誤魔化し
だからやめようって言ったんだ。
数多の野盗に襲われている騎士の一人が、そう内心で嘆く。
金属の甲高い音が鳴り響く中、嘆いた騎士は必死に剣を振り回す。
日が沈み、視界の悪い中、輪郭だけで敵を見定めては剣を振るっていく。
時折血肉に刺さる感触と、顔に付着する液体が不快感と苛立ち、恐怖を増長させていった。
いくら予定が詰まっているからといって、日が沈んだあとの行程は危険極まりない。
その結果がこれだ。嘆く騎士は「あとで存分に愚痴ってやろう」と、どこにいるか曖昧な上司にあたる騎士を視線だけで睨んだ。
「わ、私も戦うからっ!」
その時、背にしていた馬車からそんな声が聞えてきた。
「お嬢! 馬車にお戻りください!」
「ううん、皆が戦ってるんだもん……私だって!」
騎士を労わり、己の身を投げる主人の優しさは嬉しい。
これが仕えると決めた理由ではあったのだが、今はその優しさは正直足枷でしかなかった。
身を守らなければいけない人間が戦場に現れるとどうなるか?
それは、単純に「動く護衛対象を常に把握しなければならない」という注意力の散漫だ。
この襲撃は、数少ない護衛のビショップが数多のポーンからキングを守るチェスのようなものだ。
いくら駒が強くたって、数が多ければ劣勢になることは必然。
チェスを嗜む
倒しても切りがないと思ってしまう数は、まるで蟻。
蟻だからこそ、いつどこで人の足元からすり抜けてキングの元に行くか分からない。
故に―――
「令嬢の命だ! ここで死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
いつの間にか、その声が背後から聞こえてくる。
嘆いていた騎士も、他の騎士達も決して油断していたわけではないのに、この瞬間主人の命を危険にさらしてしまったのだと自覚する。
一方で、その主人というと―――
「……え?」
わけが分からなかった。
今出てきたばかりだというのに、いつの間にか背後から剣を振り下ろそうとしてくる輪郭が迫っていたのだから。
馬車から出るタイミングを待ち伏せされた? そんな疑問が浮かび上がるが、同時に―――
「ぃ、や……」
眼前に迫る恐怖に、足がすくんでしまった。
少女の手の中には一振りの剣。防がなきゃ、という意思さえあれば、きっと一瞬の時間を生き残れるだろう。
だが人は場慣れしていないと、咄嗟の状況では理性が感情に負けてしまう。
この状況では、自己防衛よりも恐怖の方が勝ってしまったわけで―――
「誰か……」
―――助けて。
そう紡ぐことなく、少女は目の前に迫る恐怖から思わず目を瞑ってしまった。
そして———
「嬉々として女の子を殺そうとしてんじゃねぇよ……クソ下郎が」
激しい衝撃音が、鳴り響いた。
「あがッ!?」
何が起こったか?
目を瞑っていた少女は、いつまで経ってもやってくることのない剣に戸惑う。
恐る恐る目を開けると、そこには男の頭を地面に叩きつけている一人の少年の姿があった。
「……え?」
「問答はあとにしよう。今はクイズの余興を楽しんでもよさそうな状況じゃないしな」
少年は少女を守るようにして立ち上がる。
近くまで来れば、薄っすらとした輪郭もある程度把握ができた。
―――黒装束に無柄のお面。
少女も、その姿は聞いたことがある。
誰かの危機に駆けつけては、誰かを救ってくれる英雄。
噂話でしか聞いたことのなかった姿と、とても酷似していた。
少年は、口にする。
「誰かを襲ってもいいなんて自由は、消す必要がある。誰かの幸せを踏み躙る奴には、相応の縛りを設けないとな」
パチン、と。
指を鳴らす音が、金属音が響く戦場の中に掻き消えた。
その時———
「では、縛りのある世界へ」
少年の……いや、少女の背後から何かが昇った。
それは薄暗い景色よりも黒く、淡く揺らめく輪郭は水柱のよう。
その水柱は横に広がっていき、この場にいる者を飲み込むほど大きな壁となっていった。
───『縛りの世界へ誘う大海』。
フィルは、己の魔術を発動する。
「『影海』」
そう少年が口にした瞬間、その壁は戦場全てを飲み込むように迫ってきた。
野盗も。
騎士も。
少女も。
固まったまま、為す術なく飲み込まれていく。
それは一つの波のように。
この場全てを、
♦♦♦
「さて、こいつで最後かなーっと」
フィルは作り出した自分の空間の中から甲冑を纏った男を引き摺り上げる。
その光景は傍から見れば、海に溺れた人間を引き上げる光景のようだろう。
地面は固く整備された街道にもかかわらず、だ。
「す、すまない……」
「気にすんな」
視界の悪い中、的確に敵だけを飲み込むなどという芸当はできなかった。
ならばいっそのこと、全員を飲み込んで───そう考え、フィルは現在飲み込んでしまった騎士や少女を引き上げる作業に入っている。
そして、今引き上げた男で最後。
敵は縛りの空間へと入っているため、これにて一件落着といったわけだ。
「あの、助けてくれてありがとうございます……皆を代表して、お礼申し上げます」
そのタイミングで、フィルの背後から声がかかった。
松明で明るく照らされている今は、その声の姿ははっきりと視界に浮かび上がる。
「私はアメジスタ伯爵家が一人娘───アリシア・アメジスタです、『影の英雄』様」
ミスリルのような艶やかな銀髪、アメジスト色の双眸、くっきりと凹凸のはっきりした肢体に、可愛らしい顔立ち。
動きやすそうな薄い生地のドレスに身を包んだ少女は、夜空に浮かび上がる月のように幻想的で美しく映えた。
(なんか貴族の令嬢とか、特殊な立場の女の子とか……美人じゃないといけない縛りでもあるのかね? ある意味世知辛い世の中?)
カルア然り、ミリス然り。
立場がある人間はどうにも美人ばかりだ。
そんな方程式がどこかで確立されているのか? 世界の顔面偏差値も、偏りが激しすぎる。
「気にするな。別に感謝されたいからやったわけじゃない」
そう、本来であれば助けた時点で何も言わずこの場を去っている。
名前を名乗られる前に、お礼を言われる前に。
それらで分かる通り、そもそもフィルはそのようなことは望んでいないのだ。
しかし、今回に限っては違う……ッ!!!
「名乗られたからには名乗らないといけないな───」
そう、名乗るためなのだ!
あくまで、フィルではなく架空の名前を!!!
「俺の名前はフィー。覚えておくといい!」
胸を張り、ドン! という効果音がつきそうな態度で、アリスに向かって言い放つ。
『影の英雄』だと口にしていたぐらいだ。
目の前の男が『影の英雄』だということは知っているはず───であれば、ここで別名を名乗ればフィルという男には結びつかない。
カルアも言った通り、これはかなり効果的な案だ。
全ては『影の英雄』の正体を誤魔化すため!
全ては、何事にも縛られない自由な生活を送るため!
故に、助けた機会にかこつけて、全力で誤魔化すために策を講じるのだ。
しかし───
「というわけだから、俺は失礼するよ」
やることをやりきったフィルは踵で地面を小突くと、そのまま影の世界へと沈んでいった。
誰にも言葉を発せずに、そのまま逃げるようにその場から姿を消す。
そのため───
「あれ? あの声って……」
最後にアリシアが呟いた言葉を、フィルは聞くことができなかった。
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