瞼の裏には

入間しゅか

瞼の裏には

 その夜、カケルくんの家のカケルくんのベッドで裸のカケルくんの腕に抱かれて裸の私は瞼を下ろして現状と全く関係のない放置してきた仕事のことを考えていた。その間、カケルくんはずっと何かを喋っていた。聞くでもなく聞きながら、私はこの人を好きではないんだと確信していた。


 たいして仲が良かったわけでもない知り合いの結婚式の二次会で私はカケルくんと出会った。誰も話し相手がいなくて、カウンター席で一人ちびちびと好きでもないワインを飲みながら私はできるだけ気配を消すことに専念していた。共通の知り合いがいないし、明らかに数合わせなのはわかっていた。ただここ最近、仕事以外の人付き合いがなくて人恋しかった。しかし、出席しなければよかった。これじゃより一層人恋しくなるだけだ。楽しそうに談笑する男女の輪に割って入るほどの対人スキルが私にはなかった。こうなると出来るのは空気になることに徹するだけだ。そんな空気な私に空気を読まずに隣に座ってきたのがカケルくんだった。

「ね、居心地悪くないすか?」と座るなりカケルくんは声をかけてきた。

 私が肯定でも否定でもない笑みを浮かべると、「だよね」とカケルくんは何かに納得した。

「俺さ、ヤマモトカケルって言うんだけど、よかったらここ抜けて二人で飲みに行かない?」

 今度は本当に返答に困り、肯定でも否定でもない気持ちで笑って誤魔化した。それでも彼が「いこっか」と言って席を立った時、私はそそくさとその後について歩いた。今思うと単純に人恋しかったのだろう。


 私たちは夜遅くまで安い居酒屋で薄いチューハイを飲んだ。カケルくんは新郎の知り合いで、私と同じ数合わせで呼ばれたらしかった。私があまりに退屈そうにしてるから話しかけたのだと言われ、少し恥ずかしかった。

 その後どんな話をしたのか、今となってはあまり思い出せない。印象的だったのは、カケルくんが同い年で、私が年下に見えると言ったらムキになって童顔なだけで中身は大人なんだと主張したのがおかしかったことだ。お互いにSNSのアカウントを教え合い終電で帰った。家まで送るよとカケルくんは言ってくれたけど、私はそんな気はないと言った。

「え、どんな気があると思ったの?」と意地悪く笑うカケルくんに、やな奴と思いつつ私にはそんな気があったのかもしれないとも思った。


 それから私たちは頻繁に連絡を取り合うようになった。と言っても、取り留めのない話ばかりでお互いの好きな音楽や映画を教え合ったり、晩御飯何食べた?とか。その程度。その程度のありふれた会話が私の日常に欠けていたものではないかと思った。カケルくんから突然電話がくることもあった。何か用があるわけでもなく「ひまだったから」と言って。私はいつも「私もひましてた」と答えた。暇じゃない時でも。彼から連絡が来てないか仕事中でもチェックするようになっていた。だからか、自分でもびっくりするようなミスをすることがあった。説教好きの主任にねちっこく怒られた。

 昼休み、同期のユウコちゃんに外でご飯食べない?と誘われて近くのファミレスに行った。ユウコちゃんは呆れた顔して「あすかさんさ、最近ちょっとヤバくない?」と言った。

「ヤバい?かな?」

「うん、ヤバい」

「そんなに?」

「うん、そんなに」

 男でもできた?と訊かれてとっさに首を横に振った。振ったけれど、脳裏に一瞬カケルくんがよぎってもう一度首を横に振った。

「やっぱり?そんな気がした」

「え?なにが?」

「あすかさん、恋してる」

「なんで……」わかったの?と言いかけた。恋してるのか?私は。自分でもよくわからなくなったから、ユウコちゃんにカケルくんの話をした。

「あすかさん、それもう好きになってるよ」とユウコちゃんは言ったけれど、果たして好きってなんなんだろうかと考えてしまった。

 その日からカケルくんからの連絡が途切れた。私がメッセージを送ると返事をくれるけど、向こうから来ることがなくなった。私はさみしいと思って、なんでさみしいのか考えてしまった。


 私だって恋愛くらいしたことあります。高校生の時お付き合いした人もいました。好きで好きでたまらなくてこれがキュンキュンするってことなんだって思ったこともありました。別れる時のやるせなさも知ってます。なんであの程度の喧嘩でって今なら思います。でも、あの当時は私も若かったからなんで私のことをこんなにも分かってくれないの?ってすごく腹が立ちました。別れてからの後悔も味わいました。もう誰とも付き合わないと誓った日を今でも覚えてます。だから、カケルくんのことを……。やっぱりどう思っているのかわかりません!独白終わり。


 なんで今更こんな思春期みたいな悩みに頭抱えてるのかな。もうすぐ三十なのに。誰とも付き合わないと誓いをたてて以来、本当に誰とも付き合っていない。周りの友達がちらほら結婚していくのに、私だけは一人なんだと思って生きてきた。

