序ー6
話を聞いてみると、ここ三ヶ月ほどで異世界からの憑依者が八人。転生者がひとり見つかっているのだという。
皆、何らかの理由で意識を失い、そして目が覚めると別人になっていた。
共通するのは、意識を失う際にかすかな光珠のようなものが周囲を舞うこと。
そして、腕に現れた小さな「蝶」のような模様だった。
「……本当だ。蝶々みたい」
リヴァーに言われて長い袖をまくって見ると、肘に近い左腕の内側に、線で描かれた蝶のような模様が小さく浮き上がって見えた。
「最初は誰も気づきませんでしたが、四人目だったかのときに、その共通点にユディファルどのが気付かれたんです」
「それが、痕跡ってわけね。それにしても……そんな憑依だの異世界だのって、みんな当たり前のように信じるのね」
朱里は思わず呆れたように言ってしまう。
意識を失って目覚めたら別人だなんて、単にその人が狂人になったと考えるのが普通だと朱里は思うのだ。
自分だって、身を以って体験したからこそ理解したものの、最初は頭がおかしくなったかと思ったくらいだ。
「もちろん、最初は誰も信じませんでしたよ」
リヴァーは苦笑しながら、金の髪を揺らすように頭をゆるやかに振った。
「じゃあ、なんで今は信じられているの?」
さっきのユディファルの対応や言動からは、対策本部のような物もありそうだというのが分かる。
もともと自分が知っている「水底のレイラ」の世界にはない出来事が、まるで一般的な事のように行われている事実が信じられなかった。
「……あなたも当事者だから、知っておいた方が良いかもしれませんね」
答えを待つようにじっとこちらを見る朱里に、リヴァーは吐息まじりに頷いた。彼女にも、今の状況を知る権利はある。
事の始まりは、この国の第二王子ルーファスの成人の儀を祝う宴の最中だった。
祝いに来ていた外祖父の侯爵が急に倒れ、しばらくして目を覚ましたら訳の分からないことを言い出したのだ。
侯爵は「ここはどこだ」とか「なんでこんな格好をさせられてる」とか、「どっきりだろう」とか。
訳の分からないことを言い出して、なだめようとした周囲の人間に当たり散らしたのだという。
「はじめは彼が狂ったのだと思われましたが、それから数日後に、別の家の伯爵夫人が茶会の最中に同じようになりました」
両家には特に深いつながりもなく、不運な出来事が重なっただけとして社交界ではとりあえずの
それが急展開したのは、第二王子ルーファスが訓練中に落馬して意識を失ってからだった。
目覚めたルーファスはやや混乱した様子で、しかし、前世の記憶を思い出したと言い出したのだ。
彼は自分が『転生者』だと言った。他の二人とは違い、ちゃんとルーファスとしての自分の記憶も持ち合わせていた。
そして彼が言う「異世界」の話は、他の二人に聞いた話とおおよそのところで合致していた。
最初は外祖父を助けるために、王子が作り話をしているとも思われたが、最終的に異世界という存在が認識されることになったのだという。
「ルーファス王子は人格者として皆に敬愛されていましたからね。彼が嘘をつくと考える者はわずかでしたし、そのあと日を置いて何人も同じような状態の者が出てきたので、認めざるを得なかったともいえますが」
うんざりしたように、リヴァーは眉をしかめる。
「王子も、やっぱり身柄を拘束されたの?」
「いえ。彼はルーファス王子であることは変わりませんし、この国のことをちゃんと考えている方なので、そのままですよ」
朱里が疑問を呈すと、リヴァーは首を振った。
「異邦人である憑依者の身柄を拘束するのは、本人ではないということと、こちらの常識を持っていないため周囲を混乱させる恐れがあるからです。……あなたが監視だけで済むのは、この国の人間だからですね」
「あ……ははは。そういうことね」
朱里はちょっぴりごまかすように笑った。
確かに自分はこの世界のことを知っている。しかし、小説の中にない事までは知らないので、いつ噓がばれるか不安だった。
「さて。そろそろ帰りましょうか。先ほどユディファルどのには帰宅許可をもらったので。頼んだ馬車も正面についている頃です。いつまでもこんな所にいては体調にもよくないし、ディアスを待つこともないでしょう」
リヴァーはふと、何かに気付いたように窓の外に目を向ける。そうして、すっと脇に置かれていた大きな外套を手に取った。
「 ―― へっ?」
思わず朱里は間抜けた声を出してしまった。
帰るってどこに。そう聞こうとして、すぐにリヴァーの家だと気付いて押し黙る。確かにこの体はリヴァーの妹のものであり、そうするのが最適なのだろう。
それでも、自分がそこに行くべきなのかどうか。朱里は悩んだ。
「あなたは身柄は拘束されていませんが、憑依者として監視対象です。不本意でも、私と来て頂くことになります」
淡々と告げながら、リヴァーは大きな外套でそっと朱里の身体をくるむように着せる。その何気ない優しさが、逆に朱里には痛かった。
「リヴァー……さんは、嫌じゃないの? 見掛けだけがアシュリーさんの私と一緒に居るのが」
初めて目覚めた自分を見たときは、リヴァーも怒りに満ちた目を向けてきた。
次にこちらを見たときは、無だった。
そして ―― 部屋をいったん出て戻ってからは、時々やるせなさそうな眼差しを浮かべるものの、何事もなかったかのように普通に接してくる彼の本心が分からなかった。
彼にとって、アシュリーは何よりも大切な妹のはずなのだから。
「……もちろん、嫌です」
静かに、リヴァーは応えた。そのこたえに、一瞬朱里は泣き出したくなる。
「ですが……」
沈痛な彩を宿した翠玉の瞳がじっと朱里を見やり、そうしてひとつ、深い瞬きをした。
「あなたが悪いわけではありません」
申し訳なさそうにこちらを見やる少女に、リヴァーは小さく笑う。
最初は、もちろん怒りを覚えた。
しかしアシュリーがとつぜん身体を奪われたように、彼女もまた、とつぜん己の身体を失ったのだということは、話していてすぐに分かった。
「身体を奪われたアシュリーが、今どうなっているのかは分かりません。でも、あなたを護ることが、アシュリーを護ることにもなる。そう、思っています」
どこか悲しそうな、けれどもとても優しい声だった。
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