鬼ヶ島で恋は実らない!?

和泉公也

鬼ヶ島で恋は実らない!?

 今からずっと昔。

 桃から生まれた桃太郎ももたろうは、きび団子を持って犬、猿、雉をお供にして、鬼ヶ島へ鬼退治に向かいました。


 それから数十年――。

 鬼ヶ島の鬼の残党たちが、再び村を襲いました。

 桃太郎の息子、桃之介もものすけは父の跡を継ぎ、再び犬、猿、雉たちの子どもと共に鬼ヶ島へと赴きました。

 再び訪れる鬼たちとの死闘――。そして、またもや桃之介は鬼たちに勝利します。

 しかし、降参した鬼たちから話を聞くと、作物の育たない鬼ヶ島で、鬼たちが食うものに困った挙句にやむを得なかったためだったと話しました。これには村の者たちも非常に同情しました。

 そして桃之介は鬼たちと交渉しました。

「鬼ヶ島が住みやすいように田畑を開墾するのに協力する。その代わりに人間の村を二度と襲わないと約束してくれ」

 鬼たちはその申し出に非常に喜びました。そして数年間、桃之介を始めとした人間たちと鬼たちは協力しあい、ようやく鬼ヶ島は緑に溢れた住みやすい土地に変わりました。


 そうして、人間も鬼たちも幸せに暮らしました。


 ――それから、更に数十年後。


鬼凛きりん様、攫ってきました」

「うむ、ご苦労だった」

 鬼ヶ島の奥に聳える玉座に、一人の鬼の少女が鎮座していました。

 彼女の前に一人の鬼が跪いて、肩に担いだ麻袋をゆっくり下ろします。

 そして、その麻袋をゆっくり開けると……、

「ぷはぁッ!」

 一人の人間が出てきました。

「ククク、会えて嬉しいぞ、桃龍よ……」

「貴様、こんなことをしてただで済むと思うなよ」

 麻袋から出てきた青年――、桃龍とうりゅうは鬼の少女を睨みつけました。

 後ろ手に縛られ、身体にも縄を巻き付けられて身動きが取れません。

「ただで済まないのはお主のほうじゃ。今日こそ年貢の納め時だと思い知れ」

「人を年貢の米みたいな扱いしてその言いぐさか」

「なぁに、お主にとって悪い話ではないぞ」

「悪い話になる予感しかないんだが」

「貴様が煮え切らない態度だからじゃろ」

「煮た覚えもない。とにかく縄をほどけ!」

 歯を食いしばって睨む桃龍を、鬼の少女、鬼凛は玉座から見下ろして笑みを浮かべました。

「今日こそ返事を聞かせてもらうぞ」

「何度でも言う、返事は同じだッ!」

 桃龍が鬼凛を睨みつける表情が、一層険しくなりました。しかし、鬼凛は全く怯む様子はありません。


 ――昔々、桃から生まれた桃太郎の孫、桃龍は。


「わらわと結婚を前提に交際しろッ! 桃龍よッ!」

「断るッ! この鬼めッ!」


 ――鬼の姫、鬼凛に交際を申し込まれていましたとさ。



「これだけ言ってもダメなのかッ!」

「クドいッ! 俺は貴様なんぞと結婚はせんッ!」

「わらわのどこに不満があるというのだッ! この美貌、この胸、こんな別嬪は世界中の鬼を探してもなかなかおらぬぞ!」

「そうだそうだ! 姫様は歴代鬼の中でも随一の美女だと評判だぞ!」

「結婚したい鬼、五年連続一位なのだぞ!」

「一体何の不満があるというのだッ!」

「鬼だからに決まっとんだろうがぁぁぁぁぁぁッ!」

 部下の鬼たちからも野次が飛び始め、桃龍は更に苛立ちました。

 流石に鬼凛も心が痛んだのか、その場に膝をつきました。

「わ……わらわがこれほど求愛しても、ダメだというのか……鬼だから、ただそれだけの理由で……」

「いや、そこまで落ち込むな……」

 桃龍は段々心が痛んでいきました。

「鬼だから……人であるお主とは付き合えない……」

「あ、強く言いすぎた。謝る」

「貴様、姫様を悲しませたなッ!」

「女子を泣かせるとは、男として恥ずかしくないのかッ!」

 これは果たして自分が悪いのか――、桃龍は訳が分からなくなりました。

「……分かった」

「ほえ?」

「分かったッ! お前と結婚してやる」

 落ち着いた様子で、桃龍は言いました。

 当然のことながら鬼凛は顔を赤らめて、

「ほ、本当かッ⁉ わらわと結婚するというのか⁉」

「あぁ、結婚してやる。だから早くこの縄をほどけ」

 桃龍の申し出を聞くと、鬼凛は意気揚々と他の鬼たちのほうを見据えました。

「姫様、おめでとうございます!」

「うむ! では、桃龍の縄をほどいてやれ!」

「はっ!」

 鬼たちは桃龍の腕を縛った縄をほどきました。

