第40話

 駅前のロータリーに車を停めて架月を待つ間も、考え事をしてしまう。

 架月は児童養護施設にいたと聞いていたから、身寄りが無いのだと思っていた。だが、親戚がいる話も聞いたことがない。征樹の知り合いの子だった架月が征樹の養子になった経緯も不明だ。

「おにいちゃん、ただいま」

 架月が助手席のドアを開け、パンの袋に気づいた。

「おかえり、架月。それ、おみやげ。架月の分の、塩パン」

「俺、お腹いっぱいだよ」

 いそいそとパンの袋をどけて、架月は助手席に座る。

「何をそんなに食べてきたの?」

 透は車を出し、架月に訊ねた。

「チャーハンと餃子。タンメンを食べた人もいた。それと、黒酢豚を皆で分けてきた」

 答える架月の声が、弾む。楽しかったようだ。

「パンは明日のお弁当でも良い?」

「そうだな。架月は頭が良いな」

 また子ども扱い、と架月がむくれた。

「俺は、おにいちゃんに見合う人になりたいのに」

 透は、急ブレーキを踏みそうになった。

「ごめんね。迷惑だよね」

 架月は、しゅんとなってしまい、ただでさえ少ない口を閉ざしてしまった。架月は以前、自分が透の重荷になっていると思い、落ち込んでいたことがあった。そのときと似ている。何か言わなくては、と思うが、気の利いた言葉が思いつかない。何か言わないと、迷惑だと肯定することになってしまう。

「迷惑だなんて、思っていないよ」

 透は正直に答えた。これしか思いつかなかった。架月は以前よりも心を許したように透に接してくれるが、どこかで身を引いてしまう。トラウマでもあるかのように、怯えてしまうことがある。

「迷惑だと言われたことがあるの?」

 透が訊ねたが、架月は答えなかった。

「架月は、俺のことを迷惑だと思う?」

「思わないよ! 思うわけないじゃん!」

「俺も、思わないよ」

 赤信号で停止し、透は助手席の架月に手を伸ばしてみた。架月は透の手を取り、両手で包む。その手が震えていた。架月の表情を伺うと、大きな黒い瞳を震わせ、目を逸らされた。信号が青になると、架月はにわかに手を離してくれた。スーパーで買い物をして家に着くまで、最低限の会話しか交わせなかった。

 家に入り、荷物を下ろすと、架月は居間にしゃがみ込んでしまった。

「架月、具合でも悪いのか?」

 透は架月の正面に膝をつき、俯く顔を覗き込む。形の綺麗な唇が真一文字に結ばれ、鼻の頭が赤くなっている。

「やっぱり、俺、邪魔者だよ。おにいちゃんに、迷惑をかけている」

「そんなこと、ないよ。俺は架月が」

「俺が好かれることなんて、無いんだよ!」

 架月は俯いたまま、声を絞り出した。無理矢理出した割れた声が、透の鼓膜も胸の内も鋭く刺す。聞きたくない。透がそう思っても、架月には伝わらない。

「俺は邪魔者で! 人に迷惑をかけることしかできなくて! 人に悪口を言わせて! 傷つけて!」

「違う」

 透は架月の頬に触れ、顔を上げさせる。それでも、透の目の前で、架月は自分の心を刺す。

「……俺なんか消えちゃえば」

 自傷する言葉は唇で制し、次ぐ言葉は舌で封じた。頬に触れていた手は、なめらかな髪を梳き、後頭部を撫で、うなじに触れた。ひくん、と少年の細い体が震え、舌が離れるのがわかった。唇を重ね直すと、おそるおそる、機嫌を伺うように、舌先で歯列に触れられる。舌を伸ばし、絡めるように深い口づけを施し、体を寄せた。唇の隙間から熱を持った吐息がこぼれ、ぴったりと重ね直すと、人様に聞かせられない声が鼻から漏れた。もう何年も縁がなかった感覚を体が思い出す。ぞわぞわとこみ上げてくる感覚は腰から背中にまでのぼり、理性がとびそうだ。

「お……にいちゃん」

 可愛らしい舌がいじらしく言葉を紡ぐ。

「トイレ……行ってくる!」

 架月は突きとばすように抱擁を解き、膝立ちでトイレの方へ向かった。

 透は深く息を吐き、くらくらする頭に手を当てる。腰が抜けて立ち上がれず、床に倒れてしまう。快感が体中を巡るのに、心の底から後悔が湧いてくる。後悔が上回る。

 架月に手を差し伸べた。自分が守らなくてはならないと思っていた。それなのに、架月に手を出してしまった。架月を傷つけてしまった。もう、限界かもしれない。

 スマートフォンを取り出し通話履歴から勝呂征樹を選択する。コールをしても、なかなか通話にならない。相手が出たと判断し、透は声を絞り出した。

「ごめん。俺には、架月の面倒を見る資格は無い」

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