第13話

 ふとスマートフォンを見ると、メールが来ていた。

『おにいちゃん、架月です。学年主任の先生が、ブロックを解除してくれました。これからは、電話もメールもできます』

 ブロックを解除。すっかり忘れていた。架月と連絡先を交換したが、叔母が架月のスマートフォンを操作して透のアドレスをブロックしていたのだ。

 透はすぐに返事を送った。

『解除できて良かったです。先生に感謝です。旅行、楽しんできて下さい。明日は学校まで迎えに行きます』

 コーヒーはまだ、残っている。それは持ち出し、高校の第2駐車場に戻った。研修旅行のバスは、まだ停まっている。

 スマートフォンには、架月からの返事が来ていた。

『行ってきます』

 狙ったかのように、バスが出発した。

『行ってらっしゃい』

 返信してから冷めたコーヒーを飲み干し、じんわりと体が温かくなる気がした。一晩で、すっかり生活が変わった気になった。

 車を出す前に、連絡しておきたいところがある。メールか電話か迷ったが、電話することにした。

「征樹、朝早くから悪いな」

『ああ、透。俺から電話しようと思っていたんだ』

「今日、仕事は?」

『家でやることにしたよ。デスクワークの予定しかないし』

 少し間が開いて、征樹が、すまないと呟いた。

「征樹が謝ることじゃないよ」

『いいや、俺が浅はかだった』

「逸樹は、どうしてる?」

『学校に行った。気を使っても、明るく振る舞っていたよ』

「……叔母さんは」

『変わらずに朝から家事をしてくれている。架月のことは、思い出さないようにしているみたいだ』

 すまない、と征樹は呪文のように、また呟いた。

『俺が家族を壊した。透まで巻き込んで』

 そんなことはない、と透は言おうとしたが、その言葉は飲み込んだ。今必要な言葉は違う気がした。

「昨日の夜、架月があんたに言ったことは、本心だと思うよ。逸樹も、架月が家に来たことが嬉しかったみたい。自転車通学なのに、架月と駅で待ち合わせて一緒に帰ろうとしていたくらいだから。それより、これからのことを考えよう。後日、きちんと話がしたい」

『……そうだな』

 征樹の声は重く、気持ちを切り替えるには時間がかかりそうだ。

「俺は今のところ、全然苦になっていない。なんか、こんなに微笑ましいものなのか、とか、今までにないことを感じている、気がする。上手く言えないけど」

 ややあって、電話の向こうで征樹が噴き出した。

『母性……父性に目覚めちまったか。いや、悪くないけど。良いんだけど。いやー……透もそういうことがあるんだなって。深く考えずに入学式に出てほしいなんて頼んでしまったけど、こういう方向に転がるとは』

「え、何? 何?」

 透は戸惑い、征樹は笑いのツボに入ったように、笑い始める。

『透は面白いな。本当に、飽きないよ。架月は、どうしている?』

「学校に送っていったよ。今日明日と研修旅行なんだって。荷物を準備して、持たせた」

『お前が準備して学校まで送っていったのか!』

「あんた酔っぱらってんのか!?」

 征樹は、明らかに面白がっている。

『後は? それ以外に、何してあげたんだ』

「おにぎり持たせて、朝ご飯食べさせて」

『やば。透が親になってる。逸樹が帰ってきたら、話してやる』

「やめてくれ。恥ずかしい」

 征樹はひとしきり笑った後、また連絡する、と電話を切った。

 透は、深く溜息をつき、スマートフォンをパーカーのポケットにしまった。こんなに笑い転げる征樹は、初めてだ。そのくらい疲れているのかもしれない。これで気持ちが軽くなってくれれば良いが、こればかりは本人次第だ。

 透は駐車場を出て、帰りながらスーパーに寄って日用品や食料品を買い込んだ。昼近くになってしまった。

 家に帰れば、軽く昼食を摂り、アトリエで金継ぎの続きだ。

 埋めた錆漆を耐水サンドペーパーで整え、1回目の中塗りを行う。ガラス板に黒呂色漆を出し、細筆で継ぎ目に塗る。再び漆風呂で硬化させる。一晩寝かし、2度3度と中塗りをする予定だ。中塗りを重ねることは、綺麗な仕上がりのために欠かせない。

 素焼きした陶器は、まだ冷ましておきたいので、いじらない。

 新しい作品の構想を練りながら、スマートフォンを気にしてしまう。

 架月を研修に行かせて、大丈夫だったのだろうか。体調を崩していないだろうか。クラスメイトと仲良くやっているだろうか。帰ってきたら、夕飯は何にしよう。翌日からのお弁当は、何を用意すれば良いんだ。

 今までの生活で、親の病状以外に、誰かのことをこんなに心配したことがなかった。

 心配した分、翌日の迎えの際、正門前のバスから降りてきた架月が視界に入った途端、駆け寄って抱きしめてしまった。

「おかえり、架月」

 危うく、不審者として突き出されるところだったが。

「ただいま。おにいちゃん」

 架月は、微笑んでハグに応じてくれたのだった。

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