「さぁ、ほどいてやったぞ! これで貴様も……」

「……御免」

「ほへ?」

 桃龍は腰に携えた刀の柄を握りました。

 一瞬、風が舞うような音が聞こえたかと思うと、鞘に収まっていた桃龍の刀身が露わになっていました。

 桃龍が閉じた瞳をゆっくり開くと――、

「ぐえッ!」

「がはッ!」

「ぎゃぼッ!」

 側近の鬼たちは次々と倒れていきます。

 鬼凛はその様子を呆気に取られて言葉も出ませんでした。

「――安心しろ、峰うちだ」

 鬼たちが何も言えなくなるのを見計らい、桃龍はゆっくり鬼凛に近付きました。

 そして刀の切っ先をそっと彼女に突きつけました。

「嘘を吐いたのは詫びよう」

「いや、全然詫びるような態度じゃないじゃろ……」

「だが俺は人間。鬼である貴様とは相容れぬ存在……。結婚など到底できぬ」

「うん、それは分かったから刀を下ろして……」

 怯える鬼凛を見据えながら、桃龍はゆっくり刀を下ろしていきます。

「父上も、互いの種族が干渉せずに不自由なく暮らせるように便宜を図ったわけだろ。これ以上何が不満だというのだ」

「だ、だってぇ……」鬼凛は若干涙声になっていました。「わらわだって、年相応の乙女なのじゃぞ! 一目ぼれした相手に愛を伝えて何が悪いのじゃッ!」

「ほほう、一目ぼれした相手を縛って袋詰めしてこんなところまで攫ってきた、と」

 再び怒りを露わにした桃龍は、またもや刀を鬼凛につきつけました。

「ま、まてッ! 刀を下ろして話を聞いてくれッ!」

「今更貴様の話なんぞ……」

「じ、実は……お主にお願いがあってここまで連れてきたんじゃ。本当じゃッ! お主にしか頼めないことなんじゃッ!」

 鬼凛は冷や汗を垂らしながら必死で懇願しました。

「お願い、だと?」

 うんうん、と鬼凛が頷くと、ようやく桃龍の険しい顔が和らぎました。


 玉座の間から少し離れた、荒れ果てた地に鬼凛は桃龍を案内しました。

「ここは……?」

 そこはあまり居心地の良い雰囲気ではありませんでした。大地は濁り、水も渇いています。ところどころ枯れ木も散在して、土も全体的に黒ずんでいます。

「農園、だった場所じゃ。一か月前からこの調子なのじゃがな」

「農園だと? とてもそうは見えないが……」

 そういうと鬼凛がどこか物悲しそうな表情でため息を吐きました。

「一か月前、突然この農園の近くから瘴気が吹き荒れたのじゃ。吹き出た場所を岩などで塞いで、なんとか抑えられるだけ抑えたのじゃが、それでも農園の土壌は一気に澱んでしまって……。これでは作物が育たず、我々が飢え死にしてしまうぞ!」

「ふむ……、なるほど。確かにこれは一大事だな」

「無論じゃ! お主の父上が開墾した農園がこんな有様では、お主の父上に申し訳が立たぬ」

 たしかに、と桃龍は頷きました。このままでは瘴気が農園どころか島全体に広がってしまうでしょう。

 父、桃之介ならばたとえ相手が鬼であろうと、困っている者は助けないわけにはいかないでしょう。その信念を胸に抱き、桃龍は胸に手を当てました。

「仕方がない、この状況を打開するのに協力しよう」

「ほ、本当か⁉」

「こんな事態になってしまっているのであれば話が違ってくるからな。まずはその瘴気が吹き出た場所へ案内しろ」

「う、うむッ!」

 意気揚々と鬼凛は歩き始めました。一大事だというのにどこか楽しそうな彼女に呆れつつ、桃龍も後をついていきました。

 しばらくすると、大きな崖に着きました。壁のところに一部、大きな岩が雑然と置かれている場所があり、鬼凛はそこの前に立ち止まりました。

「ここじゃ」

「ここは……」

 岩の隙間から腐ったような匂いが立ち込めています。どこか黒い霧のようなものも籠っており、桃龍の背筋も自然に震えてしまうようでした。

「瘴気はここから吹き出ておる。今までこんなにも出てくることはなかったんじゃが……」

「こんなに? 多少は出てたのか?」

「そりゃあ、ここは地獄の入り口だからの」

 桃龍は呆気に取られて、

「オイ、ちょっと待てぃ!」

「な、なんじゃ……」

「瘴気の原因、明らかにそれだろうがッ!」

 桃龍の怒鳴り声に、鬼凛はたじろいでしまいました。

「いや、それがその……」鬼凛は煮え切らない様子で、「前はここまで瘴気が吹き出なかったのは本当なのじゃ。だから、岩で塞ぐだけで充分だったんじゃが……、ここ一か月ぐらい尋常じゃないほどの量が増えてしまったんじゃ」

