第42話

「始めは、下心なんて無かった。それなのに、このような許されないことをして、本当に申し訳ない」

 透は座椅子を引いて征樹の前で正座し、両手も額も床につけて、土下座した。

「透、やめなさい。頭を上げて」

 征樹に体を起こされ、重い頭をもたげる。

「嫌なことを訊くが、その……口を吸っだけか?」

「手を握って、抱きしめもした。服を脱がせたり、素肌を触るようなことはしていない」

「そこで踏みとどまれて、偉いよ」

「偉くなんか、ない」

「偉いよ。踏みとどまれない人もいる」

「そもそも、こんな気持ちになること自体が悪いことなのに」

 透も征樹も、口を閉ざした。透は座椅子に戻り、目を閉じた。体中がだるく重く、喋るのも億劫だった。

「おい、透。大丈夫か。横になりなさい」

 座位を保つことができず、透は大きく傾いてしまった。征樹に手伝ってもらって横になり、座布団を畳んで枕代わりにした。

「熱があるじゃないか」

「……そのうち、解熱剤が効くから」

「効いていないみたいだぞ」

「うん」

 何の返事なのか、自分でもわからない。

「透、寝ながらで良いから、聞いてくれ。架月がここで暮らすより前に、架月から言われたことがあるんだ。おにいちゃんにキスをしてしまった、と。夜寝ているところを、一方的にしてしまった、と。あの子が中学3年生になる春休みだったかな。透のところに泊めてもらっていた間だ。初めて会ったときから、透のことが好きだったそうだ」

 透は目をつむって話に耳を傾け、やはりあれは架月だったと事実確認した。

「それでも、架月を透から遠ざけるつもりは無かった。我が家はあんな状態だった。架月が唯一心穏やかで過ごせるのは、透のところだけだった。その居場所を奪うことは、したくなかった。だから、たまたま架月の入学式に行けないとわかったとき、透にも出席してもらうことにした。架月に寂しい思いをさせたくなかった。せめて透と一緒にいるときだけは、伸び伸びしてほしかった。架月から気持ちを打ち明けられたときは驚いたが、綺麗な恋愛感情を壊したくなかった。誰かを好きになって自分も変わろうとする架月を見守りたかった。入学式の後、俺は事故で入院してしまったが、それがなければ、架月を透に預ける話をしたかった……その話をする前にあんなことになってしまい、結果的に透に架月の面倒を見てもらっているが」

 今年に入ってからの話なのに、ずいぶん昔のように感じてしまう。

「体の関係になってしまうようなら黙認できないが、現状のように架月を第一に考えてくれるなら、これまで通り架月を託したい。俺も、架月のことで頼れるのは、透だけだ」

「……本当に、ごめんなさい」

「謝るな。それにしても、透が誰かを好きになるなんて、おじさん嬉しいよ」

「よりによって、架月だけどな」

「架月が愛されていると知ったら、カイトも安心するだろう」

 カイト、と聞いて、透は思い出した。高校の文化祭にいたというフリーペーパーのスタッフの名が、新田解人だ。

「カイト……⁉」

 透は起き上がり、居間を離れた。昨日もらった名刺とフリーペーパーを持って居間に戻り、征樹に見せる。

「この人か……?」

 征樹は目を見開いて名刺を見つめ、やがて目を細めて微笑んだ。

「会ったのか。カイトに」

「俺じゃなくて、知り合いの知り合いが。高校の文化祭で架月が倒れたときに、この人が近くにいて、助けようとしたらしい。文化祭の取材に来ていたようで、名刺をもらってくれた人が言うには、何となく架月と似ていたらしい」

 うんうん、と征樹は何度も頷く。

「そうか、そうか。カイトは架月に会ったのか。言われてみれば、架月はカイトに似てきたかもしれないな」

 征樹はひとりで納得し、微笑ましそうだった。

「カイトが電話で話してくれたよ。取材で高校の文化祭をまわっていたときに、カヅキという子に会ったのだけど、あれはあの架月だったのかもしれない。だとしたら、自分には合わせる顔がない、と」

「ちょっと待ってくれ。そのカイトという人は、架月の親戚か何かなのか」

「カイトは、架月の実の父親だ」

 透は、頭を殴られた心地がした。

「40歳にはなっていないみたいだと聞いたけど」

「カイトは確か……今年で37歳になるはずだ」

「若いな」

 色々と衝撃的で、透は言い回しが思いつかなかった。

「俺が教職員時代に受け持っていた、最後の生徒のひとりだった。色々と事情がある子で、気にするようにしていたんだ。今でも連絡を取り合っている。架月の学費や養育費は、カイトが支払ってくれているんだ。贖罪のつもりみたいで」

「贖罪。何の」

「実の子である架月に愛情が湧かなかったこと」

 透は寒気を感じ、背中を丸めて縮こまった。後ろめたい経緯で生を受けた透でさえ、両親から愛情を受けて育った。それなのに、架月の父親は、架月に愛情が湧かず、現状は実の息子を避けている。

「透には、信じられないかもしれないな」

 征樹は透の額に手を当て、横になることを勧めてくれた。透はまた座布団を枕にして横になり、息を吐いた。

「俺は、架月のことを何も知らない。架月が何に怯えてしまうのか、未だにわからないことがある。理解して、尊重したいのに、架月は何も話してくれない」

「話さないんじゃない。話すような思い出が、何も無いんだ」

「教えてくれ。架月のこと。カイトという父親のこと」

 わかった、と征樹は頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る