第44話

「長い話になって、悪かった。ちゃんと布団で休みなさい。架月の迎えは俺が行くよ」

「そんなに頼ったら、悪いよ。征樹にばかり負担をかけられない」

「頼ってくれよ。透は今でも可愛い甥っ子で、息子みたいなものなんだから」

 征樹と透、20歳という歳の差は、親と子とも兄と弟とも、微妙な差だ。征樹は、親子のように思ってくれていた。

「架月とのことは、今後要面談かもな」

「……すみません」

「でも、まあ、見守りたいよ、俺としては。カイトも、こういうのには寛容であるし。これも選択肢のひとつだと大目に見てくれるさ」

「……すみません」

「架月を大切にしてやってくれ」

 征樹は一旦仕事に戻り、夕方出直すという。透がベッドで休もうとしたとき、インターホンが鳴った。

「透くん、急にごめんね。休んでいたところ」

「トコさん」

 上司の灯子だった。透の家を訪ねてくるのは、初めてかもしれない。

「本庁舎に行く途中なの。ここ、通り道だから。それより、渡そうと思っていた、大茶会の券」

 透が出勤したら、12月の大茶会の前売り券を譲ってもらうことになっていた。仕事の途中で、わざわざ寄ってくれたのだ。

「すみません。ありがとうございます」

 封筒の中に、券がふたり分と、折り込みチラシが入っていた。着物のアウトレットのチラシだ。

「それ、ただのお節介だから」

「参考にさせて頂きます」

「ありがとう。じゃあ、行くわね。架月くんと、楽しんできてね」

 灯子を見送り、透は部屋着に着替えてベッドに潜り込んだ。セミダブルのベッドが広い気がする。いつも狭いと思いながら、いつも架月の存在を感じて横になっていた。ひとりで使うのは、久しぶりだ。目を閉じ、深く息を吐くと、ローテーブルの下で横になるよりも、ゆったり布団に守られる気がした。

 今日だけで様々な話を聞いた。今思い返すと、痛みを錯覚してしまう。新田解人のこと。架月のこと。それに加え、謝りたいこともある。

 ――やっぱり俺は、あの父親の子だ。血は争えない。最低の人間だ。あの人以上にたちの悪い人間だ。

 そう言ってしまった。

 お父さん、本当は、あなたのことを見下してなんかいません。自分の不甲斐なさを言語化するために、引き合いに出してしまって、ごめんなさい。社会に馴染めず、普通に生きられない人間になってしまって、ごめんなさい。でも、どんな形であれ愛したい人がいるんです。

 大切にしてもらった記憶の中にしかいない父親に、心の中で詫ながら、透は浅い眠りについた。

 目が覚めたのは、架月の声が耳に入ったときだった。

 おじちゃん、ありがとう。気をつけて帰ってね。

 目を開けると、すでに日が暮れ、カーテンは開けたままになっている。体を起こすと、少し楽になっていることに気づいた。廊下の電気が点き、軽い足音が近づいてくる。

「おにいちゃん、寝てなくちゃ駄目だよ」

 制服のブレザーを脱いだ架月がベッドに乗り、透の背中にとびつく。手元の小さな発光が、体温計の画面に見えた。にわかに透の服を引っ張り、腹があらわになってしまう。透が驚いて固まった隙に、冷たい体温計が腋窩に差し込まれた。

「昨日は、ごめんなさい」

 架月は、ぎゅっと透を抱きすくめる。

「クラスの子とランチをしていたときに、お兄さんやお姉さんの話になったんだ。皆のお兄さんやお姉さんには、つき合っている人がいるのに、おにいちゃんは俺のせいでそういう余裕が無い。俺のせいなんだって、思っちゃって」

 架月が顔を寄せ、泣きそうな息遣いが間近で聞こえた。そういう経緯だったのか、と透は理解した。

 体温計が鳴り、透は服の中から出して画面を確認した。微熱の範囲内だ。

「おにいちゃん、やっぱり熱がある。いつもより、温かい」

 体温を自覚すると、楽になったはずの体がまた重く感じた。

「架月、ごめん。もたれかかって良い?」

「え、うん」

 架月に背中を預け、透は息を吐いた。部屋の電気は点けず、暗いままだ。

「重いだろう」

「全然。おにいちゃんがこういうことをさせてくれるのは、初めてだよ」

「そうかな」

「嬉しい。おにいちゃんに頼ってもらっているみたい」

 架月が、ふふ、と笑い、透の頬に息がかかる。今朝のような遠慮は見られず、生き生きとしている。以前よりもますます、人間として可愛らしく感じられる。

「おにいちゃんは、素敵な人。今日は可愛いね」

「昨日は?」

 何の気なしに訊ねると、架月は口をつぐんでしまった。地雷を踏んだ、と透は思った。

「昨日は……魅力的なおにいちゃん。俺、ちょっとだけ大人になった気がする」

 照れたように口ごもる架月をからかいたくなり、顔が近いのを自覚した上で後ろを向いた。わざと頬を近づけると、架月の唇がぶつかってしまう。はからずも透の頬に口づけをしてしまった架月は慌てて身じろぎ、バランスを崩してベッドに倒れてしまった。透も共倒れし、薄暗い室内で視線を絡め、架月の唇を指先でなぞる。

「まだまだ、可愛い架月だな」

 架月は口を真一文字に結び、頬を膨らませた。透は架月の頬を撫で、再び起き上がった。

 架月が就寝したら、手ぬぐいで包んでおいたマグカップを金継ぎし始めよう。傷ついてしまっても、欠けてしまっても、大切にしたいと思う人がいる。その人のために、手を伸ばして繕いたい。

 開けたままのカーテンの向こうは、夜空が広がっている。空の闇を数々の星が埋める夜空だ。欠けた夜空を星屑が修繕していた。

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