第一幕 貴方の願いが何であろうともーⅡ

 袖が余った、体格に反して大き過ぎるワイシャツの上に、緑色のベストとループタイ。焦げ茶色の髪を襟足付近で束ねており、尻尾のような短い毛束がちらりと見え隠れしている。

 椅子に座っているため正確な背丈は分からないが、机の上に出ている体面積の少なさからして、少女と比べてもかなり低いことは明らかである。深緑色の大きな瞳が目立つその顔は、どう贔屓目に見ても十歳そこそこだろう。

 だが、少女とのやりとりを聞く限り、口は年相応以上には達者なようだ。漂わせる雰囲気にも、気品と言おうか、どことなく子どもらしからぬものがある。

 少年が執拗に寝ることを拒んでいる理由は分からないが、少女は彼の言葉を意にも介さないようで、施錠のためだろう、アルフが立ちすくむ玄関へと体の向きを変えた。自然、少年も同じ方向へ視線を流す。

 そこで初めて、二人はアルフの存在に気が付いた。

「おや」

「あら」

 さして驚いた様子もなく、のんびりとした声を上げる二人。アルフも黙っているわけにはいかなくなり、気まずさを取り繕いつつ、帽子を脱いで丁寧に挨拶する。

「今晩は、夜分に失礼。もう店じまいですかな?」

 扉に手を掛け、体を引きながらそう尋ねると、少年は「いえ」と言って立ち上がった。

「こちらこそ、見苦しいところを失礼致しました。どうぞ、中へお入り下さい」

 机を迂回してきた少年の立ち居振る舞いは大人顔負けに洗練されていたが、全身を晒した彼が穿くスラックスは裾が大きく余って、二重に折り曲げられていた。老年を迎えてもなお、ぴんと背筋が伸びたアルフの背が高いこともあり、視線を合わせようとすると首が痛いほどである。

 歩み寄ってきた少女がアルフを中へ招き入れ、玄関扉を閉める。コートと帽子を脱ぐと、そつなく受け取って壁際に掛けてくれたが、その間にも少女はちらちらと少年の方に目をやっている。どうやら、少年がベッドに入る時機を逃したことを酷く気にしているようだった。

 彼らの他に人が出てくる様子は、無い。しかも先の応対を見る限り、少女ではなく、より幼い少年の方が、接客の主導権を握っているらしい。

 店を間違えたのだろうか。アルフは白髭を撫でつけながら少なからずそう考えた。

 そんな思考など知る由もない少年は、いとけない顔で大人じみた微笑を浮かべて、アルフにソファを勧める。

 彼自身も対面に腰を落ち着けて、膝の上で手を組み、前屈みになってこう切り出した。

「トータ=リーグマンです。あちらはハナダ=アルエット。本日はどのようなご用件で?」

 どちらの名も、耳に慣れない響きだ。アルフはトータと名乗った少年と、ハナダという名らしい、後ろに控える少女を交互に見やりながら、自らも名乗る。

「アルフ=ジョーンズです。その、君が?」

 皺の寄った顔をしきりに撫でながら、アルフは言葉を濁した。足が小刻みに揺れ、視線が宙を泳ぐアルフの様子を眉一つ動かさず観察してから、トータが口を開く。

 しかしその口調は、突如として先までの丁寧さを失していた。

「表看板にある事務所の所長が僕なのか、という問ならば、答えはノウ。それが貴方の質問の意だろうが、それは貴方の目的ではない。貴方がここに来た理由からその問に答えるのならば、答えはイエスだ」

「な?」

 アルフは変貌した口調と、それ以上に、その返答内容に唖然とした。構う素振りも無く、トータはすらすらと続ける。

「確かにここは、表向きは法律相談所ということになっているし、便宜上、ハナダに所長として振舞ってもらうことが多い。僕が所長ではあまりに説得力が無いからね。けれど、こんな辺鄙な場所にある上、弁護士すらいない事務所にわざわざ相談しに来るような物好きは、実際のところほぼいないに等しい。貴方のような身分の人なら尚更、ね。少なくとも貴方は、陳腐な揉め事の相談をするためにここへやって来たのではない」

 トータは一度上体を起こすと、ソファにもたれ掛かって緩く足を組んだ。

「つまり、こんな時分に、道を尋ねるでも新聞の定期購読の勧誘するでもなく、この店に用があって訪れた時点で、貴方の目的は分かっているんだ。何より貴方の落ち着きの無さが、まともな相談ではないと語っているからね」

 トータの言葉には一切の淀みが無く、立て板に水を流すかのようだ。勢いに呑まれ、アルフは口を挟む隙すら見つけることが出来ない。

「貴方は、ここがどういう場所なのか分かって訪れたはず。だから僕は尋ねたんだ。どのようなご用件で、と」

 ここで、トータはぴたりと発言を終えた。二人の横からさりげなくハナダが歩み寄り、机の上に音も無く紅茶のカップを二つ置くと、すぐに退く。

 白いカップから上る湯気をたっぷり三秒見つめ、そこでようやく、アルフは自分が喋る番なのだと気が付いた。無意識に、膝の上に置いた手に力がこもる。

「私は、知人からこの店の存在を聞かされた。知人は、そのまた知人から。半信半疑、いや、碌に信じていなかったが――まさか、本当だったのか?」

 夢でも見ているような心持ちになりながら、アルフは呟く。知らず、声量は大きくなった。

「ここは、どんな願いも叶えてくれる店だと」

 アルフは、トータの顔を注視する。トータもまた、アルフの視線を真っ向から受け止める。

 彼は不意にすっと立ち上がると、胸に手を当て、深々と一礼した。子どもらしからぬ、作りものめいた笑みを浮かべて。

「改めて。ようこそ、願望交換局へ」

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