「で、岩だけじゃ防ぎきれなくなってきた、と」

 やれやれ、と桃龍は肩を落としました。そして塞いであった岩に手をかけ、ゆっくり右に動かしました。人一人分ぐらいの隙間がそこから現れます。

「な、何を……」

「こうなったら元を絶たねばなるまい。この中に入って調べるしかないだろ」

「この中って……」

「あぁ。地獄の中に入って調べる!」

 桃龍が強気に言うと、鬼凛はぎゅっと彼にしがみつきました。

「行かせるものかあああぁぁぁぁぁッ! まだ、まだお主と結婚式も挙げておらぬというのに、お主を危険な目に遭わせてしまってはそれこそお主のご先祖に申し訳がああああぁぁぁぁッ!」

「ええい、放せぃ! 貴様と結婚なんぞしたほうが申し訳立たぬわッ!」

「地獄はアレじゃぞッ! なんというか、怖いぞッ! 鬼とかうじゃうじゃいるぞッ!」

「貴様がその鬼だろうがボケェッッッ‼」

 はぁ、はぁ、と息を二人して荒げながら、睨み合いがしばらく続きました。

「こ、ここまで言っても地獄に行くというのか……」

「き、貴様が依頼してきた、ことだろ……」

「確かに、な……」少し鬼凛は考えて、「ならば、わらわも付いていくいくぞ」

「……す、好きにしろ」

 流石に桃龍も観念し、二人で地獄に向かうことに決まりました。


 恐る恐る地獄の中に二人は入ります。中は地上よりもずっと暗く、瘴気の腐った匂いも立ち込めています。桃龍も洞窟のような場所には行ったことはありますが、ここは今まで入ったどんな洞窟よりもずっと暗く、重い雰囲気でした。桃龍は松明を灯してゆっくり中を歩き始めました。

「ケホッ、ケホッ……。やはり瘴気が強いのう」

 鬼凛が何度も咳き込みました。

「なんだ? 鬼の癖に瘴気は苦手か?」

「当たり前じゃッ! わらわは地獄の鬼とは違って繊細なんじゃ!」

「鬼って、色んな種類がいるのか?」

 桃龍は素朴な疑問を口にしました。

「うむ。鬼というのも多種多様じゃからの」鬼凛は得意気に話し始めました。「例えば、神の使いとして地上に君臨した“使鬼しき”、我々のように地上で人と同じように暮らす“野鬼やき”などがおる」

「人と同じように、ねぇ……」

 人間を襲っていた癖に、と桃龍は心の中で思いましたが、敢えて口に出しませんでした。

「なんじゃその目は⁉ 言っておくが、基本的には我々は人間たちと一緒じゃぞ。ただ、少々血の気が多い者どもが多いわけじゃ」

「はいはい」

 ふん、と鼻を鳴らして桃龍は更に進みました。

「で、地獄にいる鬼じゃが……」


 ――そのときでした。


 暗い洞窟の中で突然何かが光った気がしました。

 何か重いものが掠めたような鈍い音がドン、と鳴り、地面の土がずっしりと抉られていました。

「……ぐへへへ」

 何やら低い声が気味悪く笑っています。

 いつの間にか頬から流れたかすり傷の血を拭いながら、桃龍は腰の刀に手を添えました。


 ――と、思いきや。


「ぐはっ!」


 時間を置いて、低い笑い声は苦痛の声へと変わり、そして途絶えました。

 桃龍が周囲を見渡すと、一体の鬼が地面に倒れていました。手には大きな棍棒を持っており、先ほどの鈍い音の正体はこれだと理解できました。ただし、その鬼は見慣れた鬼凛たちとは違い、皮膚がどことなく爛れたような感じがします。更には瘴気の匂いも出ています。

「そやつのように、地獄で鬼に堕ちた“獄鬼ごくき”がほとんどじゃ」

 鬼凛は冷静に桃龍に説明しました。

「堕ちた、ということは、まさかこいつは……」

「元は人間だったんじゃろうな。死んでもなお地上に未練が残った者がこうして鬼になることもあるんじゃ」

 居合い抜きをした刀を鞘に戻しながら、桃龍は訝し気に、

「……なぁ、ここは一応地獄、なんだよな?」

「そうじゃ。ただし、まだ“入り口”にしか過ぎぬがな。本当の地獄はまだずっと先じゃ」

「こんな入り口に獄鬼がいるものなのか?」

「うむ……。いない、とは必ずしも言えぬが……。奴らは地獄で生まれ変わった存在、本来ならもっと地獄の中枢に屯しているはずじゃ……」

 桃龍と鬼凛は頭を抱えました。

 地獄とつながった洞窟とはいえ、そこはまだ入り口。突然溢れ出た大量の瘴気。更には、獄鬼たちがこのような場所にいるという現状。謎はまだ深まるばかりでした。

「……まさか、誰かが俺らが来ることを察知して、こいつをけしかけた、とか?」

 桃龍の脳裏に、ひとつの仮説が浮かびましたが、

「……なんてな」

「ないない」

「流石にないな」

「あっはっは! そんなわけないじゃろう!」

「だな、そんな俺らを狙ったような真似するような奴がいるわけが……」


「ご名答」

 桃龍でも鬼凛でもない、透き通った男性の声が突然聞こえてきました。

「……嘘から出た真、とはよく言ったものじゃの」

「……そんなこと言ってる場合か。何者だッ⁉」

 パチパチ、と手を叩きながら、岩陰から一人の男が現れました。

 長い髪を後ろに束ね、僧のような袈裟を羽織った若者ですが、よく見ると少々おかしな部分があります。彼の背後からは白い毛の束が腰の横から垣間見えており、そして頭をよく見ると、二本尖ったものが出ています。それが角だということに二人ともすぐに気が付きました。

