第25話 持てる者・持たざる者③
部屋の様子がまた変わった。夜の部屋だったのが、昼になった。窓の外が明るい。
井浦は机のそばに立っていた。耳を抑えて挙動不審に辺りを見渡している。もちろん、祐実のことは見えていない。やがて彼は祐実の体を文字通りすり抜けて部屋を出て行った。彼が立っていた場所に祐実の目は、釘付けになった。商店街で見たものよりも小さかったが、あの紋様がフローリングの床に描かれていた。
耳元でノイズ音が走った。部屋は暗くなって消えていた。祐実の周りはただ暗闇だけが広がった。足元も覚束なくなる。途端に呼吸が乱れてくる。無意識のうちに祐実の体が完全な暗闇に恐怖し始めていた。自分に閉所恐怖症なんてあっただろうかと、祐実は体の異常に自分自身で驚いていた。自分は立っているのか、寝ているのか、逆さまになっているのか分からない。自分が不安定になっていくのがまざまざと感じられた。
数分か数秒か、あるいは数時間も経ってからか、時間の感覚が働かないので分からなかったが、そのうちに暗闇に小さな光が明滅し始めた。光は遠くからこっちにやって来る。あっという間に祐実の頭上まで迫ってくる。光は四角い窓のようで、そのフレームの中で動く人影が見えた。茂木探偵が映っている。ノイズ混じりに井浦の声がスピーカーで音割れしたような音で聞こえてくる。
「分かっているんだ、あんたが嘘を吐いていることくらい!」
「何が医療機関だ。僕がここを離れた後でも家族に手を出すんだろう、口封じに!」
「見え透いた嘘を!」
「あんまり僕を見くびるな」
「あんたも特異体質なんだな。瞬間移動ってやつだろ」
井浦の声が響く度に次から次へと暗闇にフレームが浮かんで遠くから流星のように流れてきて、彼方へ消えていった。茂木探偵とのやり取りのようだ。井浦の見ていた光景だろうか。それでは井浦の記憶を見ていたということになる。やはりここは井浦の記憶の中、心とか精神といったものの中なのかもしれない。
井浦の声に応じて茂木探偵がなにか言っているようだがその声は聞き取れなかった。
突如、暗闇がばっさりと天井から剥がれ落ちた。祐実の周りに分厚い暗幕が無造作に横たわっている。暗闇が落ちて露≪あらわ≫になった幕の向こう側は真っ白な空間だった。急に明るくなったせいで祐実の目は眩しさにぎゅっと細められ、思わず手で顔を覆った。やがて目が馴れてくると、そこがどこかの部屋などではない、上も下もどこまでも白い空間だと分かった。
さっきとは真逆だなぁと祐実は吞気に思った。
「意外と余裕ですね」
すぐ近くで、あるいは離れた所から声を掛けられたような、距離感の掴めない声がした。
祐実は真後ろを向いた。声がその方向からしたとかではなく、見る限り祐実の視界には誰の姿もなかったからだ。
井浦がいた。この世界に溶け込みそうな白い服に身を包んでいるのが印象的だった。その背後に枯れた巨木がそびえ立っていた。不自然な光景だった。でもここが現実の世界でなく、井浦の精神の世界ならそれもありなのだろうと、祐実は一人納得した。
「本当に余裕ですね。いや、色々見てきたから感覚が麻痺しているのも一因みたいですね」
井浦は祐実を見て一人で勝手に喋っている。
「井浦君」
祐実は声を出してみた。
「何ですか?」
井浦は答える。
「良かった。わたしの声は届いてるんだね」
「みたいですね」
「ここはどこ?」
「お察しの通り、僕の心の世界です。あと、あなたも今は実体のない精神体ですから、僕にはあなたの考えも、まぁだいたい伝わってきますから」
以心伝心を地でいくってこと?
