第3章 ガラスのひびに月は溶けて
第19話
自分が高校生の頃は、どこで遊んでいただろうか。そもそも、誰かと遊んだ記憶がない。
自宅アパートは交通の便が良くなかったため、ゲームセンターやファストフード店に行こうと誘われても断らざるを得なかった。遊ぶ金どころか明日の食料も危うい状態だったので、自転車で片道1時間のコンビニでアルバイトをしていた。父が亡くなった後も勝呂の家から支援を受けていたが、透が高校生のときに征樹は初めて市議会議員選挙に当選し、小さいながら政治家の肩書きを手に入れた時期であり、逸樹が産まれた時期でもあった。征樹にも余裕がなく、透も母も勝呂の家から距離を置いていた。
そんなことを思い出していると、くいくいとポロシャツの裾を引っ張られた。
「おにいちゃん」
透と色違いのポロシャツを爽やかに着こなした架月が、不安そうに小首を傾げる。
「大丈夫だよ」
架月の頭を撫でると、架月は頬を膨らませた。子ども扱いしないで、と大きな目が訴えている。可愛いものは、可愛い。顔立ちが綺麗なだけではなく、ふとした瞬間に架月が可愛いと感じてしまう。
「おにいちゃん、始まるよ」
「そうだね」
ふにふにと頬をつつくと、架月はそっぽを向いてしまった。
梅雨時、日曜日のショッピングモールのイベントエリア。折りたたみ椅子の座席で、開園を待つ。今日のイベントは、高校の箏曲部の演奏会だ。酒々井千津から情報をもらい、3人で見に来た。
「千絵、いました!」
千津の声が、小さく弾む。一番後ろの箏に千絵がスタンバイしていた。
架月のクラスメイトである千絵は、箏曲部に入部した。週に1回の練習は、負担にならないらしい。
「春の海」、「夏の思い出」、「千本桜」……箏の音が凛と響き、じめじめした空気が爽やかに変わる。
「千絵、良かった……本当に」
千津は涙ぐみ、癖で鼻を膨らませる。
千絵の昔の話を、透は聞いたことがある。
千津は高校を卒業して就職し、実家を出た。その後、父親が仕事中の事故で他界。母親は心を壊してしまい、千絵を育てるどころではなくなってしまった。そのため、10歳離れた千津が親代わりとなって千絵の面倒を見ている。
千絵が、持病のない人と違いのない生活を送れるように。それが、千津の願いである。
演奏会が終わって席を立つと、お兄さん、と呼ぶ声が聞こえた。どこかの家族かと思って聞き流したが、架月が声の主に気づいたようで、恥ずかしそうに俯いた。
「架月のお兄さん!」
太い声が、ショッピングモールに響き渡る。透は一瞬だけ固まってしまい、それに気づいた声の主が、しっかりと透の正面にまわり込んだ。
「自分達は、架月くんのクラスメイトであります!」
大柄な少年が、応援団のように声を張る。ばたばたと数人が横に並び、全員びしっと頭を下げた。
「架月くんを優しく、強く、格好良い子に育ててくれて、誠にありがとうございます!」
ああ、うん。透は、とりあえず頷いた。周囲の視線が痛い。
「架月くんのお蔭で、俺達の千絵の命が助かりました。お兄さんの教育の賜物です。架月くんは俺達の誇りです! お兄さんも俺達の誇りです! 格好良いです!」
架月が何か言うかと思いきや、透の背中に隠れてしまう。
「千絵のお姉さん!」
少年達は微妙に向きを変え、今度は千津に向き合う。
「あのような、守りたくて仕方ないアイドルを育ててくれて、ありがとうございます! 千絵は俺達の人間国宝です! お姉さんも人間国宝です」
千津は戸惑うことなく、うんうんと頷いた。
「千絵のこと、どうかよろしくね」
はい!! と太い声が重なった。
「ちょっと、あんた達! お姉ちゃんに何してるの!」
箏を立てて抱えたまま、千絵が駆け寄る。
「姫、晴れ舞台おつかれさまであります!」
「おつかれさまであります!」
「恥ずかしいから、やめてよ」
「さすが、俺達1年2組のアイドル。最高であります!」
「さすが、姫!」
「姫じゃないからね!」
「武家の女!」
「ニュアンスが変わってるし!」
千絵が箏を振り回そうとして、透が止めた。
「私、部の皆と学校に戻るからね。じゃあ、お姉ちゃん、気をつけて帰ってね。皆、見に来てくれてありがとう」
はい、と少年達が直立不動で返事をした。
千絵が箏曲部の人達と合流して離れてゆくと、少年達は透を射るように見つめる。
「お兄さん、どうしたらそれほどまで格好良くなれるのですか!」
「格好良くないです」
「言葉を間違えました。お兄さんは素敵です!」
「過分なお言葉です」
「扱う言葉も素敵です!」
この子達、頭大丈夫か。透は本気で不安になってしまった。架月に助けを求めようとしたが、架月は離れてゆく。架月くんはお手洗いに行くそうです、と千津がこっそり教えてくれた。
「お兄さん、この後のご予定は!」
「えっと……買い物です」
嘘はついていない。
「何をお求めでしょうか!」
店員か、と突っ込みながら、正しい答えを考える。期待されすぎず、幻滅されない答えは何だろうか。
視界の奥に、スポーツ用品の店がある。
「……腹筋ローラー?」
「おお、さすがお兄さん!」
少年達が沸いてしまった。
「ヨガマットはお家にありますか? ヨガマットを敷くとフローリングに傷がつきませんよ!」
しかも、詳しい子がいる。
「……教えてもらっても良いかな?」
「はい! 喜んで!」
成り行きで腹筋ローラーとヨガマットを買うことになってしまった。
架月がトイレから戻ってきて、不思議そうな顔をした。先程から、クラスメイトを避けているようだが、いじめられていないだろうか。透は一抹の不安を覚えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます