騒ぎと迷惑
『あのー、フィル様……屋敷を訪れる領民の数が凄くて、どうにかなりませんか?』
昼食を食べ終わったタイミングで、屋敷の使用人から怯えられている状態でフィル宛に苦情が入った。
「ねぇ、俺って悪くないと思うんだけど、そこんとこどう思う?」
ある程度の仕事を片付け終わったフィルは庭のベンチに座り、横に座るカルアに尋ねた。
心地よいそよ風が頬を撫で、田舎ならではの小鳥の囀りや「『影の英雄』様だー!」といった領民の声が聞こえてくる。
穏やかな昼下がりに不要因子が混ざっているのは、心の底から気のせいであると思いたい。
「娼館に行くフィルが悪いんじゃない?」
「擁護なしですか、そうですか」
横に座るカルアが素っ気なく返す。
靡く赤髪を抑えながら上品に座るメイドは、正に絵画のようだった。
「っていうより、まさか苦情が入るほど領民が騒いでるとはなぁ。もしかしなくても、あそこで騒いでる領民の他にもまだいるのかね?」
「そうね、聞いた話だとあんな感じで柵から覗く領民の他にも屋敷に押し掛ける人もいるみたいよ」
「俺はアイドル何かか? 新手のファンが急増しすぎじゃない?」
「警備の人間が泣いてたわよ? いつになったら終わるんですか、って。そりゃ、領民を抑えようとしても膨れ上がるんだから不満も募るわよね。お給金上げてあげたら?」
「前向きに検討するよ……」
フィルは空を仰ぐ。
心地よい風が、心の平穏を運んでくれるはずなのに、喧騒が憂鬱とした気持ちを募らせてしまう。
「そもそも、おかしくねぇか? 俺が『影の英雄』だってことは不確定な要素ばかりの噂のはずなのに、ここまで盛り上がってるって」
フィルが『影の英雄』だということは、公に発表されたものではなく、自分が一人に対して口を滑らせただけの話だ。
確かに、柵から覗ける庭に黒装束や仮面が干してあったが、実際に助けられた人間でない限りは、それらが『影の英雄』の所有物だとは分からないはず。
そして、そもそも助けた人間が全員『影の英雄』の姿を見ているわけではない。
いくらスキャンダルみたいに盛り上がっていようとも、前提として領民が知っている『影の英雄』姿も噂。
不確定な要素ばかりのはずなのに、ここまで騒がれ、日に日に増している───まるで確信があるから集まっていると言わんばかり。
そのことに、違和感を覚えるフィルであった。
だが───
「あら、知らなかったの?」
「なんですか、その不穏な前振りは!?」
「聖女様がやって来たでしょ? だからよ」
カルアが、反対側に座るミリスを一瞥する。
「私、ですか……?」
「災いも巡礼の予定もなかった聖女様がいきなりやって来たんだもの───あの聖女様がフィルに会いに来た、それだけで信憑性が高いって思われた」
「なるほど、訪問の時点で詰みだったというわけか……ッ!」
「ふぇっ? どうして詰みなんですか?」
知られたくないという理由を知らないミリスは首を傾げる。
かと言って「娼館に行けなくなる状況になってるから!」などという理由も言えるはずもなく───
「更に……」
「更に!? まだこれ以上、後押しする要因でもあるっていうのか!? おいおい、やめてくれよ……いたいけな子供をいじめて、誰が楽しいんだ!? そういうプレイは他に需要のある人間にやってくれよ!」
「屋敷に訪れたことのある人間が、どうやら街中で吹聴してるみたいね」
その言葉を聞いて、フィルの脳内センサーに何かが反応する。
そして、それは疑問へと変わっていった。
───今日一日……いなきゃいけないはずの人間がいなくね? と。
「……ミリス様」
「はい、なんでしょうか!」
「……護衛の騎士達は、いずこに?」
そう、聖女を守るために一緒に来た護衛の騎士達だ。
本来であれば、聖女であるミリスと共に行動し、何者から身を守らないといけない人間。
その面子が、今という今まで姿を見せていなかった。
聖女は! ここに! いるというのに!!!
