第34話

 秋は、朝晩に気づかぬうちに、忍び寄る。

 高校の夏休みが明けて2学期が始まったときは真夏同然の気温だったが、いつの間にか朝晩が涼しくなっていた。あと1か月もすれば、薄手のコートが必要な時期になる。

 9月の第4土曜日。架月の高校の文化祭だ。

「俺ひとりで着付できるから、おにいちゃんは寝てて!」

「着付の前に、ゆっくり朝ご飯を食べようよ。出発は7時半なんだから」

 朝5時半。油断も隙もない架月に、昨日の夕食の残りを朝食として食べさせた。その時点で、6時。架月が部屋を閉め切って着物に着替える間に、透はサンドイッチを用意して、いつでも架月に渡せるようにスタンバイした。ブルーベリージャムのサンドと、BLTサンド。ジャムサンドは、庭のブルーベリーを煮詰めたジャムを米粉の食パンで挟んだ。BLTサンドは、全粒粉の食パンに家庭菜園のレタスとトマトと、ブロックベーコンを無理矢理薄く切って挟んだ。

 キッチンの片づけをした後、フローリングに掃除機をかけていると、お待たせ、とかすかに聞こえた。

「架月、ごめん。うるさくて」

 掃除機を止めて振り返ると、袴姿の架月が佇んでいた。瞑色の単衣に薄墨色の行灯袴が、古民家の雰囲気に合っている。

「おにいちゃん、お待たせ」

 綻ぶような微笑みに、透はしばし見とれてしまった。

「着崩れてないかな」

「あ……いや、大丈夫。綺麗に着られているよ。早いけど、行くか」

「そうだね。よろしくお願いします」

 念のため、と、架月はサブバッグに制服とローファーも持って行く。基本的に着替えは校内で行わなくてはならないが、着付をできる教員が少なく、外部の人間を文化祭の時間外に入れるわけにもゆかないので、着物を着る団体の生徒は着物での登校が許可されている。ただし、スクールバスは普段から制服着用でないと利用できず、文化祭の2日間も例外は認められなかった。

 茶道部は、文化祭の参加団体の中でも、色々と厳しい。着物でないと参加できない、というところが、まさにそうだ。結局、直前になってから、男子も着物で、と顧問の教員から指示があった。副顧問の富田睦美教諭が、1年生の部員の親に夏休みの間にこっそり教えていため、1年生は余裕をもって準備できたらしい。

 なぜ着物での参加が必須なのかというと、過去に制服のスカートの中を盗撮された女子部員がいたからだという。客は畳に正座し、部員は近くまで立って歩いてくる。座る前のわずかな瞬間を撮られた事件をきっかけに、昔気質の顧問は、文化祭で着物着用に方向転換した。着物を用意できない部員は、水屋でお茶の点て出しか、亭主も客も椅子に座る立礼りゅうれいを手伝うことしかできないため、部員全員が何とかして着物を着てくるらしい。

「着物を譲ってもらって、良かったね」

 透は、休日で車が少ない道路を、流れるように運転する。

「うん。でも、おじちゃんにわがまま言っちゃったな」

「征樹だって、架月にあげたかったんだよ。架月の父親だもの」

 父親。そのフレーズで、架月は口を閉ざしてしまった。透は、とっさに話題を変えた。

「逸樹は、残念だったな。日程が重なっちゃって」

「うん、本当に。逸樹のところに行きたかった」

「逸樹も、架月のところに行きたかったと思っているよ、きっと」

 逸樹の高校の文化祭も、架月の高校と同じ日程だ。征樹は仕事と重なってしまい、両方に顔を出すことができない。

「そういえば、おにいちゃんは何時に見に来るの?」

「10時から始まるんだよね。その時間に行くよ」

「家に戻る時間が無いよ」

「時間を潰してから行くよ。用事もあるし」

 高校の駐車場に車を駐め、架月を降ろして透も降りた。

「おにいちゃんも来るの?」

「先生達に菓子折を買ってきたからな」

「そんなに気遣いをするのは、おにいちゃんくらいだよ」

 校門前は華やかに飾られ、入学式とは明らかに異なる、異質な空気になっていた。

「架月!?」

 聞き覚えのある少女の声が、ひっくり返った。

「しーさん」

 架月は冷静に、クラスメイトに答える。何かと関わりのある、酒々井しすい千絵ちえだ。

「何? 着物? 袴? てか、おはよう」

「うん。おはよう。茶道部は着物で参加なの」

「本当に? 茶道部行っちゃおうかな」

「是非来て。一席100円」

「金取るんかい!」

「安いな」

 無料でないことに驚く千絵に対し、透は安価であることに驚いた。大茶会は、一席400円や500円かかるのがざらだが、学校はあまり金を取らないらしい。

「あ、お兄さん、おはようございます。お姉ちゃん、2日間ともお仕事になっちゃって、来られないんです」

「あ……そうでしたか」

 千絵の姉の千津と会う約束はしていないが、会えるものだと思っていた。きっと、千絵の楽しむ姿を見たかっただろうに。

「あれ、架月!?」

「なんか、格好良い」

「男の色気?」

 知り合いらしき女子がざわつき始める。

「架月、何部だっけ?」

「茶道部。クラスの出し物に参加できなくて、ごめんね」

「他の男子に任せたから、大丈夫だよ。茶道部、行くね」

「ありがとう」

「架月、荷物持つよ」

「ちょっと、しーさん! 抜け駆け禁止!」

 架月は、女子達を連れて校舎に入っていった。透は頭の整理が追いつかず、しばらく呆気にとられてしまった。

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