第15話 アッシェンバッハにも妬まれることだろう 前編

盛り上がりの無い文化祭が終わり、さらに盛り上がりの無い日常が戻ってきた。

大勢の注目を浴びながら初華と共に登校し、それぞれ仲の良い同性グループの輪へ交ざっていくことで始まる朝。心配になるほど短いHRの後は癖の強い教師陣によるそこそこ面白い雑学ややかましい男子グループによるコントを混じえた授業の連続。それから待ちに待った昼休み、からの掃除。そして満腹による眠気に耐えながら授業を3連続で受けたら、短すぎるHRを経て解散し、日の落ちかけた道を初華と共に帰る。それを月曜日から金曜日まで繰り返すだけの日常。

しかし初華のいなかった1学期に比べるとかなり賑やかになった。1学期は行き帰りをずっと1人で過ごしていた。Bluetoothイヤホンを通じてスマホに入れておいた音楽を聴き、寄り道もせずまっすぐ帰っていた。マナカのことも目で追うだけで、紫杏と恵に至っては苦手ゆえに関わりたくないとすら思っていた。

初華が現れてから1人になることが無くなり、関わることのなかった相手とも関わるようになった。変化が大きく目まぐるしさを覚えたこともあるが、それでも源治は今の方が遥かに楽しいと思っている。






日没が早くなり夕方の空気が冷たくなった10月の中頃、源治が学校から帰宅すると奈子の部屋から聞き慣れない声がいくつも聞こえてきた。

友達を連れてきてんのか。気まずいから鉢合わせになる前に籠もろうと隣にある自室の扉に手をかけると、視界の外で扉が開く音と共に「あっ」と掠れ気味の声が聞こえた。


「うぃ、奈子ただいま」


「あ、う…お、おかえりなさい」


目も合わせずにした形骸的な挨拶の後、返ってきた言葉に源治は違和感を覚えすぐさま声の方向に顔を向けた。いつもなら「おう、おかえり」と軽い返事が返ってくるハズなのだ。

実際、目線の先にいたのは奈子ではなかった。フワフワとした亜麻色のクセ毛の下で大きな瞳を潤ませた、色白で小柄な人物。思わず目を見張るほどには可愛らしい天使のような容貌をしているが、その顔の下に着ている薄灰色のシャツと黒いスラックスは奈子が通っている中学校の、男子用の制服である。


「なんだ、お兄ちゃん帰ってきたのか」


天使の背後からよく見慣れた奈子の顔がヒョッコリと飛び出した。


「古庄くん、コイツが筋肉に青春を捧げてしまったくせにバカほどモテているお兄ちゃんだよ」


「馬鹿にしてんのか?」


果物の名前がついた女性歌手を思わせるハスキーボイスでヘイトをかます奈子に対し圧をかけつつ、源治は"古庄"と呼ばれた少年を見やった。困ったような笑みを浮かべる様がとてもいじらしく、同性として出会ってしまったことを内心で悔やんでしまう。


「お兄ちゃん、私達は各自の持てる知力を結集して宿題をやったっぽく見せているところだから、くれぐれも邪魔はしないでおくれよ」


「そんなもん1人でやっても10分で終わるだろ」


源治は世間的な感覚としてズレているであろうツッコミを至って真面目に入れてみせた。源治自身も宿題は『いかにやったっぽく見せて答えを移すか』を重視して生きているからだ。

「要領の良い奴は良いよな」と奈子は吐き捨てると、古庄少年を連れて自室へ戻っていった。部屋の中からは奈子と古庄少年以外の男女複数人の声が聞こえ、源治は「これは宿題ほっぽって遊んでんな」と呆れ果てた。

直後、奈子と思われる掠れ声が今までに聞いたことが無い程の明るさを帯びてアイドルの話を始めたので、源治は背筋がゾッとするのを感じながら自分の部屋へと逃げ込んでいった。






この日以降、古庄少年は中津留家に度々遊びに来た。

自室へ籠もろうとする源治の前に現れるや「お邪魔してます…」と恥ずかしそうに挨拶をしてくる様は本物の天使すら嫉妬するのではないかと思える程には可愛らしく源治の胸をときめかせたが、一方で何故しょっちゅう家に来るのかという疑問を抱いた。

まさか奈子と付き合っているのか。そんな疑惑が自分の中に浮上した時、源治はさもありなんと1人で納得した。

奈子は赤ん坊時代の公園デビューから中学2年生の現在に至るまで多くの男子から告白を受けてきた。殆どの男子達はいずれもバッサリとフラレてしまったようだが、古庄少年だけは奈子の中でガッチリとハマるものがあったのかそばにいることを許されたらしい。

茶化すネタができたぞ。悪辣な笑みを浮かべつつ、自室の床に仰向けになり両足を浮かせて腹筋をいじめ抜く源治の視界の外で扉がガチャリと音を立てた。


「誰ー?お母さん?奈子?」


突然の訪問者に問いかけつつ身を起こした源治は言葉を失った。訪問者の正体は古庄少年だったのだ。

目を丸くする源治の前で、古庄少年は「ごめんなさい…」と顔を赤くした。その様がこれまた愛らしく、自分には無いと思っていた"母性"というやつが実は存在するのかもしれないと感慨深い気持ちになりつつ源治は「大丈夫だよ」と返した。


「どうしたの。部屋間違えた?」


「いや、お兄さんにお願いがあって…」


「俺?」


思わぬ指名に啞然とする源治の目の前に古庄少年がちょこちょこと歩み寄り跪くと、今にも涙が溢れそうなほど潤んでいる瞳で真っ直ぐに源治を見つめた。


「…僕、お兄さんと仲良くなりたいんです」


古庄少年の頼みはごく平凡なものだが、その響きは何か別に意味を孕んでいるようだった。

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そんなつもりは無いのですがモテ始めています むーこ @KuromutaHatsuro

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