第31話

 架月が、びくりと震えた。

 新田架月。透は、そのように頭の中で変換した。

「あいつ、またパパ活してんのか」

「相変わらず、節操なしだな」

「可哀想な子って、それだけで得してるよな。世の中不公平だ」

 騒がしいフードコートのフロアで、少年達が声を張る。

 架月が、透の開襟シャツの裾を、ぎゅっと握った。顔をうかがわずとも、怯えているのが予想できた。

 近くのテーブル席で、高校生と思しき男子が、こちらを見て笑っている。透は、架月と逸樹を連れてフードコートを出ようとしたが、逸樹はそれに、つられなかった。

「そんな言われようをしたら、傷つく人がいるんじゃないかな」

 逸樹はまっすぐテーブルに向かい、席に座っている少年達に話しかけた。少年達は顔を見合わせて、笑い合う。透は、寒気がした。この笑い方を知っている。意図して人を傷つけようとする者の笑い方だ。

「言われた方が傷つかなければ良いだけの話じゃね?」

 そう言われ、逸樹は静かに少年のひとりを見据える。その眼差しは、父親の征樹と似ていた。

「当事者間でなくても、たまたま耳に入った人も、良い気はしないと思うよ」

「は? 勝手に話に入って、話をこじらせて、マウント取ってんじゃねえよ。悪者扱いされて、俺達傷ついたわ」

「だったら、傷つかなければ良いのでは」

「それはお前の持論だろ。だいたい、逸樹は昔から架月をかばってばかりだな。政治家の先生の息子が偏見の目で人を見て、恥ずかしくないのか」

「父は関係ない」

「ありますー」

 詭弁でも言い負かしたい少年達と、冷静に少ない言葉で論破したい逸樹のやりとりは、平行線を辿ってしまう。逸樹もそれに気づき、きみ達の考え方はそうなんだね、と平静を装って頷いた。

「俺の考えだと、パパ活も、節操なしも、得も、不公平も、全部嘘だからな。公衆の面前で嘘を言いふらされる身にもなってもらいたいな。じゃあ、そういうことで」

 逸樹はきびすを返し、もう大丈夫だ、と言うように架月の肩を叩いた。

「逸樹、すごいな」

 透は、ただただ感心した。透だって、あそこまで言い返せない。

「あいつら、昔からあんな感じなんだ。たちが悪くなるまえに身を引くのが一番」

「まるで征樹だ」

「父さんには勝てないよ」

「将来は言い負かすだろうな」

「透くん、買い被りすぎ」

 話を聞いていた架月が、わずかに表情を和らげた。和やかになりかけたと思ったときだった。

「他人にいさかいを起こさせてんじゃねえよ!」

「いつも、そうやって自分だけ見物しやがって!」

「残念だったな! お前の性格の悪さが、新しいパパに露見しちまったよ!」

 この場から離れようとしてもなお、少年達は言葉を投げつける。ぐっ、と逸樹がこらえた。架月は再び、怯えてしまう。大人である自分が何か言わなくては、と透は思ったが、上手い言葉が思いつかない。

「俺は以前から見て知っているよ。架月も逸樹も、素直で優しい性格だと。俺はいつでも、従弟の味方だ」

 わざと聞こえるように言ってやると、少年達がざわついた。おっさんだろ、と。透は聞かないふりをして、架月と逸樹の背中を押してフードコートを出た。レストランエリアのお高めな和食の店に入り、海鮮丼を注文した。

「おにいちゃん、ごめんなさい」

 架月は、なめらかな声で、切れそうな糸のように細く呟く。

「架月は何も悪くないじゃん」

 逸樹がフォローした。

「でも、火のない所に煙は立たない」

「架月……やっぱり、あいつらとはボキャブラリーが違うわ。俺は、架月と話している方が楽しい。この間も、化学のわからないところをメールで話せて良かったよ」

「メールでそんな話を?」

 架月が逸樹とメールのやりとりをしていることは透も知っていたが、勉強の話をしているとは思わなかった。

「俺は逸樹に頼ってばかりだね」

「これからも頼れよ。俺は、架月のことを最高の友人だと思っているからな」

 ありがと、と架月は呟いた。透は、物寂しさを感じた。少年ふたりの中に入れず、入ることは無粋だが、疎外感をおぼえた。

「今日のこと、父さんに話した方が良いかもな」

 逸樹が架月を見やり、了解を求める。

「あいつら、施設……架月が以前住んでいた場所の奴らなんだ。まさか、ここに来るとは思わなかった。自転車だと遠いけどバスが出ているし、高校生となると、ここまで遊びに来るんだな」

「ごめん。俺の配慮が足りなかった」

「透くんのせいじゃないよ。俺も想定していなかった。もしもあいつらがスマホを持っているとしたら、グループチャットやSNSにあること無いこと書き込むかもしれない。それが怖いから、念のため、父さんに話しておきたい」

「ああいうところは、携帯電話とかの持ち込みが禁止されていたりしないのか?」

「……禁止だけど」

 架月が呟いた。

「先生から生徒にメールで連絡があったり、アルバイトをするのに連絡手段がないといけないから、こっそりスマートフォンを持っている人もいる」

「やっぱり」

 逸樹は、冷たい緑茶を飲み、苦い顔をした。

 架月は、膝の上でこぶしを握り締める。

「俺が、いけないんだ。途中で苗字が変わったから、大人に取り入って養子にしてもらったって、思われて」

「なんで、そんな言い方を」

「やっかみだよ、透くん」

 逸樹は、あの少年達の言動のベースを理解している。

「やり込めて優位に立たないと、やってゆけないと思っている」

「俺、あの一言がかなりえぐられたんですけど」

 唯一、直接的に透が受けた言葉は、おっさんだろ、だった。

「透くんは昔から、透くんだな。年齢とか、気にしたことがない」

「うん。おにいちゃんは、おにいちゃんだよ」

「すまん……ありがとう」

 嫌な思いをしているのは、架月や逸樹の方なのに、透が励まされた。

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