第35話

 職員室に挨拶して手土産を渡した後、車に乗り、透が向かったのは、高校の最寄り駅とは異なる路線の駅だ。高校から、車で片道20分。

 ロータリーで相手を待っていると、相手はすぐにやってきた。

「高校の最寄り駅で良かったんだけど。というか、自力で行けるんだけど」

 相手は文句を言いながら、後部座席に座った。この人は、絶対に助手席に座らない。人当たりが強い割に、人と距離を置きたがる。こういう人だと認識しているから、透は気にしない。

「最寄り駅まで行くのに、どれだけ乗り換えをしてどれだけ時間がかかると思っているんですか」

「相変わらず、気持ち悪いくらい気遣いをするのね。惚れちまうだろうが」

「勘弁して下さいよ、キョコさん」

「まあ、よろしくお願いね、運転手さん」

 サングラスを外し、三浦杏子はシートに背中を預けた。

「楽しみだな、あの子の晴れ舞台」

「そうですね」

 透は車を出し、高校に引き返す。

 夏休みの間に、架月が高校の茶道部に入部したことと9月末の文化祭でお茶席があることを杏子に話すと、杏子はすぐに「行かせろ」ととびつき、都合をつけて来てくれた。益子町から新幹線では遠くなってしまい、在来線を使っても最寄り駅までかなり時間がかかる。車で来ても駐車場に限りがある可能性を考えて、透ができる範囲で迎えに行くことにしたのだ。

「架月、驚きますよ」

「話してなかったの?」

「ええ。反応が楽しみで」

「あんた……あの子をもてあそんでいるわね」

 杏子の圧が怖いので、なるべくスピードを上げて高校まで急いだ。高校の駐車場は混み合っており、臨時駐車場に車を駐めた。

 開始時間ぴったりに校門をくぐり、パンフレットの地図を見ながら茶道部のある和室に向かう。

「茶道部の子、男子?」

「格好良いんですけど」

 受付に並んでいると、そんな会話が聞こえた。話題にされているのは、絶対に、架月だ。

「そわそわすんじゃないよ」

 杏子にはすぐに見抜かれてしまった。

「おにいちゃん」

 水屋のドアを開け、架月が顔をのぞかせる。

「キョコさん!」

「架月、久しぶりね」

「来てくれたんだ」

 架月は大きな目を輝かせ、杏子にとびつく勢いだ。杏子は杏子で、優しく目を細める。

「先生にお願いして、次のお席で点てるからね。盆略ぼんりゃくだよ」

 盆略点前は、小さな盆に道具を乗せて行う、一番簡単なお点前だ。

 架月は水屋に戻り、透と杏子は受付をして和室に進む。案内の生徒に架月のことを話し、次の盆略点前の席に入れてもらえることになった。

 広い和室には、盆略点前の他に、風炉点前の席と、春秋棚を使い客は椅子に座ってお点前を頂戴する立礼席があった。

「キョコさん、大丈夫ですか?」

 人と距離を置きたがる杏子は、人混みが苦手だ。酔っていないか気になって声をかけたが、返事は、大丈夫とのことだった。

「あんた、先に座りなさいよ」

「キョコさんを差し置いてかみに座れませんよ」

「架月は、あんたに見てもらいたいのよ。あんたが一番近くに行きなさい」

 盆略点前が終わり、お客さんが移動を始める。透は杏子に押されるように盆略点前の一番席に入った。

「やった、正客」

「俺が、ですけどね」

 後からお客さんが入り、架月が山道盆を持って茶道口でスタンバイする。正座し、主客総礼。盆を持って立ち上がり、静かに歩みを進める。畳の縁を踏まないように、摺り足気味で、真新しい白い足袋で。点前畳に盆を置き、架月は緊張した面持ちで、腰につけた紫色の袱紗ふくさを取り出し、お道具を「清める」。袱紗さばきをこっそり家で練習していたのを、透は知っている。なめらかな手つきは、どこか艶めかしい。他にお客さんが見ているのに、架月が透ひとりのためだけにお点前をしてくれるのだと錯覚してしまう。この瞬間、何とも言えない、ふわっとした気持ちになった。

 小さな饅頭を頂き、架月が点てた泡の細かいお茶を頂き、茶碗を返した。紅いもみじが描かれた茶碗だった。他のお客さんもお茶を頂き、架月は道具を片づけ、茶道口に戻る。主客総礼。お点前が終わった。

「おにいちゃん、キョコさん」

 和室を出ようとしたとき、架月が水屋口から出てきた。

「架月、良かったよ! おばちゃん、感動しちゃった」

「キョコさん、お姉さんでしょ」

「何言ってんの。25、6で母になっていたとしたら、あんたくらいの子がいてもおかしくないのよ」

「キョコさんはお姉さんだよ」

「あんたも頑固ね」

 杏子に頭をぐりぐりされても、構ってもらう子どもみたいで、架月は嬉しそうだ。

「俺、チラシ配ってくるね」

「サボっちゃえば?」

「キョコさん、何を教えているんですか」

 3人で外に出て、架月が草履を鳴らし、茶道部のチラシを配る。茶道男子の話題性は抜群で、すぐにチラシがなくなった。

「抹茶淹れてくれるんですか?」

「見ても良いですか?」

「写真撮影可ですか?」

 主に女性から、質問が相次ぐ。架月は、女性達に押されるように和室に戻っていった。

「架月、モテるのね」

「あんなに人に囲まれるのは、初めて見ました」

 残された透と杏子は、ぶらぶらと他の団体も見始めた。杏子は特に、華道部の器に興味を示した。

「タピオカ!」

 タピオカの屋台が懐かしそうだが、透には縁が無い。

「透、タピオカ飲んだことないの?」

「ないです」

「じゃあ、架月と飲みなさい」

「今じゃないんですか」

「あれ、結構お腹に溜まるのよ」

 杏子は割と楽しそうだったが、顔色は良くなく、無理をしているように見えた。

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