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「さてっと。リヴァーの帰りも遅いみたいだし、今日こそは街に行ってみたいなぁ……なんて思ってるんだけど」

 朱里は大きく伸びをしたあと、くるりと振り返りながらそう言った。

 この世界にやってきてから五日間。まだ家の敷地内からは一歩も外に出ていない。


 長時間リヴァーが外出していることがなかったし、さすがに監視対象である自分がそこまで要求するのも難しい気がしたからだ。

 しかし、さすがに家の中に居るのも飽きた。


「……おまえ、俺には何を言っても大丈夫だと思ってるだろ」

 空色の瞳を睨むように細めて、ディアスは朱里のおでこを軽く弾く。しかし、その表情はちょっぴり楽しそうで、両の口角が笑むように上がっていた。


「へへ。リヴァーよりかはね」

 ぴんと弾かれた額をさすりながら、にこにこと朱里は笑う。

 これまでにも、ディアスにはいくつかのワガママを叶えてもらっていた。

 甘いものが食べたいとか、庭を散歩したいとか。本当に些細なことではあったけれど、これまで彼が朱里の願いを拒否したことはない。

 ボールが欲しいと言った時だけは、すぐに用意できないということで、何故かケーキになったのは可笑しかったが。


「ちっ。バレたら説教されるのはこっちだぞ」

 のんきに笑う朱里に、ディアスはちょっぴり口を曲げる。

 たぶん、リヴァーにはことがお見通しだったのだろう。さっきも「甘やかしすぎるな」と釘を刺されたばかりなのだ。


「でもまあ……天気も良いしな。バレないようにすれば良いか」

 自分よりも頭ひとつ半ほども小さな朱里を見おろすようにちらりと目を向けて、ディアスはどこか悪戯少年のように笑った。

 自分に叶えられることなら、朱里の希望をきいてやるのも良いかと思う。

 最初の日にとったへの詫びでもあり、また、慣れない場所で別人として過ごさなければいけない彼女へのねぎらいの気持ちもあった。


「ほんとっ!? ありがとう。やっぱり言ってみるものだね」

 飛び上がらんばかりに喜んで、朱里は大きなディアスの両手を取るように顔の前に持ってくる。

 願いは口に出してみることも大事なのだ。もちろん、相手にもよるのでそのあたりの判断は必要だが。


「実は、セントリアの花街道が見てみたかったの」

 小さく可愛らしい純白の花を満面に咲かせる『セントリア』という花木が、街路の両脇に並び立つ場所がこの街にあるはずだった。

 多くの草木が萌え芽ぐむこの時期に、その場所では花びらがまるで雪のように降るのだと、ヒロインが言っていたのを思い出していた。

 それをこの目で実際に見ることが出来たらどれだけ素晴らしいだろう。想像しただけで、朱里は楽しくなってくる。


「わ、分かった。連れて行ってやるから、まずは、手を離せ」

 自分の両手をつかんだまま想像をめぐらせる少女に、ディアスは少し慌てたように手を揺らした。

 子供の頃ならいざ知らず、十代も半ばを超えた頃からはアシュリー本人とだって手をつなぐことはなかった。


「あ、ごめんなさい。つい嬉しくて」

 にこにこ笑顔のままで、朱里はぱっと手をはなす。

 目の前の青年が嫌がっているわけではなく、どことなく照れているように見えるのが可笑しかった。


「今からすぐ行くよね? 準備してくるから門のところで待ってて」

「ちゃんと外套コートを着てこいよ。まだ日陰はすこし肌寒いからな。おまえに風邪でも引かれたら、俺がリヴァーに殺される」

 自由になった両手を一瞬だけ見やり、ディアスは誤魔化すようにがしがしと頭を搔いた。


「……って、正門から普通に出ていく気かよ。これはもう、リヴァーの説教は覚悟した方が良いな」

 使用人たちに外出がバレないようにする気はないらしい。

 うきうきとスキップでもしそうな勢いでリビングから出ていく朱里に、ディアスは大きなため息をついた。



*****


 緑が広がる郊外に建つシアーズ邸から三十分ほど東に歩くと、この街の中心である商業施設が立ち並ぶメインストリートに出る。

 レンガ造りで統一されたモダンな建物が立ち並ぶその場所は、見掛けよりもはるかにリーズナブルな店が多く、気軽に買い物が楽しめる場として知られていた。


「ここで一旦休むか? 花街道まではまだちょっと距離あるぞ」

 初めて見る街の様子にきらきらと目を輝かせる朱里に、ディアスは声をかける。

 普段アシュリーが外出するときは馬車を使っていたというのに、朱里はどうしても歩きたいと言うのでここまで歩いてきたのだ。


「え? ぜんぜん疲れてないよ」

 隣を歩く青年を見上げながら、朱里は楽しそう目を細める。

 いきなり歩いたらさすがに疲れるのではないかと心配だったが、ちょっぴり足が痛い程度で、とくに疲労も気分の悪さも感じなかった。


「でも、ここを見るのも楽しそう」

 セントリアの花を早く見たい気持ちもあったが、目の前の楽しそうな雰囲気もやっぱり味わいたい。

 いろいろな店を見て回るのも、朱里は大好きだった。


「それにしても、この街って本当に整っているというか、綺麗だね」

 メインストリートであるこの場所が整っているのは当然としても、ここに来るまでの間に通ってきた場所も、劣らず整然としていたことを思い出す。

 道には石畳が敷き詰められて綺麗に舗装され、人々が多く街に出ているときでも十分に馬車が通り抜けられるような広さもあった。

 この街が、とても裕福なのだということはひとめ見ただけでも分かる。

 

「まあ、この街は航路と陸路をつなぐ大事な場所だし、街路整備には特に気を遣ってるからなリヴァーは」

 ぐるりと周囲の景色を見渡しながら、ディアスは誇らしげに笑った。

「前から整ってはいたけど、ここまで綺麗になったのはあいつがシアーズの当主になってからだぞ」


 貴族でもない領主家が街の整備に本格的に携わるには、誤解や妬みを回避するために大変な根回しと労力が要る。

 それを可能にしたのはリヴァーの行動力と、更には強力な人脈によるものだ。

「確か、リヴァーって王太子と友達だったよね」

 小説の中で書かれていたことを思い出して、朱里は納得したように頷いた。王太子の後ろ盾があれば、そうそう立場が悪くなることはないだろう。


「……なんで、それを知ってるんだ? その事は、ほとんど知られていないはずだ」

 ディアスの空色の双眸が、ふと鋭く煌めいた。

 何も分からずアシュリーの身体に憑依しただと、朱里のことをそう思っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。

 そんな疑念を抱いてしまうほどに、彼らの交友関係は秘されていた。


「え……」

 不意に向けられたディアスの剣呑な眼差しに、朱里は思わず息をのんだ。

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