 だから、瞼。瞼について考えてみることにした。瞼、目を覆い開閉する皮。この開閉機能が不思議で、目を開けている時はもちろん目の前のものが見えているのだが、目を閉じると見たいもの想像して見ることができる。何が言いたいかと言うと、私はカケルくんにメッセージを送信する時必ず目を閉じる。目を閉じてカケルくんを想像する。カケルくんと目の前で話している気持ちになれる。一度しか会ったことがないのに。彼はそんなにかっこよくなくて、丸顔でタレ目でちょっとにやけて見える表情をしている。そのタレ目の中を覗いて私がいるかどうか確認したくなる。

 ダメだ、私はバグってしまった。カケルくんからのメッセージが来なくなってますますカケルくんのことを考えるようになっている。そもそも一回しか会ってないし、さらに言うと恋人だっているかもしれない。私はカケルくんについて何も知らない。

 スマホがふるえた。素早く通知を確認するとカケルくんからの電話だった。私は仕事をほっぽり出して、給湯室にちょうど人がいなかったので、そこで電話にでた。

「ひまだったから」と久しぶりに聞くカケルくんの声。私は瞼を下ろしてカケルくんを想像する。

「私もちょうどひまだよ」

「あのさ、俺んちこない?」

 私は体調不良を訴えて早退した。


 カケルくんの家の最寄り駅で待ち合わせをして、徒歩五分。四階建てのワンルーム。極端に家具が少なくて、ベッドと冷蔵庫とベランダに洗濯機しかない。テレビやパソコンはまだしもタンスもない。服が綺麗に畳まれて部屋の隅にちょこんと置いてあった。もちろん、クローゼットに服は他に入っているのだろう。だとしても、生活感のない家だ。私が部屋を見渡して突っ立っているとカケルくんはまあ、座ってと手でしぐさをした。私が床に正座すると、ベッドを指さしたのでベッドに座った。男の人の家に入るのは大人になってから初めてだったことに座ってから気がついてどぎまぎした。カケルくんはお茶を持ってきて、私に渡すと隣に座った。しばらく、沈黙が流れた。カケルくんは緊張しているらしかった。私もつられて緊張した。想像上では何度も覗き込んだタレ目を見つめるが出来なかった。

「あすかちゃんって」と言ってカケルくんは黙った。

「なに?」

「あすかちゃんって、俺のこと好きじゃん?」

「え?違うよ」咄嗟に否定して、否定したことを後悔して、後悔するということは好きなのかなと考えてしまった。

「いや、あすかちゃんの反応わかりやすいから。俺のこと好きじゃん。だから、最後もう一回だけ会いたいなって思った」

「え?なにそれ?最後ってなに?わけわかんない。それに私カケルくんのこと好きとか言ってない……けど」

 動揺する私を尻目にカケルくんは話しだす。「俺さ、無理なんだよね。人に好かれるとその人のこと俺は好きじゃなくてもとことん好かれたくなんのよね。あすかちゃんに好かれるのは嬉しいけど、俺には俺で好きな人いるからさ、最後にちゃんと」と言ったところで私はカケルくんにキスをした。無理やり舌を入れた。押し倒した。

「だまれ」自分でも怖いくらいのドスの効いた声だった。

「あすかちゃん?」

「いいからだまれ」そう言ってもう一度キスをした。まずい。まずい。まずいと思った。こんなに美味しくないキスをしたことがない。キスをしながら服を脱いだ。

「お前、自惚れんのもいい加減にしろよ。何が好かれるととことん好かれたくなるだ?好きじゃないって言ったの聞こえなかった?ふざけんな。お前なんか嫌いだ!一生誰かに好かれてる妄想でもしてろ、クソガキ。この程度のことで家まで呼んだの?あんたばか?」罵声を浴びせながらカケルくんの服を無理やり脱がせた。もう何がしたいのか自分でもわからなかった。ただ悔しいような、悲しいような、そのどちらでもないような何かが胸の奥からせり上がってくるのを感じた。カケルくんのタレ目と目が合った。瞳の中には私がいた。私は泣いていることにその時気づいた。

「目を閉じろ、クソガキ」

 カケルくんは困ったような苦しむような顔で言われるがまま目を閉じた。瞼。この薄い皮の下の眼球は今何を見ているのだろうか。できれば、私じゃない誰かであって欲しい。いや、何も見るな。私も目を閉じて、ゆっくりカケルくんに体を重ねた。


 翌日、私はお昼休みにユウコちゃんを誘ってファミレスへ行った。

「体調大丈夫?もしかして例の彼となんかあった?」ユウコちゃんは楽しそうだった。私も少し楽しくなった。

「うん、振られた」

「え?マジ?」

「うん、マジ」

「なんかごめん」

「いいよ、かえってスッキリした」

「そうなの?」

「そうなの」


 そうなの。私はスッキリしました。ヤマモトカケルをスッパリ諦めました。SNSもブロ削しました。今度こそ私は一人で生きていこうと思います。でも、一生一人で生きていこうとは思わない。いつか素敵な人と出会いたいです。やれやれ、いつのことやらって感じですけどね。それでもいつかちゃんと人を好きになりたいと思ったんですよ。

 ただね、ここだけの話瞼の裏にはまだカケルくんが困った顔でこっちを見てて、私はその度に「クソガキが!」と罵ってやるのです。独白終わり。

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