「ようこそ、地獄へ。『桃龍』さん……」

「⁉ 何故俺の名前をッ⁉」

「ククク……そいつは簡単な話だぜッ!」

 また新しく、野太い男の声が聞こえてきました。

「まだ他にもいるのか……」

「おうおう、随分ご挨拶じゃねぇか、かつての英雄のお孫さんよぉ!」

 赤い鎧に身を纏った大男が別の岩陰から現れました。皮膚もどことなく赤く、ニヤリとほくそ笑む口からは牙も見えています。そして彼もまた、頭の上に二つの角が突出しています。

「……貴様、爺様のことを知っているのか?」

「あぁ、勿論だぜ。ついでに言えばてめぇの親父さんとは、ずっと一緒に旅をしていたから、もっっっっっと知っているぜぇッ!」


 ――ずっと、一緒に旅をしていた?


 かつて、祖父である桃太郎には一緒に鬼を退治したお供がいました。

 そして、父の桃之介も、そのお供たちの子どもと共に、再び鬼ヶ島へと赴きました。


 犬、猿、そして雉――。二代に渡り、桃太郎と桃之介を支援した、勇敢なお供です。


 桃龍はようやく気付き、戦慄しました。

 この二人の正体は――。


「きちんと自己紹介しなくては、ですね。私はあなたの父上のお供だった犬――『犬煉けんれん』です」

「そして俺様が、てめぇの父親のお供だった猿――『猿鎧えんがい』だぜぇ!」

 桃龍の悪い予感が当たりました。

 そして、二人の頭から生えた角。それもまた見覚えがあります。

「父上からお供の話は聞いたことがあるが……貴様ら、まさか!」

「どうやら鬼に堕ちてしまったようじゃな」

「そうです。我々は死後、地獄にやってきてこうして獄鬼へと生まれ変わったのです」

「感謝してるぜぇ、貴様の親父にはよぉ! こうして奴への憎しみから鬼へ変わるきっかけをくれたんだからなッ!」


 ――憎しみ?


 桃龍は言葉を失いました。

 かつて鬼を退治したお供たちと桃太郎は、互いに幸せに暮らしたと父親から聞かされていました。当然、お供の子孫である犬煉と猿鎧も父親と信頼を分かち合った仲だったはずです。

「どういうことだ? 一体、父上に何の憎しみが……」

「そいつはてめぇの親父に聞くんだな、地獄でッ!」

 猿鎧は右拳を桃龍目掛けて突きつけてきました。

 すんでのところで桃龍は避けますが、背後の壁は土煙と焦げ臭さを漂わせながら強烈に抉れていました。

「今のはほんの小手調べだぜぇ」

「も、桃龍ッ!」

「そういえばもう一人いましたか。忘れておりました」

 犬煉は両の掌を合わせ、目を閉じながら気を集中させました。

「こ、この術は……ぐうぅぅぅぅッ!」

「鬼凛ッ!」

「おっと、てめぇの相手は俺だッ!」

 猿鎧はもう一度腕を振りかぶり、重い拳で素早く殴りかかりました。

 桃龍はよけきり、刀に手を添え構えました。

「――剛岩斬打」

 刀の柄にありったけの力を込め、重い気を集中させていきます。己のイメージを岩に重ね、鞘から刀を一気に抜きます。

 その一瞬は刀を手にしたにも関わらず、殴りかかるような雰囲気でした。刀身の先を下段に向け、重い気と共に猿鎧の鳩尾にぶつけます。

「ぐおおおおおおおッ!」

 切っ先に当たったにも関わらず、血は全く出ませんでした。しかし、猿鎧の腹が凹んだかと思うと背後にのけ反り、吹き飛ばされて壁に激突していきます。

 猿鎧が白目を向いて地面に横たわったのを確認すると、桃龍は一旦ため息を吐きました。

「バカ力にはバカ力で対抗、というわけだな」

「も、桃龍ぅぅぅぅ……」

 鬼凛の弱々しい声が聞こえ、桃龍ははっとそちらに振り向きました。

「そうだ、鬼凛ッ!」

「あ、脚が……」

 鬼凛は険しい顔で地面にへたり込んでいました。そこから一歩も動く気配がありません。

「大丈夫かッ⁉」

「脚が……」

「脚がどうしたのか⁉」

「脚が……、痺れて……ひゃっ!」


 ――はい?


