1-4
このユディファルという青年は、本当によくわからない人だと朱里は思う。掴みどころがないというか。何を考えているのか、さっぱりわからない。
今も叱られるかと思ったらそんなこともなく、あっさりと笑う。
それなのに、その
ここまで感情の読めない人も珍しい。
原作の中で、ユディファルは朱里のいち推しだった。
いつでも
そう ―― 思いながら、朱里はふと気が付いた。
水底のレイラという小説の中では、ちゃんと心理描写があったから、彼が何を考えているのか理解できていただけなのだ。
これが現実の世界になってしまえばそんな描写が読めるはずもなく、その思考内容や感情なんかが目に見えて分かるはずもない。
ああ見えてリヴァーは意外と分かりやすい方だったし、ディアスなんかはすべて感情が顔に出るような性格だったから、これまで気付かなかった。
「……顔は一番好みなんだけどねぇ」
思わず、朱里はため息まじりに呟いた。
見た目だけで言えば、がっしりと鍛え上げられ、落ち着いた大人の男性という印象のユディファルは、朱里の最も好きな系統ではある。
だとしても、自分が
リヴァーも大人で落ち着いてはいるが、あれは綺麗という方が似合っていて、男性としてのかっこよさとはやっぱり違う気がする。
小説では推しだったとしても、現実ではやっぱり相手に抱く感想は違うんだなぁと、変なところで納得してしまう朱里だった。
「顔?」
「あ、いや。えっと、何でもないです!」
不思議そうにこちらを見返してきたユディファルに、慌てて朱里は首を振った。
こんなところで下手なことを言って、異邦人だとバレたら大変なことになる。
「くくっ。シュリーは、あんたの顔が好みなんだってさ」
朱里のつぶやきがしっかり聞こえていたようで、ディアスはからかうように笑いながら、彼女のはちみつ色の髪をぐしゃぐしゃと掻きまわした。
「ちょっ、ディアス!」
「 ―― それは、どうもありがとう」
余計なことを言うディアスに朱里が抗議の声を上げるのと、ユディファルの淡々とした応えが返ってきたのはほぼ同時だった。
「…………」
思わず真っ赤になってユディファルの顔を見上げると、その銀の瞳にはわずかな苦笑が浮かんでいる程度で、表情には大きな変化は見えなかった。
誰がどう見ても凛々しく整ったあの顔だ。きっと、そんなことは言われ慣れているのだろう。そう思うと、逆に朱里の方が恥ずかしくなる。
「もうっ。伝えて良いことと悪いことくらい、分かりなさいよね。子供じゃないんだから」
ぷくっと頬を膨らませて、朱里はディアスをにらむ。こちらを見おろすディアスの口元が、にやにやと緩んでいるのが腹立たしかった。
「悪口じゃないんだから良いじゃん」
「そういう問題じゃないでしょ!」
思わずこぶしを振り上げて、朱里はぽかりとディアスの肩を叩いた。本当は頭を叩いてやりたかったのに、届かなかったから仕方がない。
もとの自分なら届いただろうけれど、アシュリーの身体は本当に小柄なのだ。
「ふむ。いつのまにか、本当の幼なじみのようになったのだな」
気安く言い合っている二人に、ユディファルは可笑しそうに銀の瞳を細めた。
ディアスとアシュリーは子供の頃からの付き合いだと聞いていたが、目の前に居る二人は、会ってまだ五日程度のはずなのに、それに近い雰囲気がある。
互いに、懐こい性格なのだろう。
「確かに気は使わないな」
ディアスはからからと笑って、再び朱里の髪をぐしゃぐしゃと掻きまわす。
「ちょっとは気を使ってほしいけどね」
乱れた髪を直すように手で押さえながら、朱里は軽く舌を出して悪態をついてやった。
朱里にしてみれば、ずっと以前から知っている相手なので馴染みやすいということもあるが、ディアスのこの性格のおかげで救われている面も多い。
「まあ、仲がいいのは良い事だ」
仲良くなっていれば監視もしやすいし、周りへのカモフラージュにもなる。ユディファルは微笑ましいというように、軽く目を細めて笑った。
「ところで、あんたは何しにこの街に来たんだ?」
ディアスはふと気が付いたように、不思議そうに訊いた。
普段のユディファルは首都にいることが多く、この前のように何か用事でもなければ滅多に来ることのない人物だった。
「……ああ。シアーズ邸に行く途中だったが、シュリー嬢の姿が見えたのでな。こちらに寄らせてもらった」
ユディファルは答えながら、朱里の顔をじっと見おろしてくる。その表情がいつもよりも少しだけ、何故だか困っているようにも見えた。
「私に、何か御用でしたか?」
リヴァーに用があるなら、朱里を見つけたからと言ってわざわざ寄り道をして時間を食う必要もない。
ユディファルは小さく頷くと、周囲を確認するように視線を巡らせた。
うしろで一つに結んだ闇色の長い髪が、ゆらりゆらりと背中の真ん中で流れる様子が猫の尻尾のようで、なんだか可笑しかった。
「……実は、ルーファス王子がシュリー嬢に会いたいと仰っていてな。君を迎えに来た。リヴァー・シアーズには……言ってない」
「 ―― はい?」
朱里はきょとんとユディファルを見た。それは、リヴァーには内緒ということなのだろうか?
一国の王子が自分に会いたいというのも訳がわからなかったし、それをリヴァーに秘密にする理由も分からない。
「もしかしてさ、今日リヴァーが留守にしてるって知ってて来たのか?」
どこかばつが悪そうなユディファルに、ディアスは警戒するように問いただす。
今日に限ってリヴァーは帰りが遅いと言っていた。それを見計らったかのように訪れたのが偶然とは思えない。
「まあ、否定はしない」
ユディファルは少しだけ口を曲げ、苦笑するように言った。
「彼を通すと、いつシュリー嬢を殿下に会わせられるか分からんからな」
さっきまでは凛と強く煌めいていた月の光のような銀色の目が、なんだか後ろめたいような、申し訳なさそうな色を浮かべているように見えた。
朱里はじっと、ユディファルを見た。
今の彼は公人として朱里の前に立っているのだから、その行動が自分の感情に左右されることはないのだろう。
「……分かりました」
朱里は仕方なさそうにため息をつくと、ゆっくり頷いた。どうせ、こちらに拒否権はないのだと分かっているし、無駄なことはしたくない。
「話が早くて助かる。夕刻までには戻れるよう、約束しよう」
ユディファルは安堵したように息を吐き出すと、にこりと笑った。
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