第18話

 4月末から5月の大型連休の頃、木々は新芽を覗かせ、山は柔らかい緑色に包まれる。

 「ほうがの里」の桜の木は、萌ゆる葉を揺らし、来客を歓迎する。

 透の勤務先である「ほうがの里」は、イベントの真っ最中だ。普段は人がまばらなこの施設は、季節ごとのイベントになると家族連れを中心に賑わいを見せる。

「『森のコンサート』間もなく開園となります!」

「通常の染め物体験をご希望ですね。奥の建物にお進み下さい」

「くじ引きやってます! ふるってご参加下さい!」

 来客をさばきながら、気になるのは、臨時で採用したボランティアスタッフだ。

「架月、段ボール箱持つよ」

「これ、空箱だよ。事務所で畳むやつ」

「じゃあ、事務所に持って行ってから、昼休みにしよう」

「俺、全然仕事してないじゃん」

 架月は頬を膨らませて呟く。透はその頬を撫でてから、よしよしと頭も撫でた。

 4月中に諸々の手続きをして、架月は正式に透の家から高校に通うことになった。恥ずかしながら透だけでは手がまわらず、ほとんど征樹がやってくれた。特に、スクールバスの申し込みは、新年度になる前に済ませなくてはならなかったのだが、今回は征樹が事情を説明して頼み込んでくれた。

 高校に入学して、約1か月。環境の変化が大きかったが、架月は休まずに学校に通っている。

「おつかれさま。お弁当とお茶、置いておくよ」

 狭い事務所の空いたデスクにふたり分の昼食を置き、透は自分のデスクからキャスターつきの椅子を引っ張ってきた。

 段ボール箱を畳んで壁に立てかけた架月は、椅子にちょこんと座った。大きな目で、弁当包みを見つめる。この辺りではメジャーなチェーン店の鶏飯弁当だ。

「よく見るお弁当」

「食べたこと、ない?」

「ない。初めて」

「頂きましょう」

「いただきます」

 小さい一口で咀嚼し、美味しい、と感想がこぼれた。

「ごめんね。せっかくの休みなのに、どこにも遊びに行けなくて」

「俺、遊んでいるようなものだよ」

「可愛い子をき使うなんて、できません」

 透は仕事を休むことができず、架月を独りで家に置くことに抵抗があった。それなので、臨時のスタッフという名目で連れてきた。単発のアルバイトスタッフにしたかったのだが、学校側からアルバイトの許可が下りず、無償なら許容ということで、ボランティアスタッフになってもらったのだ。

「ごちそうさまでした。ごみ集めてくる」

 鶏飯弁当を半分も食べないうちに蓋をして、架月は席を立った。事務所を出ようとしたとき、架月、と外から声をかけられ、逸樹、と返していた。

 架月を訪ねてきたのは、逸樹だった。

「架月、元気そうで良かった」

「逸樹こそ。部活は? 野球部に入ったんだよね」

「休んじゃった。父さんに連れてきてもらったんだ」

 逸樹の後ろから、征樹が顔をのぞかせる。おじちゃん、と架月の声が弾んだ。

「征樹、わざわざこんなところまで」

 どうしたの、とは訊かない。スーツでなく私服の征樹は、仕事で来たわけではないのだろうから。

 外は騒がしい。征樹を事務所に通し、昼食は片づける。

「ふたりは遊んでおいで」

 架月の背中を軽く押すと、俺はスタッフなのに、と架月が頬を膨らませた。

「架月、行こう」

「うん」

 市指定の可燃ゴミの袋を手に持ち、架月は事務所を出た。

「征樹は緑茶派だっけ」

「何も要らないよ。誰が見ているかわからないから」

 征樹はプライベートでも、賄賂の授受に見られないよう気をつけているようだ。

「架月のこと、本当ありがとう。元気になったようで、何よりだ」

「特別なことはしていないよ。逸樹の方は?」

「特別落ち込む様子は見られないな。見せないようにしているのかもしれないけど、今日の様子を見ると、悪くなさそうだ」

「ありがとう。逸樹を架月に会わせてくれて」

「ほんの思いつきだったけど、連れて来て良かったよ。ふたりとも、楽しそうだ」

 征樹は事務所の窓際に立ち、外を見つめて目を細める。昔の遊び体験のコーナーで、架月がお手玉に挑戦していた。その隣で、逸樹が器用にお手玉を投げている。小さい子どもが集まり、ぴょこぴょこと跳ねて見学していた。

「妻は、架月のことを思い出さないようにしているようだ。今は、かなり落ち着いている。あのことを公にしないことが良いことだとは思えないが、逸樹のためにも、妻のためにも、掘り返したくない」

 叔母の発言の一部を架月が録音し、今も保存している。今のところ、透も架月も、告白するつもりは無い。今後はわからない。何かの切り札に使ってしまうかもしれない。

「一度だけ、妻が話してくれたことがある。逸樹を愛せなくなるのが怖かったのだ、と。架月が可愛い顔立ちをしていることは、昔から妻も知っていた。頭が良いことにも気づいていた。逸樹より成績が良いことも、心根の優しい子だということも。架月を逸樹と比較して架月を認めたら、逸樹を見放してしまうと思ってしまったらしい」

 透には、それだけの理由ではない気もしたが、気持ちの一部であると受け止めても良い気もした。

「透は大丈夫なのか?」

「俺は何ともないよ。毎日が充実している」

「そうでなくて……お前若いんだ。まだ、自分のために時間を使う余裕があるだろうに。その……色々と」

 征樹は言葉を濁したが、結婚や再就職と言いたいのが、わかった。

「俺がそういうことに向いていないのは、あんたが一番わかってるだろう。それより、架月が伸び伸びと生きてくれるのが、俺も嬉しい」

「うん、まあ、無理しないでくれるのが一番だが」

 征樹はこれ以上言わなかった。

 屋外では、お手玉をしていたはずのふたりが、腕相撲をしている。逸樹が勝ち、もう一回、と架月がせがむ。

 シャツを肘までまくり上げ、細い腕があらわになる。すっかり痣が消えた白い肌を、初夏の陽光が照らしていた。

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