 鬼凛は冷や汗混じりに素っ頓狂な顔をしていました。

「ふふふ、どうでしょうか。一晩正座し続けたのと同じくらいの脚の痺れを与えてみましたのですよ」

「これは地味にキツいぞ……助けてくれ桃龍よ……」

「これだけではありません。更には――」

 犬煉はまた呪文を唱えました。

「ぎひゃああああああッ!」

「その状態で足の裏を棒で突かれたような刺激を与えました。どうです?」

「キツイ! 地味にしんどい! おのれぇぇぇ、ひゃっ! また……」

「はーはっはっは! 地味な嫌がらせが一番しんどいのですよ!」

 高笑いをする犬煉を見て、桃龍は一気に呆れ顔になりました。

「長々とシリアスシーンやってから、これか……」

「では、そろそろシリアスに戻りましょうかね」

「ほほう、これを見ても戻れるというのか?」

 桃龍は懐から何やら取り出しました。

 掌に収まりそうな、小さな白い玉。艶やかな光を纏ったそれは、どことなく甘くて良い匂いを漂わせています。

「そ、それは……」

「我が故郷に伝わる伝統の菓子、『きび団子』。貴様も良く知っているだろう?」

「ま、まさか、私を物で釣ろうというのですか? そんなもので私が釣られ……」

「ほい!」

 桃龍は手に持ったきび団子を遠くへと放り投げました。

「わおーーーーーーーん!」

 いつの間にやら飼い犬のように舌を出した犬煉が、意気揚々と遠くへ去っていきました。

「あ、脚の痺れが治ったぞ」

「そいつは良かったな。じゃ、先に行くぞ」

 やれやれ、といった様子で桃龍と鬼凛はとぼとぼと先へ進んでいきました。

「きび団子のう。そんな便利なモンあるなら早く使えば良かったのではないか?」

「……いや、流石に安直すぎると思ったもんでな」


 ――それにしても、あの二匹は何がしたかったんだろうか。


 正直に言えば、桃龍としても気になることはあります。桃龍の父親に対する憎しみ、と言ってはいましたが、一体何があったのでしょうか?

 そしてふと、もうひとつ気になることが頭に浮かびました。


 ――犬、猿。かつてのお供だった三匹のうち、二匹が鬼になって出てきた。


 となると。

「……雉は?」

「ん?」

 桃龍はぼそりと呟きました。

「父上のお供だったのは、犬、猿、雉の三匹。しかし、先ほど俺たちの前に立ちはだかったのは犬と猿だけだ。となると雉は一体……」

「言われてみれば、確かにそうじゃのう」

「あの二匹が鬼に堕ちたということは、まさか雉も――」


「……ご名答」


 どこからともなく、女性の声が聞こえてきました。

「……やはり、か」

 洞窟の奥の方から、誰かが近づいてきました。

 静かな足音と共に、若い女性の姿が見えてきました。緑と桃色の派手な着物と、鮮やかな赤い髪。大人しそうな雰囲気とは裏腹の派手な見た目をした女性です。

 そしてその髪からは、かすかに鬼の角が二本垣間見えています。

「……犬煉と猿鎧はやられたようね」

 まぁ一体はどこかに行ってしまっただけだけど、と言いたい気持ちを桃龍は抑えながらその女性をじっと睨みつけました。

「……やはり貴様も」

「お察しの通り。私は雉香きじか。かつてあなたのお父様と共に旅をした雉……」

 桃龍の思ったとおりでした。

 雉香と名乗った女性は冷ややかな目で桃龍を見つめてきました。桃龍はすぐにでも戦えるようにそっと腰の刀に手を添えました。

「ひとつだけ聞かせろ。貴様らは一体、父上に対して何を憎んでる? 父上が何かやったのか?」

「……答える義理はない」

 雉香がそう言った瞬間、空気を切り裂くような音が桃龍の耳元を掠めました。

 気が付くと桃龍の左頬から少量の血が垂れてきています。そして、背後の壁に色鮮やかな緑色の羽根が刺さっていました。

「も、桃龍ッ!」

「下がってろ、鬼凛」

「……次は当てる」

 雉香の目は鋭く桃龍を睨みつけていました。明らかに殺意がある目です。

「あ、あやつはヤバいぞ桃龍よ!」

「分かってる!」

「そうじゃ! きび団子ッ! あやつにもあれを食わせるんじゃ!」

「……きび団子、嫌い。幼少期に喉に詰まらせかかった」

「……割とありがちな食べ物を嫌いになる理由だな」

「そんなこと言ってる場合か! 来るぞ!」

 その瞬間、再び空気を切り裂くような音が聞こえました。無数の羽根が雉香の身体から矢のように発射されて桃龍目掛けて放たれました。

 ――が、

「――乱斬鮮滅!」

 桃龍の刀が的確に一つ一つの羽根を斬り落としました。一瞬の剣裁きだったにも関わらず、無数の羽根は一斉に地に舞うように落ちていきます。

「……お見事」

「風のない洞窟内ならば、軌道を読むことなど造作もないことだ」

「……なるほど」雉香はにやり、と不敵な笑みをこぼしました。「けど、風を起こすことはできる……」

 雉香の背中から大きな翼が生えてきました。着物と同じ派手な緑色の翼が少しはためきました。かと思えば、次第に動きが激しくなり、更に洞窟の砂埃が舞うほどの大嵐を生みだしました。

