第21話

 夏至が近づく今日この頃、外が明るくなると目が覚めるようになった。枕元のスマートフォンで時間を確認すれば、時刻は5時になろうとしている。

 透がベッドから体を起こすと、隣ですやすや眠っていたはずの架月が、うっすら目を開けた。

「まだ寝てなさい」

 透が指で髪を梳くと、架月は安心したように再び眠り始めた。にきびを知らない白く肌理きめ細かい頬を、つい触ってしまう。

 第三者に目撃されたら、誤解を招いてしまう光景だ。寝所を分けるタイミングを逃し、未だにセミダブルのベッドをふたりで使っている。ただシェアしているだけ。透は、今も怖くて架月から目が離せないことがある。ふとした瞬間に、架月が消えてしまうのではないかと。そうならないように手の届く範囲に居てもらっている気がする。多分。

 透はパジャマからTシャツとデニムボトムスに着替え、ひげを剃り、昨夜室内干しした洗濯物を2階のベランダに出してから、敷地内の家庭菜園に向かった。

 明け方に止んだ雨で、野菜の苗木がしっとり濡れている。ミニトマトも、なすも、きゅうりも、ズッキーニも、その他諸々の野菜は、架月と農協に行って一緒に選んだものだ。

「おにいちゃん、おはよう」

 起きるの早すぎるだろう。透は、そんな突っ込みを飲み込んだ。寝起きで目がとろんとした架月は、パジャマ姿のまま透の隣にしゃがみ込み、透に寄りかかる。

「おにいちゃんの子どもみたいだね」

「架月だって、よく見に来るじゃん。架月の子どもみたい」

「おにいちゃんと俺の子」

「意味が変わっちゃうからな」

「これ」

 架月が白魚のような手を伸ばし、なすの葉を除けた。葉の奥で、黒々艶やかな実が膨れている。

っちゃうか」

 はさみでへたの上を切り、なすの実を架月の手に乗せた。

「架月の初収穫」

 架月は、なすを両手で包み、微笑んだ。

「着替えておいで。朝ご飯、つくるから」

 うん、と架月は頷いた。ズッキーニの苗木を見やってから、家に戻る。ズッキーニは黄色い花が2輪咲いていた。どちらも雄花である。雄花と雌花が咲かないと、ズッキーニを受精させることはできず、実は結ばない。

 透はレタスを数枚収穫してから重い腰を上げ、肩や腋下も痛いことに気づいた。昨日の腹筋ローラーのせいだ。一度気にし始めると、そちらに意識が行ってしまう。

 家に戻り、お弁当と朝食をつくる。お弁当は、ゴーヤの佃煮のおにぎりと、チーズオムレツ、茹にんじん。おかずとおかずの間は、レタスで仕切りをする。朝食は、昨夜のポトフの残りと、冷凍保存したカンパーニュを電子レンジで温め直す。多めに焼いたチーズオムレツを皿にだし、収穫したばかりのなすを素焼きして、レタスと一緒にオムレツに添えた。

「早いよ!」

 制服の夏服を爽やかに着こなした架月が、俺もやろうとしたのに、と眉根を寄せた。

「食べようか」

「うん。いただきます」

 架月は、なすに気づき、今日にフォークに乗せ、大きな目で眺める。こういう体験は初めてなのかな、と想像すると、透は架月が微笑ましくなった。

 朝食を終えると、慌ただしく出かける準備をして、透は車のエンジンをかける。時間は、6時45分。7時半発のスクールバスに乗るために、車で片道30分かかるバスの発着所に向かう。

「おにいちゃん、お待たせ」

「行こうか」

 市営のバスは、こんなに早い時間から動いていない。必然的に、透が送り迎えをすることになる。透は、この時間が幸せだった。架月のために使えるこの片道30分は、苦にならない。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 バスに乗り込む架月を見送ると、透は自宅にとんぼ返り。「ほうがの里」に出勤する前に、やりたいことがある。新たに依頼されている金継ぎを、朝のうちにやっておきたいのだ。

 今回着手しているのは、青い細かな模様が入った小鉢で、依頼のメールによると、金色以外で継いでほしい、ということだった。透から見ても、金粉は似合わないデザインの小鉢であり、銀粉を提案すると、承諾を得ることができた。

 漆で固める作業は終わっているので、地塗りから始める。黒呂色漆を使って地塗りをし、一度寝かせてから、銀粉を払いかける。漆風呂で寝かし、仕上げの作業は明日行うことにした。

 ぎりぎりの時間に「ほうがの里」に出勤すると、上司の森田灯子に心配された。

「透くん、最近疲れていない?」

「全然、何ともありません。それより、お願いがあるのですが」

 そろそろ、来月のシフトを組む時機だ。勤務日を増やしたいというお願いをしてみた。

「こちらとしてはありがたいけど……透くん、そんなに切羽詰まっているの?」

「叔父が負担してくれているのですが……あまり頼りたくなくて」

 透も、征樹から援助してもらっていた見だ。架月に関する費用は負担してもらっているが、そんなに迷惑はかけられない。今までだって、ぎりぎりの生活だった。ふたり分の食費と水道光熱費、車のガソリン代が意外とかさんでいる。

 考えておく、と灯子は一時預かり、別の話をされた。

「来月、月釜つきがまがあるの。透くんの都合が合えば、水屋の手伝いをしてほしいのだけど」

「了解です。詳しい日程がわかったら、教えて下さい」

 月釜。市の茶道協会が、教室ごとにローテーションで行っている、お茶席のことだ。灯子が茶道教室の生徒であり、透も過去に関わりがある。そのため、月釜や大茶会のときに透も人員に補充されることがある。

「おそらく、日曜日になると思う。よかったら、架月くんも、見学につれていらっしゃい。興味があったらら、だけど」

「訊いてみます」

 仕事が終わるとすぐに、スクールバスの発着所に架月を迎えに行く。

「架月、おかえり」

「おにいちゃん、ただいま」

 車で30分。帰宅し、ふたりで夕食の準備をする。夕食は、ハンバーグ。初めて肉種を捏ねる架月は、粘土遊びをする子どものように楽しそうだった。

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