第12話

 時間が経つにつれ、生徒がどんどん登校し、1年生はバスに乗り込む。

 透も千津も正門から離れ、車を駐めた第2駐車場に移動した。

「この後お時間ありますか?」

 千津は透を見上げ、鼻を膨らませる。

「失礼を承知で伺いたいことがあります」

 透は今日も休みだ。征樹と連絡を取ってから日用品の買い出しをして、自宅で作業をしようとしていた。

 まだ朝の時間帯である。透は、可と答えた。

 近くのコンビニに歩いて移動し、飲み物を買ってイートインコーナーの席に腰を下ろした。透はブラックコーヒー、千津はキャラメルマキアート。千津がコーヒーマシンと前でカスタマイズしているのを見て、年頃の女性だなと思ってしまった。

「酒々井さんは、今日お仕事では」

「9時からです。家も職場も近所ですし、時間はあります」

 千津が聞きたいことは、流れで何となく察した。

「富田先生と俺のことですよね」

「ええ」

 イートインコーナーがテーブル席でなくて良かった。隣り合う席でガラス張りから外を見る形になるが、顔を合わせるのは気まずい。

「私は、富田先生がいて下さって安心しています。学校が始まって日が浅いですが、千絵に親身になって相談に乗って下さいます。でも、勝呂さんに対する発言や目つきは、いかがなものかと思いました」

 ――今度の餌食は男の子なんですね。相変わらず、趣味が悪い。

 富田教諭の言葉を、千津も聞いていた。

「勝呂さんがそんな人だとは、思えません。富田先生は、勝呂さんをおとしめたいような感じもしました」

 貶めたい、と透は口の中で繰り返した。透の被害妄想だと自分で思い込もうとしたが、千津にも富田教諭に悪意があるように感じたようだ。

「富田先生から、俺のことを何か聞いていますか? 例えば、学生時代のこととか」

「高校生のとき、糖尿病であることを隠していたけれど、教育実習生に知られて弱みとして握られた、と。そのせいで結果的に、糖尿病のことを周囲に知られて嫌な思いをした、と。……教育実習生って、もしかして」

「俺です」

 地元では有名な話である。築きかけた信頼関係を壊すことになるが、素直に話した方が良さそうだった。

「その教育実習生が俺です」

 千津の顔を見ることができない。

「俺、話すことが苦手なんです。その話に到達するまで長い前振りがありますが、よろしいですか」

 よろしいです。千津は、キャラメルマキアートのカップを両手で包み、あごを引いて頷いた。



 透が生まれたとき、父・勝呂直樹は24歳、母・保原美緒は17歳だった。大学を卒業して教師になったばかりの勝呂直樹は、赴任先の高校の女子生徒と深い仲になり、駆け落ちしたのだ。

 直樹は先天的に脳の血管に奇形の部分があり、脳出血の危険性が高かった。地元では有力者である勝呂家の長男ということもあり、跡継ぎをつくることが望まれていた。その焦りもあり、禁断の恋に足をすくわれてしまった。

 勝呂家の人間は直樹に同情し、条件つきで美緒との仲を認めた。勝呂の姓を名乗らないこと。次男の征樹が男子に恵まれなければ、透を養子にすること。

 親戚の目は好ましくなかったが、叔父の征樹が透を守ってくれて、父の直樹も脳出血で亡くなるまでは優しい父親であった。

 父が亡くなってから、親戚の支援もあったが、母が女手ひとつで透を育ててくれた。休養不足と不規則な生活、体質がたたり、母は2型糖尿病になってしまった。服薬だけでは血糖値がコントロールできず、インスリン注射も行った。

 透が勝呂の養子になる話は、流れた。征樹に息子・逸樹が生まれたからだ。跡継ぎとは関係なく、透自身も教師になりたいと思い、大学で教員免許取得を目指して勉強した。東京の私大にしか合格できなかったため、母の元を離れて上京した。母は大学の入学式に駆けつけたがったが、主治医から止められ、叶わなかった。

 教育実習のとき、透は実家に戻った。母の病状は、想像以上に進行していた。母は入退院を繰り返しており、教育実習の最中さいちゅうも母は入院中であった。

 教育実習で受け持ったクラスで、インスリン注射の針が落ちているのを、透は発見した。持ち主は、すぐに判明した。女子生徒、唐沢睦美だった。

 睦美は、1型糖尿病であることを周囲に隠していた。教員は、念頭に置いていなかったようだった。

 睦美のインスリン注射の扱い方を透はこっそり見ていたが、非常に危険だった。定時に血糖値測定を行わない、消毒綿を使わない、インスリンの単位数を確認しない、使用済み針を使い回そうとする。透は見るに耐えず、睦美を呼び出してインスリン注射を指導してしまった。母のインスリン注射を見ていたから、手順は知っていたのだ。

 その出来事の直後、透の母が亡くなった。糖尿病の進行により両下肢が壊死し、切断せざるを得ない状況になっていたのだ。それを主治医から聞かされた母は、病室のカーテンを紐代わりにして首を吊って自ら命を絶ったのだ。

 透は大学と実習先に許可を得てから、母の葬儀を終えた。教育実習に戻れるかと思いきや、自分が騒動の渦中にいることを知らされた。

 睦美が低血糖発作で救急搬送され、糖尿病であることが多くの人に知られてしまった。

 睦美の言い分は、こうである。

 ――保原透に、インスリン注射を教えるから服を脱ぐように言われ、それを拒んだら糖尿病であることを暴露すると脅された。早い時間に多めの単位数のインスリンを注射すれば、学校でインスリン注射する必要がなくなり、脅しに従う必要もなくなる。そうしたから低血糖発作を起こしてしまった。

 透も反論したが聞く耳を持ってもらえず、叔父の征樹も口添えしてくれたが、透の教育実習は中止となり、大学は卒業できても教員になる夢は絶たれてしまった。



 要領を得ない話を終え、透はブラックコーヒーを一気飲みした。コーヒーは冷え切っていた。

「わかりづらい話し方で、申し訳ありません」

「いえ、私からお願いしたことですから」

 千津はキャラメルマキアートに口をつけ、ふと息をついた。

「お話を聞く限りでは、あなたに落ち度はありませんし、当時の富田先生の命を守るために誰かが教えなくてはならなかったことでしょう。ただ、彼女自身が症状を知られたくなかったことと……同性ならまだしも……タイミングが悪かったとしか」

「同情して頂かなくても平気です。こういう扱いを受けても仕方ないという、俺の人間性です。今の富田先生は、糖尿病のことを当時より理解していると思います。お時間取らせてしまい、申し訳ありませんでした」

「そんなこと、仰らないで!」

 千津は声を荒げた。

「架月くんを預かった翌日に研修旅行が発覚しても、すぐに準備して送り出せるなんて、たやすくできることではありません。本当に、責任を持っていると思います。架月くんを守る覚悟もなさっていると思います。あなたは、すごいんですよ。人間性を自覚なさって下さい」

 千津は椅子を引いて立ち上がった。

「すみません。時間なので」

「すみません、俺こそ」

「これ、プリントのコピーです。またいつでも連絡下さい。私からも、ご相談させて頂くかもしれませんし」

 綺麗にお辞儀をし、千津はコンビニを出た。

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