「ぐっ……」

「まだまだ……」

 そうして再び雉香は羽根を矢のように飛ばしてきました。ですが、その軌道は先ほどとは違い、風に乗りながら乱雑な動きをしていきます。

「ぐはッ!」

 避け切れなかった羽根の一本が、桃龍の足下に刺さりました。

「桃龍ッ!」

「あ、脚が……動かない? がはッ!」

 羽根がもう一本、今度は右腕に当たりました。

「……その羽根には麻痺毒が塗ってある。刺さったら動けない」

「そんなの、アリ、か……」

 とうとう立つ気力も無くなった桃龍は、その場に膝をつき、そのまま地面に倒れこんでしまいました。

「桃……」

「あなたは黙ってッ!」

 雉香が鋭い睨みを利かせ、鬼凛は身体が竦んで動けなくなりました。

「……こ、殺す気、か?」

「……そんなことはしない。あなたにはやってもらうことがたくさんある」

 そういうと雉香は懐から何やら取り出しました。

 それは一本の巻物でした。それをするするとほどき、中身を桃龍に見せつけました。

「これ……は……?」

 描かれていたのは、一人の男性でした。その人は鬼と対峙しています。

 その人物を見るなり、桃龍ははっとしました。


 ――これは、父上?


 絵ではありますが、その姿は如実に父である桃之介でした。

 更に雉香は巻物をほどいていき、続きを見せています。


 鬼と桃之介が対峙し――、

 戦い――、

 桃之介が負け――、

 鬼が桃之介の着物を脱がせ――、

 そのまま馬乗りになり――、


「……マテ」

 それから先は言葉にするのも憚られるものでした。少なくとも全年齢対象の小説で描写できるような展開ではありません。

「……こういうこと」

「いや、色々分からん……。何なのだこれは?」

 雉香は巻物を仕舞い、しゃがんで桃龍の顔を覗き込みました。

「……ずっと妄想していた。あなたの父上が、鬼たちにネッチョネチョにやられる様を」


 ――何を言っているのだコイツは?


 はっきり言って、桃龍の脳では理解できる代物ではありませんでした。

「なるほど、そういうわけじゃな」

「いやどういうことだ」

「つまり、こやつはお主の父親が鬼たちにやられる様の巻物を集めていた、というか自分で描いていたということじゃな」

 鬼凛の言葉に、雉香はこくり、と頷きました。

「だからどういうことだ、さっぱり分からん!」

「しかしお主の父親が鬼たちと友好関係を結んだが為にその妄想は捗らなくなった。その恨みが溜まりに溜まって、こうして死後に獄鬼となって、瘴気を生みだしたというわけじゃ」

「……そういうこと」

「だああぁぁぁぁかぁぁああああらあああぁぁッ! どおおおおいううことだあああああああッ⁉」

 桃龍が叫ぶ度に手足の痺れは益々酷くなっていきました。

「……でもまさか、あなたのほうから来てくれるとは嬉しい誤算。今まで我慢していた分、存分に思い通りにさせてもらう」

 ――クソッ!

「……無理に動かない方が身のため。そのままあなたを鬼たちに襲わせて、あられもない姿でネッチョネチョにされてもらう。私は、その様を見ながら新しい絵を描かせてもらう」

「は?」

 ようやく、桃龍は自分が何をされるのか若干ですが理解できるようになってきました。

 しかし身体はおろか、意識も朦朧としはじめてきます。痺れた手足は益々動かなくなっていき、額から脂汗がにじみ出ます。

 かろうじての呼吸を何度か繰り返している最中、誰かの足音が聞こえてきました。

「はぁ、はぁ……やっと追い付いたか」

 声の主は、先ほど桃龍と戦った猿鎧でした。肩を抑えながらよろめく身体を必死でひきずりっていました。

「……猿鎧、遅い」

「すまねぇ、不覚にもソイツにやられちまって」

「みふぃにおなふぃくでふ……」

 続いてきたかのように、犬煉もやってきました。口にはまだ先ほどのきび団子を咥えています。

「……犬煉、それ呑み込んで」

 ごくり、と少し詰まらせながら団子を飲み込んだ犬煉は、桃龍を恨みがましく睨みつけました。

「先ほどはよくもやってくれましたね!」

「……いや、お前が卑しいだけだろ」

「ククク、だが、どうやら今のてめぇは身体が動かねぇみてぇだな」

「こうなれば赤子同然、というやつですね。ではとどめに……」

「……犯して」

 ――へ?

 と言わんばかりに目を丸くして犬煉と猿鎧は雉香を見つめました。

「えっと、それはつまり……」

「おか……って、あれのこと、だよな?」

「……とにかくネッチョネチョのドッロドロのグッチュグチュに。穴という穴を思いっきり塞ぐ感じで

 お互いを見合って、二人は頭を抱えました。

 ――てか、今から俺、こいつらに犯されるの?

