その優しさから始まる人助け

 人々から慕われている『影の英雄』が、どうして各地で人々を救ってこれたのか?

 それは、フィルが抱えている『暗部』という存在が大きい。


『麓のアメジスタ伯爵領の街道寄りの場所で貴族が野盗に襲われています』


 フィルの頭に、少し若い男の声が響く。

 今日も今日とて一日が終わり、これから就寝をしようというタイミングであった。


『お前は?』

『すぐ傍にいます』


 寝間着のまま、フィルが脳内で語る。


 魔術はテーマを研究すればするほど、この世に起こす事象のレパートリーが増えていく。

 フィルの『縛り』の魔術は、過去の研究により強力……そして、便利なものへと進化していった。

 今、脳内で会話が成立しているのも、フィルの魔術によるものである。


 ―――『縛った相手との会話の自由』。


 距離に縛られず、過去に縛った対象と念話で話ができる優れものだ。

 デメリットとしては対象を縛ること、対象同士の会話ができないといったことがあるが、それ以上にメリットの方が大きい。

 この魔術が仮に誰にでも使えた場合、馬で手紙を運ぶ運び屋は涙目で職を辞めるだろう。


『なら、そっから動くなよ。俺が今から行く』


 フィルはそう言い終わると、せっかく着替え終わった寝間着を脱ぎ捨てていく。

 その時———


「あら、今日も行くのね」


 不意に、フィルの部屋で就寝前のティータイムを満喫していたカルアが口を開いた。


「ナチュラルに着替えの場に居座ろうとするなよ……」

「さっきからここにいたのに、それは酷いんじゃないかしら? そんなすぐに部屋から出られるわけないでしょ」

「だったら出ようとする素振りぐらい見せてくんない? 普通に紅茶飲みやがって……そんなにマイボディを見たいわけ? 残念でした! パンツは脱ぎません!」

「別に見たいとは言ってないでしょ……」


 大きなため息を吐いたカルアは、紅茶を置いてクローゼットへと向かう。

 そして、そこから黒装束と無柄のお面を取り出した。


「ねぇ」

「うん? わりぃけど、ちょっと急いで行かなきゃなんねぇんだわ」


 取り出したカルアから装束と無柄のお面を受け取るフィル。

 彼の顔には、少しばかりの焦りが浮かんでいた。


「『影の英雄』って知られたくないんでしょ? だったら、行かなくてもいいんじゃない……?」


 もし、これ以上広まっている噂を広めたくないのなら、余計な行動は慎むべきだ。

 フィルが誰かを助けたりしなければ、姿を見られることもないし情報を残してしまう可能性を完全に潰せる。


 そもそも、フィルが見知らぬ誰かを助ける義務など存在しない。

 存在しないはずなのに、フィルという少年は———


「馬鹿言うな。誰かが不幸になるのは見過ごせないんだ。それに、知らない相手だろうが幸せに生きてほしいって願うのは悪いことか?」

「……そうね、愚問だったわ」


 カルアはお面をフィルの顔に着けていく。

 愛おしい彼の顔が見えなくなってしまうが、カルアはそれでもこのお面が好きだった。

 自然と、カルアの顔に笑みが浮かんでいく。


「そんなあなたの優しさに、私は助けられたものね」

「今じゃ、相棒だけどな」


 着替え終わったフィルは、最後にカルアの頭を優しく撫でる。


「それに、これはいい機会だ―――せっかくだし、噂を誤魔化そうと思う」

「どうやって?」

「助けたあとに「俺の名前は○○だ!」って言えば、フィル・サレマバートが『影の英雄』って噂は消えるだろ? だって、本人が否定するんだからな」

「あら、珍しくいい案じゃない。少し感心したわ」

「その調子で感心してくれ。そして、再び娼館に行かせてくれると―――」

「無理ね」

「ひっでぇ」


 思い切り笑ったフィルは少しばかりの間、相棒メイドの温かさを感じると、一度踵を鳴らす。

 すると、地面が急に影の海に染まり始めた。


「んじゃ、行ってくる」

「ん、行ってらっしゃい英雄さん」


 最後にそう言うと、フィルの姿は影に沈み始めた。



 ♦♦♦



 フィルが次に自分の世界から外に顔を出すと、辺りの景色は薄暗く染まっていた。

 夜風が肌寒さを与え、広がる街道と草木が開放感を醸し出す。

 先程いたフィルの部屋とは、まったく違った景色が広がっていた。


「足を運んでいただきありがとうございます、『影の英雄』様」


 そして、横には厚着の服を着こんだ青年が跪いている。

 それを見たフィルは「毎回言うけど、顔は上げろ。敬われるの苦手なんだわ」と口にした。


 ―――『縛った相手との交流の自由』。


 フィルがこうして別の場所へと一瞬で移動できるのも、縛りの魔術だ。

 縛った対象の場所に、己を飛ばす―――交流の自由を目指したからこそ編み出すことのできたものである。


「いえ、かつて助けていただいた『影の英雄』様を敬わないなど……可能であれば、このままで接しさせてください」


 冒頭で軽く記載したが、フィルが各地で人助けをしているのは『暗部』のおかげだ。

 彼等は各地に散らばっており、何か困りごとや争いごとがあれば知らせるというもの。

 構成員は、かつてフィルが助けた人間の中から信用できる相手を選んでいる。

 そして、その『暗部』全員を縛ることによって、こうして伝達、移動を可能とし、更に人助けに走る。

 縛る方法は至って簡単。対象の体のどこかに、フィル自らが印をつけることで完了する。

 どこまでいってもお手軽で便利な魔術だ。


 ―――これが、フィル・サレマバートの優しさが生み出したもの。


 人助けのためだけに作り出した、『暗部』という組織である。

 もちろん『暗部』はフィルの素性を知っており、口外しないようにという命令は下しているが。


「それで、『影の英雄』様……現在、襲われている者ですが―――」

「言わんでもいい。どうせ、あそこで襲われている奴らのことだろ?」


 フィルが見据えた先。

 そこには、何十人もの野盗に囲まれている馬車と人間がいた。

 視界が悪い中、武器の鳴る音が響いているということは、まだ惨事にはなっていないということだろう。


「んじゃ、やりますかね―――」


 フィルは男に背中を向け、襲われている場所へと足を踏み出した。



「今日も人助けだ」


 善人が幸せに生きられるために。


 幸せな人生とはつまり―――自由の極地である。

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