縛り、縛られ?

 刻み名という言葉がある。


 これは魔術を扱う魔術師であれば誰もが知っている言葉で、魔術には欠かせないものの一つだ。

 魔術は理想をテーマへと変え、研究したテーマを術式に落とし込むことによって発動する。

 その過程———テーマを術式に落とし込む際に使われるのが、この刻み名だ。


 術式がテーマを読み込むためには術式に寄せたテーマの言葉を使う必要があり、その寄せた言葉というのが刻み名。

 簡単に言ってしまえば、他国の言葉を自国の言葉に変換したものと言った方が分かりやすいだろう。


 これがなければ魔術は発動できず、そもそも術式に落とし込むことができない。

 いくつもの過程というパズルの中のピースだと言ってもいいだろう。

 当然、魔術は術者の理想によって形作られるため、様々な刻み名が存在し、様々な魔術が世に広がっている。


 魔術師であるフィルも例外なく刻み名を使用している。


 その刻み名は───『誰にも縛られない自由を』。


 縛りという魔術の根源。

 自由を求め、縛りをテーマにしたからこその刻み名だ。


 襲撃者が現れた際に使用したのも、この縛りの魔術だったりする。

 編み出した空間の中に対象を沈めることによって行動を縛り、抵抗も自由も許さない。

 なお、フィルの任意で影の縛りから解くことも可能であり、そこは術者であるフィルの自由。


 傍から見れば、影の海に沈んでいるように見えることもあるだろう。

 もしかしなくても、『影の英雄』だと云われる由来はここからきているかもしれない。


 そして、そんな縛りの魔術を扱い、『誰にも縛られない自由を』という刻み名を掲げているフィルは———


「朝からす巻きって……どして? 新しいプレイに目覚めちゃったの俺?」


 ―――何故か縛られていた。


 聖女であるミリスがやって来てから翌日。

 騒がしい領民の声を聞きながら執務をこなしたり、襲撃者のせいで破壊されてしまった窓の修繕の手配、襲撃者の尋問をしてクタクタになったフィルが疲れを落とし、「さぁ、起きよう!」と思った矢先の言葉がこれであった。


 といっても、襲撃者の尋問は口に隠していた毒を飲まれたことによってすぐに終わってしまったのだが。

 恐らく、口封じのために自殺用の道具を渡されていたのだろう。

 情報が引き出せず、フィルは複雑な思いを抱いた。


 まぁ、それは悔いても仕方のない話。

 とりあえず、今の現状を理解しよう。


 シーツによって綺麗に巻かれ、見るからに丈夫そうな縄で全体を縛られている己の体。

 手足はロクに動かせず、ひょこっと出た顔だけが唯一自由の利く場所であった。


 どうして、目覚めてすぐこのようなことになっているのか?

 誰か恨みでもあってドッキリでも仕掛けているの? と、戸惑いが止まらないフィル。

 そこへ、一人の少女がベッドの脇から顔を出した。


「あら、ようやく起きたのね」

「平然とした態度で顔見せんなよ、カルア。もう犯人が誰か分かっちまったじゃねぇか。せっかくだったらミステリー本ぐらい、ドキドキとソワソワを与えてほしいぜ」

「そ、なら私は食堂に行ってるわ」

「待って! 事件の謎を解く前に、縄を解くことから始めようじゃないか!」


 その場から立ち去ろうとする犯人カルアを全力で引き留めようとするフィル。

 手で制すことはできないが、代わりに全力フェイスでどうにか頑張る。


「縄は解いてあげられないけど……今度、一緒にお出掛けしてくれたらこの部屋にいてあげるわ」

「縄を解いてくれなかったら、この部屋に留まってもらう意味がなくなるんだが?」

「仕方ないじゃない、やむを得ない事情があるんだもの」

「ほぅ……?」


 フィルはカルアの言葉に興味を示す。

 自由という理想を掲げ、縛りをテーマにしているフィルを縛る程の何か。

 更には、主人である自分を縛っている程の理由———これは興味を示すというもの。


 一体、どんな理由があるのだろうか?

 危機感よりも好奇心が勝ってしまったフィルは全力フェイスから真剣な顔へと変わった。


「一応、理由を話す前に聞いておきたいんだけど———今日、何をする予定だったの?」

「普通に朝食を食べて、娼館に行って、スッキリした状態で仕事して……夜にもう一度娼館に行こうとしていたが?」

「そ……なら、私が解くことをしなくてよさそうね」

「どして!?」


 意味が分からないといった顔を見せるフィル。

 それに対し、カルアの表情は―――


「聖女がこの屋敷にいるのに、娼館に行かせるわけがないでしょ」


 何言ってんだ、こいつ? といったものであった。


「馬鹿なの? 何、聖女の接待ほったらかして屋敷の主人が娼館に行こうとしてるのよ。可愛らしい陳腐な常識はどこかに置いて行っちゃったわけ?」

「常識さんは常に俺の胸の中に在中しておりますが?」

「真顔で何言ってんのよほんと……」


 カルアは眉間を押さえる。

 自分の主人のせいで、今日も悩みが増えていく一方だ。

 それに───


「(……どうして私じゃダメなのよ)」

「ん? なんか言ったか?」

「なんでもないわよ!」


 いきなりそっぽを向き始めるカルアに首を傾げるフィル。

 疑問に思ってしまったが、フィルはとりあえず頭の片隅に置いた。


「とりあえず解いてくんない、この縄? これじゃあ、娼館に行くどころかお花を摘みにすら行けねぇよ。懐かしい幼少期時代にタイムスリップしてしまいそうだ」

「あの頃のフィルは可愛かったわね。ここでもう一回、可愛い姿を見せてちょうだい」

「何、主人におねしょを強要させてんの!? っていうか、あんちゃんとは子供時代のメモリーを刻んだ覚えはありませんが!?」


 娼館よりも、この歳になってのおねしょに危機感を覚えたフィルは全力でジタバタし始める。

 抵抗しなければ、生涯に残る黒歴史がシーツの上に広がってしまいそうだった。

 カルアもカルアで、解けないように結び目をしっかりと捕まえる。

 ある意味、かなり鬼畜の所業であった。


 その時———


「あ、あの……フィル様? 起きていますでしょうか?」


 不意に部屋の扉が開かれた。

 ノックもなしに入ってくるな、とツッコミたいところではあったが、それどころではないのは状況を見れば分かるだろう。


 そして———


「えーっと、これは凄い状況……です、ね……」


 状況を見たからこそ、現れたミリスは苦笑いが止まらなかった。


「こういうプレイが好きなんです、私の主人は」

「そうなんですか!?」

「主人の品位を落とす口を閉じろや、クソメイド!!!」


 とりあえず、縄を解いてもらうまで一時間。

 聖女の誤解を解くまでに小一時間ほど時間を要した。

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