「……不本意ですが、こればかりは仕方ないですね」

「……不本意だが、今からてめぇをヤラせてもらうぜ!」

「不本意ならやめてえええええっぇえぇぇえッ!」

 弱気な口調で、桃龍は叫びました。

 

 ――あぁ、もうダメだ。


 桃龍は貞操の危機を感じつつも、最早これ以上の余力はありませんでした。


 ――爺様。


 ――父上。


 ――本当に申し訳ございません。


 ――俺、桃龍は、地獄の鬼たちに、手籠めにされます。


 ――南無。


「覚悟はいいなぁッ!」

「まずは服からッ!」


「待つのじゃアァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッッ!」


 力強く、精一杯の声で鬼凛が叫びました。

「……まだ何か用? これからいいところなんだけど」

「ま、待て。わらわの、未来の夫に、手を出すなアアッ!」

 息を切らしながら、鬼凛は三人を精一杯睨みつけました。

「未来の夫だと?」

「そ、そうじゃッ!」

「彼は人間、あなたは鬼でしょう?」

「それが何だというんじゃッ! 愛が、愛があれば、そんなものなんてことないッ! 貴様らみたいに、愛のない暴力でねじ伏せようとする奴らに何が分かるというのじゃッ!」

 その言葉を聞いた雉香は冷ややかな目で見据え、

「……愛。実に結構。だけど、あなたが彼を愛しているように、私も愛する妄想がある」

「な、何なのだ愛する妄想とは……、というよりも俺を置いて話を進めるな……」

 意識絶え絶えに桃龍はツッコミを入れました。

「だ、だったら、お主の妄想に足るブツをやろう。それが気に入ったのなら桃龍を開放して、地上へ瘴気を噴出させるのをやめろ」

 鬼凛の申し出に、雉香は少し考え込んだ後、

「……見せて」

 雉香が差し出した手を見据えて、恐る恐る鬼凛は懐から巻物を取り出しました。

「ど、どうじゃ……」

 雉香が巻物の紐を解く様を鬼凛は固唾を飲んで眺めていました。

「……なるほど」

 雉香の目は大きく真剣になって中身を見据えていました。

 やがて、彼女は深いため息を吐いて巻物を再び巻き始めました。

「なかなか妄想が捗った……」

「ほ、本当か⁉」

「……だけど、ダメね」


 冷淡に雉香は言い放ちました。

 そして、息が止まるかのように、鬼凛の声が失われました。


「絵の腕は完璧。縛り方、力で押さえつけてもがいている様は非常に良く描けている。その表情も苦悶の中に艶やかさがあって、心に訴えかけるものがある」

「で、では何故……」

「……解釈違い」


 その一言に、鬼凛は膝をついて愕然と項垂れました。

「……そんな、馬鹿な」

「……オイ、一体何を見せたんだ?」

 麻痺して動けない桃龍が尋ねると、雉香はもう一度巻物を解いて彼に見せつけました。


 そこに描かれていたのは、


 数匹の鬼たちが麻袋を抱え――、

 

 そこから一人の男が出てきて――、


 妙に美しい女性の鬼が彼を見下ろし――、


「いや、待て待てええええええええええッ!」

「……女が邪魔」

「そういう問題じゃないだろおおおおおおおッ! これ、俺が鬼ヶ島に拉致された時の絵面じゃねぇかあああああぁぁぁぁぁッ!」

 鬼凛は桃龍から目を逸らし、

「いやぁ、実はあの時手下の鬼に絵巻物を描かせておったのじゃ。ちょうどお主が縛られておる絵面じゃったし、丁度良いかのうと思ったんじゃが」

「んな末代までの恥晒しな光景を記録すなああああぁっぁぁぁッ!」


 全力で叫び、桃龍は声が枯れていきました。


「……とにかく、これでは駄目。あなたじゃ妄想に足らない」

「そうか……わらわでは不服と申すか」


 残念そうな顔をしながら、鬼凛は懐から何かを取り出しました。


「そんなこともあろうかと……」

 取り出したのはもう一つ、別の巻物でした。

「わらわを男体化したものも用意した」


 鬼凛が巻物をするすると解き、そこから先ほどと酷似した絵面が現れました。

 もちろん、先ほどは無駄に美形に描かれていた鬼凛の絵が、筋肉逞しい屈強な大柄の鬼の姿に変貌しています。一応ではありますが鬼凛の面影は少しだけ残っています。

「って、待てえぇえええええええッ! 何でそんなモノ描いてんだあああああああああッ⁉」

「ん~、なんとなく?」

「なんとなくでそんな悪趣味なもん描くなあああああああッ!」


 叫ぶ桃龍を余所に、その絵巻物を雉香はじっと眺めました。その目は先ほど以上に、神妙に、そして光り輝いていました。

 そして――、


「……気に入った」

「ほ、本当かッ⁉」

「……でもこれだけじゃ足りない。これからもこうしてたくさんの絵を提供してくれるならば、地上への平穏は約束する」

「う、うむッ! 約束しよう!」

 鬼凛の返事に雉香はこくりと頷き、

「……そういうことだから。これでおしまい」

「いや、どういうことだ⁉」

「犬煉と猿鎧も、終わりにしていいよ……」

「……仕方ないですね」

「姐さんがそう言うなら……」

 ふぅ、とため息を吐いて二人は桃龍の傍から離れていきました。


 しばらくして、ようやく桃龍の痺れも落ち着いてきたのか、手足が自由自在に動けるようになっていきました。獄鬼の三人もぺこりと会釈をするだけでその場から静かに立ち去り、また地獄の奥底へと戻っていきました。

