第36話

 校内を一通り見ると、杏子は「じゃあ、行くわ」と帰る気満々になってしまった。まだ昼過ぎである。

「もう、ですか?」

灯子トコのところに寄ってから、益子に帰る」

「俺、送りますよ」

「平気。ここの最寄り駅からは、行きやすいんでしょう」

「20分歩きますよ」

「そのくらい歩けるっつの」

「すみません」

「謝んなよ。あんたのせいじゃない」

 文化祭で賑わう校内でも、杏子のアニメ声は馴染まずに耳に響く。

「ありがとう。あの子に会わせてくれて。今日は楽しかったよ。また、いつか」

 華やかに飾りつけられた門の前で杏子を見送り、ひとりになった透は、茶道部のある和室に向かった。あらかじめ茶道部にも差し入れを買ってくれば良かったと思った。校庭の屋台には、水屋でつまめるようなものがなかったからだ。

「あ、架月のお兄さん」

「架月、遊んでおいでよ。こっちは大丈夫だから」

 水屋を覗くと、茶道部の部員が気づき、架月を呼んでくれた。

「おにいちゃん」

 着物姿の可愛い女子の中で、架月は地味な着物なのに目立っていた。透のひいき目に見て、架月が一番だと思ってしまう。

「架月、一緒にまわろうよ」

「え、でも」

「デート」

 透は架月の耳元で囁いた。架月の耳が赤くなる。

「いこ」

「うん、行こう。体育館で箏曲部の演奏会があるって」

「見に行くって、しーさんと約束していたんだった!」

 和室を出て、体育館に向かう前に、気になっていたタピオカドリンクを買った。ミルクティーが定番らしいが、ミルクティーは売り切れていた。透はカフェオレ、架月は苺ミルクを選んだ。

「タピオカって、芋のでんぷんなんでしょう?」

「架月は物知りだな」

 良い子、良い子。頭を撫でると、架月は頬を膨らませた。

「お腹いっぱいになっちゃうよ。おにいちゃんの美味しいサンドイッチも食べちゃったから」

「食べてくれたんだ。ありがとう」

 タピオカを飲み終えてから、体育館へ箏曲部の演奏を聴きに行った。袴姿の架月は有名になっており、あれ架月じゃない?と話し声が聞こえた。一緒にいる透も評価される。

「おにいちゃん、格好良いって」

 架月が嬉しそうに耳打ちした。吐息がくすぐったい。

 箏曲部の演奏会の後は、架月のクラスに向かった。映画喫茶をやっており、教室の出入口で飲み物や食べ物を買い、教室の中で映画を見ながら飲食できる。

「架月! 有名人じゃん!」

「架月、これ持ってよ」

 クラスメイトにおもちゃの日本刀を渡され、漫画のキャラクターのようなポーズを決める架月。自宅では見ない姿だ。

「お兄さん! お久しぶりです!」

 梅雨時期にショッピングモールで会った、応援団のような男子達も、びしっと整列して出迎えてくれた。

「お兄さん、中へどうぞ!」

「次の映画が始まります!」

「あ、ありがとう」

 暗幕で暗くした室内にスクリーンを降ろし、「スタンド・バイ・ミー」が始まったところだった。

「架月、観たことある?」

「初めて。原作は、この前読んだ」

「映画もおすすめだよ」

「おにいちゃんと映画を見るのも初めて」

「そういえば、そうだな」

 しばらく会話もなく、透は昔に見た内容を思い出しながら鑑賞した。線路を歩きたくなったんだよな、とか、しばらくパイ菓子が食べられなくなったよな、とか。図書館でビデオテープを借り、両親と一緒に見た。あの頃が懐かしい。

 架月の表情が気になり、ちらっと見てみた。架月は大きな目を輝かせ、映画に見入っていた。

 両親と一緒に見た、あの頃が懐かしい。でも、あの頃に戻りたいとは思わない。目を輝かせて映画に見入る架月に、もっとたくさんの作品に触れてもらいたい。

 架月は素敵な大人になれるよ。恥ずかしくて、言えないけど。横顔を眺めていたいが、明らかに変人になってしまうので、映画を見ながら隣に居られる幸せを噛み締めるることにした。



 翌日も、架月は袴姿で文化祭に参加した。放課後に透が迎えに行くと、顔には疲れの色が浮かんでいた。架月に早く夕飯を食べさせ、風呂に入らせ、透はアトリエで作陶をする。今つくっているのは、「しのぎ」という模様のあるマグカップだ。形成し、ある程度粘土が固まった器に、カキベラで側面上下を細く削る。横から見るとぽってり丸いマグカップは、白釉をかける予定だ。丸く、月のようなマグカップ。技術は杏子に遠く及ばないが、どうしてもこれをつくりたい。

 気がつくと、架月が隣で作業を見ていた。

「架月!?」

「驚かせちゃった。ごめんね」

「あ、いや、作業は終わったから」

「おにいちゃんの作品は、素敵だね」

 架月は、しのぎのマグカップを見つめ、微笑んだ。風呂上がりの柔らかい髪に、シャンプーの匂いが、鼻をくすぐる。あと1か月ほどで、架月は16歳の誕生日を迎える。透は、胸の中でほろほろ融けてゆくものを感じた。

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