに上であるアルフから威圧的になじられても、トータは顔色一つ変えない。むしろ、予想通りとでも言わんばかりに、悠然と構えたままである。
「貴方の願いが何であろうとも」
トータの声は幼い。だがその声には、底知れない威圧感があった。
「願いは叶う。けれど先にも言ったように、それはある意味で限定される。この店の力を生かすか殺すか、願いが叶うか否かは、アルフさん、全て貴方次第だ」
大きな瞳から放たれる眼光に射貫かれたように動けなくなり、言葉を返せずにいるアルフの周囲を、トータは腰のあたりで手を組んだ姿勢で、ゆっくりと移動していく。
「金を払うだけでどんな願いでも叶う。そんな虫のいい話が本当にあるとでも? 大きな望みを叶えるには相応の危険が付きものだ。難しい望みを叶えるにはそれなりの工夫が必要だ。金に頼って鈍り衰えた、その頭に尋ねてみるといい。今、貴方がどうするべきなのかを」
これが、たかが十歳前後の子どもが発する言葉だろうか。
アルフは当惑してトータを見つめ、それから助けを求めるようにハナダを見た。ハナダは一連のやり取りにまるで興味が無いらしく、黙々とランタンの火の調節をするだけである。
瞼を一度固く閉じ、長く息を吐いて、アルフは一旦、頭を冷やそうと試みる。
信じないならば、全て無かったことにして、ここで踵を返すべきだ。
信じるのであれば……あるいは、半信半疑ならば。
「説明を、続けてくれ」
苦々しく、絞り出すようなアルフの依頼に、トータはまた、小さな笑みを浮かべた。
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