「教会所属の騎士達は、私達と同じ『女神』様を信仰する人達です。そのため、それぞれにも『アリスト教』を広める責務があります」
「ふむふむ」
「せっかく遠くの地まで足を運びましたので、恐らく今頃布教をしていると思います!」
「え、護衛は?」
「『影の英雄』様がいれば大丈夫だと判断したのでしょう! 私もおっけーしましたっ!」
「おい、あいつらこの前襲われたばっかりだっていうのに職務放棄してるぜ? 俺だって仕事してるのに……よし、お灸をすえてやろう」
「吹聴されたからって怒らないの。ほら、座って座って」
拳を握り締め、立ち上がろうとしたフィルを嗜めるカルア。
結局のところ、吹聴して回っているのは護衛の騎士達のようだ。
確かに、実際にその目で確かめた者の話であれば信憑性の後押しには充分だろう。
ましてや、教会所属の騎士であれば嘘は滅多に吐かない───余計に、信憑性を後押しする。
「え……もう、ミリス様を使って誤魔化すのって無理じゃね? ここまで話が広まったら、もうお終いじゃん。せっかく「うふふ♡」なお姉ちゃん達に会いに行くのを我慢して引き篭ってるのに、意味ないじゃん」
「意味ないわね」
「ねぇ、このこと知ってるんだったらさっき「誤魔化すのに協力してもらう」って言った時になんで止めなかったわけ? 納得した感じの顔してたよね?」
「デレデレするフィルにイラついて、ちょっとからかってあげようかなって思ったの」
「メイドですよね、あなた?」
はぁ、と。大きなため息が零れるフィル。
それを見たミリスは、よく分かっていないけどとりあえず慰めるように頭を撫でた。
原因が自分であることを知らずに。
「えーっと……フィル様は『影の英雄』だと知られたくないのですか?」
「そうですね……この顔を見ていただけると分かると思いますが」
「どうしてですか? 悪いことではなく、褒められるべきことをしているのです……隠さなくてもよろしいのではないでしょうか……?」
「……色々あるんです」
撫でられながらも、フィルは彼方を見上げる。
遠い目を向けた先に、何が映っているのか?
少なくとも、彩り溢れる自由からは程遠い光景だろう。
「あ、あの……もしかしなくても、私はご迷惑でしたか……?」
ミリスは不安そうに、それでいて罪悪感を滲ませた瞳で恐る恐る尋ねる。
確かに、いきなりやって来ては噂の信憑性を高め、危険な目に合わせたり部下が吹聴したりと、明らかにフィルにちっては迷惑行為のオンパレード。
いくら本人に悪気がないとしたとしても、正直なところ責められてもおかしくはない。
しかし───
「気にしないでください。まぁ、迷惑じゃないって言えば嘘になりますが……悪気がないっていうのは見れば分かります。そんな奴を、俺は責められないですよ」
世の中、悪気があり、害を振り撒く奴などごまんといる。
そんな人間を見てきたからこそ、フィルは悪気がない人間をどうにも責める気にはなれなかった。
フィルは安心させようと、ミリスの頭を変わるように撫で始めた。
「(ありがとうございます……やはり、あなたはお優しいです)」
ポツリ、と。若干頬を染めたミリスが零す。
その言葉は、残念なことに当人には届かなかった。
「で、ではっ! お詫びと言ってはなんですが、私にできることであればなんでもしますっ! フィル様のためでしたら、一肌でも二肌でも脱ぎます!」
「ふむ……では、さっそくはだけるように上からゆっくり一枚脱いで───」
「聖女様に何をさせようとしてるのよ」
「ふ、お、おぉぉぉぉぉぉぉぉぉこめかみがァァァァァァァァァァ!!!」
横から入ってくるツッコミという名のアイアンクローに、フィルは悲鳴を上げる。
先程から「パキパキ♡」という、普段聞き慣れない音が人体への影響を示していた。
ミリスは突然の暴力に「あわわわっ!」と、戸惑うばかりだ。
「それはそうと、フィル───あなた、これはどうするつもり?」
しばらくツッコミ加えていたカルアが懐から一枚の便箋を取り出した。
涙目でこめかみを押さえながら、フィルはその便箋を一瞥する。
その便箋には、王家の紋章が描かれており───
「無視しよう」
「いいの? 王家の手紙を無視って、怒られるどころじゃなくなるわよ?」
「その時は「聖女様の接待で忙しいんです」って言えばいいさ。王家も、聖女は無下にできないだろうからな。誰が目に見える面倒事に首を突っ込むかってーの」
恐らく……いや、分かってはいることだが、手紙の内容は登城命令だろう。
王家からの呼び出しなど、政治の道具という馬車馬への道を切り開く切符みたいなものだ。
自由を理想とするフィルにとっては、百害あって一理ない。
ただでさえ、聖女の来訪で悲惨なことになっているというのに。
「ってなわけで、無視だ無視。ここは一つ、しばらくミリス様と遊んでいようじゃないか」
「いいんですか、フィル様? それ、大事なお話では───」
「いいんですよ。今の俺にとっちゃ、ミリス様の方が大切ですしね」
「〜〜〜ッ!?」
面倒事は嫌というのもあるが、襲われたばかりの聖女を放っておくわけにもいかない。
理由をつけるために聖女を構ってはいるが、ミリスが心配というのは紛れもないフィルの本心だ。
でなければ、今までずっと誰かを助けたりするわけもない。
それも全て、どうしようもないフィルの優しさ。
それはフィル自身も理解しているところだ。
故に、噂は諦めて大人しく遊ぶ方を選んだフィル。
そして───
「あぅ……っ」
大切だと、
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