「そういうことです」
「本当に伝わってんのね」
「そんな嫌そうにしないで下さいよ。僕だって嫌なんですから」
「悪かったわね。それはそうと、なんでわたし、君の心の中なんかにいるのかな?」
「お得意の質問攻めですか。まぁ、この際ですからお答えしますよ。出来る範囲で」
「気前よく全部答えたら良いのに。…なんでわたし、ここにいるの?君は一体何をしたの?あの探偵さんとはどういう関係?」
ふんと鼻を鳴らして祐実は腕組みをして相手の反応を待った。腕組みもして仁王立ちで、かかって来いと言わんばかりの態度だ。
そんな祐実の気持ちも勝手に伝わっているようで、井浦は呆れたように鼻で笑った。
「まず一つ目の答え。僕の精神干渉にあなたが巻き込まれて、どこでどうなったか、僕の精神波と同調しちゃってここまで来ちゃったようですね。
二つ目、僕がしたのは精神干渉と勝手に言ってますが、その名の通りの行為です。目的は相手の精神や記憶、つまりはまぁ人格を壊すことです。まぁ、分かりにくいかもしれませんが、僕は超能力者ってやつなんですよ。テレパシストって言えば想像できますか?人の心が読めるっていうアレです。能力は少し前に目覚めたんですけどね。
三つ目、あの探偵は僕の敵です。野放しに出来ないので彼の精神を破壊するところです」
精神や人格を破壊するとか、敵とか、あっさりと彼は不穏な言葉を吐いた。
「えーと、よく分かんない。探偵さんはなんで君の敵なわけ?命を狙われているの?」
「僕の精神感応ていうこの体質が、彼の属する組織に必要だとか言って、僕をスカウトし来たんですよ」
「ただのスカウトじゃなかったてこと?」
「ええ。どうしても僕を連れていかなきゃまずいらしくて。最悪の場合、家族や学校の友人なんかを人質にして言うこと聞かせようって作戦だったみたいです」
「君はそこに入りたくなかったの?」
「あの探偵は国際的な医療保健機関の人物に依頼されて僕のことを捜していたらしいんですよ。けれどそれは嘘だったんです。本当は何かと戦争をするための秘密の組織の人間だったんですよ。組織の詳細までは探れませんでしたけど」
話が飛躍している。にわかには信じがたく、理解出来ない。祐実はそんな気がした。
「胡散臭いでしょう?こんな話。けどね、紺藤さん。今あなたがいるこの空間だって、あなたにとっては非日常のもののはずですよ。こんな風景を見てしまっている以上、彼の背後にある組織が怪しげな秘密結社だと言った所で十分ありえる話だとは思いませんか」
うー、と唸って祐実は「そりゃあ、そうかもね」ととりあえず納得した。
「そんな怪しげな組織だとして、何かと戦争って、て話もよく呑み込めないけど、そこに行ったら井浦君は兵隊として駆り出されるだろうと。それが嫌で探偵さんに叛旗≪はんき≫を翻≪ひるがえ≫したわけね」
まぁ、そういうことです、と井浦は言って、続けた。
「人質の件がネックなのはなんとかしたかった。で、僕は逆に考えたんです。探偵が行方不明になるか、組織と連絡を取れない状態にすれば、人質の皆は助かるはずだと。あ、家族や友人の居場所を把握しているから、いつでも人質に出来るぞと脅してきたんですよ、あの人。だからすでに拘束されていたとかではなかったんです。未遂状態ってことですね」
話を聞きながら祐実はゆっくり頭の中で事の経緯を整理していく。
自分や勲が山頂に到着した時の、井浦と茂木探偵のやりとりは、殺し合いをしようとしていた。そういうことのようだ。
「探偵さんも君を殺そうとしてなかった?あれは何でなの」
「彼は、僕の能力が暴走した場合は抹殺することになっていたんだそうですよ。そういう指示らしいです。勝手な話ですよね」
言って井浦はせせら笑った。
「えっと、で、仮に探偵さんがいなくなったら、今度はそのバックにある組織っていうのが黙っていないんじゃないの?」
何が嬉しいのか、井浦はにっこり笑った。
「そこは問題ないです。彼らの目標はあくまで僕の生け捕りなんです。だから最終的に僕が死んでしまえば彼らはもう何も手を出す事が出来ない。ご破算です」
「ちょっと待った!」
祐実は目を丸くした。
「なんでそこで井浦君が死ぬことになるの!?」
全く意味が分かりません、と言いたげに祐実は大声を上げた。
「全く意味が分からない…?あ、そうでした。紺藤さんはまだ今の状況を分かってなかったんでした。どうもすみません」
頭をかいて、少し失敗しちゃったという態度で井浦は謝った。
「今の状況て、何?」
祐実はさらに困惑した様子で訊き返す。
「僕は死にかけてるんですよ」
またことさらに笑顔で井浦は平然として言い放った。
「僕の精神感応は、まだ未熟なもので本来なら時間をかけて訓練をして、制御できるように慣らしていく必要があるらしいんですが、なぜか僕はすぐに制御できるようになったんです。ただ僕みたいなケースは能力が突然暴走して、本人がそのまま能力の暴走に耐えきれずに死亡するんだそうです。
まぁどちらにせよ、僕は探偵さんを廃人にしたあと、自分は死ぬつもりだったんですよ。人を手にかけて、のうのうと生きていけるほど僕も図太くない。しかも僕が生きていては、謎の組織の追っ手が来るのはわかりきっていますから。それでは家族達を守った意味がない」
滔々≪とうとう≫と井浦は語った。
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