 瘴気がほとんど消えた道を桃龍と鬼凛は戻っていき、ようやく地上へと戻ってきました。

「んっん~! やっと瘴気が消えたのう!」

「全く、酷い目にあったぞ」

「今日のお主は大活躍だったの。後で日記にまとめておくぞ」

「まとめんな、恥ずかしいわッ!」

 先ほどの犯される寸前だった状況を思い出しながら桃龍は突っ込みました。

「まぁまぁ。とにかく、じゃ。ひとつお主に見せたいものがあるんじゃが……」

「見せたいもの……?」

「ついてまいれ」

 そうして鬼凛が案内した先は、先ほどまで爛れきっていた農園でした。しかし、今は瘴気がほとんど消え失せた為に微かですが緑が戻り始めています。

「先ほどまでよりはマシにはなっているが……」

 しかし、まだ枯れてしまった植物たちはまだ復活していません。

「うぅむ……」

 鬼凛は辺りを見渡しながら、農園の奥へと進んで行きます。そのうちに木々が立ち並んでいる場所に来ましたが、当然のことながらどれも弱々しく萎れています。

「見せたいものとやらはここにあるのか?」

「うむ……、瘴気が消えた今なら実ってくれると思ったのじゃが」

「何を植えたのかは知らんが、そんなにすぐに……」

「あ、あったッ!」

 突然、鬼凛は素っ頓狂な声を挙げました。

「な、なんだ⁉」

「これじゃ、これ! お主に見せたかったのは!」

 鬼凛が覗き込んだ木を、桃龍はそっと眺めました。

 そこには一玉の、小さな桃色の実が成っていました。

「これは……桃か?」

「そうじゃ、お主の祖父がここから生まれたという、あの桃じゃ!」

 少し赤面しながら、桃龍は鬼凛を見据えました。

「そうか……、お前ら、これを栽培しようとしていたのか」

「うむ。我々鬼と人間の関係、全てはこの桃の実から始まったからの! これを鬼ヶ島の象徴として大事に育てていきたいと思い、こうして農園を作ったわけじゃ!」

「……ありがとう、な」

 桃龍は鬼凛に聞こえないように、小声でボソリと呟きました。

「何か言ったかの?」

「何でもない!」

「そうか? まぁそれよりも、この桃の品種なんじゃがな……」

 鬼凛は、誇らしげな顔になり、


「恋! この桃の名は、“こい”じゃ!」


「恋、ねぇ……」

 少し照れくさそうに、桃龍は桃を見つめました。

「そうじゃ、お主がわらわに教えてくれた、甘酸っぱい感情。あれと同じくらいの味に育ってくれるように、と願いを込めて名付けたんじゃ!」

「……なるほどな」

 少しずつ、桃龍は鬼凛のことを理解できるようになった気がしました。


 ――鬼ヶ島に俺を連れてきたのは、本当はこれを見せたかったんだな。


 桃の甘酸っぱい香りが、不意に漂ってくるような感覚でした。桃龍はこの農園が“恋”の実で一杯になれば、と少しだけ願いました。


「さて、というわけで、お主にもまだまだ手伝ってもらうぞ」

「……手伝う?」

「決まっておるじゃろ」鬼凛はにやり、と悪い笑みを浮かべました。「瘴気をずっと抑え続けるためには、雉香に妄想のネタを提供せねばならんじゃろ。というわけで、今からお主を見本にしてあやつの妄想する絵をどんどん描かせてもらうぞ」


 ――は?


「ちょ、ちょっと待て……」

「いやぁ、楽しみじゃな。さてはて、今日はどんな絵を描いてやるか……」

「待てッ!」

「手下の鬼どもにも協力してもらって、それはそれは凄い絵ができそうじゃな! あ、でもお楽しみはやはりわらわ自身でやっておきたいの! 絵にする際は男体化させておけば問題なかろう。ようし、そうと決まればさっそく戻るとするかの!」

「だあああぁぁっぁぁかあああああっぁぁあぁぁぁらああああぁっぁぁっぁぁっぁぁッ!」


 桃龍は大きく息を吸い、ひたすら叫びました。


「何が、何が恋だぁぁぁぁああああああぁっぁあっぁぁっぁぁぁっぁあぁッ!」



 ――昔々、それはとある物語が入り混じる世界での出来事。


 桃から生まれた桃太郎の孫、桃龍は、鬼ヶ島の姫、鬼凛に、交際を申し込まれた挙句、


 いいように使われておりましたとさ。


 ――鬼ヶ島に「恋」が実るのは、まだ当分先のようです――。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鬼ヶ島で恋は実らない!? 和泉公也 @Izumi_Kimiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