第24話

 7月最初の日曜日。市民会館の茶室で、月釜が開催された。関係者やその家族を招く内々のお茶席だが、手も気も抜けない。

 道具の運び入れは前日に行われ、今日は朝早くから茶道教室の先生や生徒が準備をしている。

 透は、まず先生に挨拶し、架月を紹介した。高齢の先生も、年齢層が高い生徒も、孫のような架月に大はしゃぎだ。高校の制服を着ていることもあり、学校のことも聞かれる。

 茶道界隈は、年齢層が高い。これまでは透がちやほやされたが、今回は穏やかにやり過ごせそうだ。透は着物を持っていないから、白のワイシャツとライトグレーのチノパンで地味になるようにしてきた。

「架月くん、久しぶり! 何だか、変わった気がする」

 着物姿の灯子が、架月を見つけて嬉しそうだ。架月は恥ずかしそうに首を横に振り、トコさん綺麗、と呟いた。

「そこは、今日も綺麗、だろ」

 透が耳打ちすると、架月は、うん、と頷いた。

「トコさん、今日も綺麗」

「架月くん、ありがとう。透くんは、変なこと吹き込まなくて良いからね」

「肝に銘ずることにします」

 それを聞いた灯子は、噴き出した。

「透くん、ユニークになったわね」

 ユニークか。俺が。透が返答に困っていると、臀部に何かぶつけられた。振り向いた瞬間、げ、と潰れたような声が出てしまう。

「キョコさん」

 ぶつけられたのは、スーツケースだった。長い黒髪を下ろし、赤、オレンジ、黄色のしぼり染めのワンピースに大きなサングラスをかけた女性が、透を見上げる。

「ご無沙汰しています。お荷物お持ちします。お車にも何かありますか」

 何か言われる前に、透は想定範囲内で提案をした。

 杏子はサングラスを外し、スマートキーを出した。

「相変わらず、気持ち悪いくらい気が利くわね。車の中に、今日着るのがあるけど」

 独特のアニメ声に、透は懐かしさを覚えた。

「取りに行ってきます」

「ありがと」

 透は建物を出て、駐車場に向かう。架月も着いてきた。

「おにいちゃん、扱き使われてる」

 杏子の圧のある物言いに、架月は勝呂の家のことを思い出してしまったようだ。

「今日は、そんなことないよ」

 杏子の車の後部座席に、タトウ紙に包まれた着物があった。一部分を開けさせてもらい、絽であることを確認すると、建物に戻った。杏子は空き室で準備を始めていたので、中に持って行くのは灯子にお願いした。

 透は、お茶室のバックヤードである水屋で、お茶碗やお菓子の準備をする。主茶碗となる平茶碗を布巾で拭きながら、透は気づいた。

「キョコさんのですね」

「やっぱり、透くんにはわかるのね」

 灯子が感心した。架月が、ひょこっと覗き込み、透は架月にも見せてあげた。

「今日の香合こうごうは、透くんのだそうね」

「俺、聞いてないです!」

 透は、お茶室の道具を確認した。とこに飾られた、笹舟を模した陶器の香合は、透の作品だ。

 いつの間にか、杏子が香合を覗き込んでいた。髪を結い上げ、絽の着物に身を包んだ杏子は、先程とはまるで別人だ。

「へえ。あんた、やるじゃん」

 架月も香合を見たそうにしている。

「おにいちゃん、すごい」

「あんたのお兄ちゃんは、すごいのよ。あたしが保証する」

 杏子が架月に柔らかい態度であることに、透は驚いた。

「あんた、お菓子やお茶をお出ししてみない?」

「でも、やったこと、ない」

「透が教えてくれるって」

 そんなこと一言も言っていません、とは言えず、架月の大きな瞳に見つめられ、透は首肯した。

 月釜が始まり、皆、水屋にスタンバイする。

「まずは透が見本を見せてきなさい」

「俺も人前に出るんですか」

「恰好良いところを見せてきなさい……あんたは、4人目のお客の前にお盆ごと置いてきて、お菓子をどうぞとお辞儀をしてきなさい」

 架月はお盆を受け取り、不安そうに頷いた。

「行こう」

 透もお盆を持ち、架月を促す。

 畳のへりを踏まないように、すり足気味でお茶席に向かい、透は1番目の、架月は4番目のお客様の前にお盆を置いた。

「お菓子をどうぞ」

 先に透が水屋に戻り、架月が着いてくる。あの子可愛かったわね、とお茶席から聞こえてきた。

「おつかれさま」

 透が声をかけると、架月は俯いて首を横に振った。

「上手にできなかった」

「そんなこと、ないよ。ありがとう」

 極度の緊張状態から解放されたように、架月は溜息をこぼした。

「お菓子、綺麗」

 今日の菓子は、琥珀色の寒天を楕円形に固め、水の波紋のような模様が描かれている。中に小豆が入っている。

「綺麗だね。水の面だ」

「おにいちゃん、詳しいね」

 これも知っていないと杏子にどつかれる、とは言えない。

茶道おちゃは、季節を少し先取りして意匠やお道具を決めるんだよ。梅雨明けの真夏をイメージして、水指みずさしはガラス製、蓋は芋の大きな葉っぱ」

「お菓子もお水で、涼しそう」

 話しているうちに、しをせっつかれ、透は数茶碗に抹茶おちゃを入れてポットから柄杓ひしゃくで湯を注ぎ、茶筅ちゃせんてお茶を点てる。おお、と架月が感嘆した。

 古袱紗こぶくさを借りて、架月もお客様にお茶をお出しする。透が隣で教えると、お兄ちゃんがいて良いわねー、とからかわれた。今日はお茶席の雰囲気が違う。孫の発表会と思われているのだろうか。微笑ましく見られていると、透は思った。

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