第5章 欠けた月を星屑で繕う
第37話
社会から見放されたような透にも、交際相手がいた時期があった。彼女とは、キスも、それ以上の行為も、あった。気が合う子だった。毎日メールのやりとりをしていた。透のこの生活でも良いと言ってくれた。それでも、別れた。お互い、何となく、続けられないと思ったからだ。彼女の容姿は可愛い部類に入っていたが、彼女のことが可愛いと思えたことがなかったかもしれない。昔の話だ。未練はない。
そのようなことを思い出しながら、寸胴鍋のポトフを、使い捨てのスープカップに盛り、イベントの参加者に渡した。
10月末、世間の若者がハロウィンに浮かれる頃、日が暮れた「ほうがの里」では、屋外で明かりをつけ、婚活イベントが行われていた。参加者はアルコール類は提供しないが、料理を囲んで参加者男女とも盛りあがっていると思いきや。
「弟さん? 可愛いね。高校生?」
「良いなあ。あの頃に戻りたい」
「部活やってるの? 休みの日は何して遊んでるの?」
判断を誤った、と透は思ってしまった。夜に架月を家に置いておくことに抵抗感があり、ボランティアとしてイベントの手伝いをやってもらっていたのだが、イベントの参加者は架月に興味を持ってしまい、まるで年の離れた弟のように可愛がる。婚活イベントなのに、これではカップルが成立しない。
架月はテーブルにオードブルを並べ、どこで覚えたのか、にこやかな営業スマイルを浮かべた。
「参加者の皆さんの中には入らない、という約束でスタッフをやらせてもらっているんです。今後もこういうイベントスタッフのお仕事をやりたいので、皆さんも協力してもらえませんか?」
架月、ナイス。透は、心の中でガッツポーズをした。架月の発言を、参加者は好意的に受け取ってくれた。
「いいよ、いいよ。ごめんね、仕事中なのに」
「お仕事頑張るんだよ」
「また会いに来ても良い? 遠くから眺めるだけだから」
はい、是非。架月は、にこやかに答えた。嫌ではないが表情をつくっている、と透は思った。最近やっと、たまに架月の本音と建前がわかってきた。これは、建前だ。
「架月くん、お兄さんのこと好き?」
参加者に訊かれ、架月は頬を綻ばせる。
「うん。大好き」
これは、本音だ。参加者は気づきもしないだろう。大好き、の真の意味に。
イベントが終わり参加者が帰ると、後片付けをして、「ほうがの里」の職員も退勤する。オードブルの残りをタッパーにもらい、透は架月を連れて駐車場へ移動した。
「おにいちゃん、荷物持つよ」
「もう車に乗るから、大丈夫だよ」
「おにいちゃんは、いつも優しいね」
架月を助手席に座らせ、タッパーはビニール袋に入れて後部座席に置いた。あらかじめ後部座席に用意しておいたものを手にし、透は運転席に座る。実は、仕込んでおいた。架月を夜に家に置いておくことに抵抗感があり、イベントが終わったら早く渡したいものがあるのだ。
「架月」
透は車の中のライトを点け、新品の大判ハンカチに包んでいたものを開けた。丸いフォルムの、しのぎマグカップ。白釉をかけ、月のようなイメージにした。
「誕生日おめでとう」
架月の、黒目がちな瞳が見開かれる。今日は架月の16歳の誕生日だ。
「俺のエゴかもしれないけど、架月のお祝いができて、嬉しい」
架月は透を見つめ、目をうるませる。
「俺の、お祝い?」
「そうだよ」
マグカップを包む架月の手を、透は両手で包む。山の冷たい空気に冷やされた車内で、体温を共有するように、じんわり温かくなる。
「俺なんかの」
「なんか、なんかじゃ、ない。架月は、俺の大切な……」
続く言葉は、唇を重ねられて消された。ふたりの唇の間から漏れた生々しい音に、心臓が大きく脈打つ。透は驚き、架月の手を離してしまった。
「ごめん……おにいちゃん。迷惑なの、わかっているのに」
架月は俯き、唇を真一文字に結ぶ。シートベルトをしようとしたその手を、透は制し、架月を抱きしめる。身動きが取りづらい車内で、不自然な体勢で、体を張って、できる限りの誠意を見せたつもりだ。時間を忘れて身を寄せ合っていると、架月の方から、口を開いた。
「落としちゃった! おにいちゃんの作品」
「ああ……あったよ」
架月の足元に、ハンカチに守られてマグカップが転がっていた。架月は愛おしむようにマグカップを手にし、しっかり腕に抱いた。
「ありがとう、おにいちゃん」
綻ぶような微笑みに、透はしばし見とれてしまった。これは、本音だ。
「でも、ずるいな。おにいちゃんは、ずるい」
微笑みは憂いを帯びる。ずるいのは、どちらだよ。言えないけど。
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