第24話 持てる者・持たざる者②
山頂に着くと、男が二人、既に対峙していた。
一人は見覚えのある制服姿。井浦だ。もう一人は印象的なショルダーバッグに膨らんだ髪型の長身の男。
「二日酔さん!?」
祐実の声に気付いていないのか、あえて無視しているのか茂木探偵は井浦を見据えたままだ。井浦もまた探偵を睨んだまま動こうとしない。よく見れば井浦は鼻から出血している。殴られたのかその量はおびただしい。ただの鼻血ではなさそうなのは一目で分かった。
彼(か)の探偵がなぜここにいるのだろうか?彼は井浦の場所までは分からないと言っていた。それなのにここに来ていた、というのは、彼が当たっていた場所に岩家が含まれていたのだろうか。しかし、場所が分かったなら連絡するはずではなかったか?祐実の脳内に疑問がいくつも湧いてくる。
「二日酔さん、なんで連絡してくれないんですか?」
「あーすまんかった。連絡を取る余裕がなかった。今もない」
茂木探偵の言葉に苛立ちが混じっていた。
「今はこいつを大人しくさせるのが最優先でね」
視線もよこさず、茂木探偵は相手を見据えたままそう言った。
「二日酔さんは井浦君をどうするつもりなんですか!?」
「取り込み中だ、説明は後でする」
「お手間は取らせませんよ。すぐ終わります」
井浦もやはり、茂木探偵を見据えたまま言う。
「同感だね。こんなふらついてる相手には遅れは取らんよ」
「どうでしょうね。今の僕はリミッター外れたままですから」
剣呑な雰囲気が漂う。察するにこの二人は敵対し合っているようだ。では探偵の目的はただの人探しではなかったということだろうか。
「そうだな。どうせ俺が勝つからな」
「じゃあやってみせてくださいよ」
井浦の鼻からさらに鼻血が噴き出した。顔面の下から半分が鮮血まみれになる。
しかし彼は構わない様子で、一心に茂木探偵を睨みつけている。眼も血走っている。
祐実は後ろから肩を掴まれた。
「紺藤、少し下がるんだ」
勲に言われて一歩祐実は後ずさった。勲の胸に後頭部が当たる。彼はそこで突風に吹き飛ばされない時にするように足を前後に開いて踏ん張らせていた。何かに備えているようだった。
ふと祐実が勲の首にかけられたヘッドホンを見遣ると、虹のような光が、その耳当てにあるスリット部分で一際強く輝きだす。
「やべぇ、ちょっときついな」
と勲が呟いたその次の瞬間。
誰かに頭をはたかれたような、そんな衝撃が祐実を襲った。脳震盪という言葉を聞いたことはあったが、これはそれに似ているかもしれないと、一瞬そう思えた。衝撃が駆け抜けた後は案外無事のようだったが、頭がくらくらした。
衝撃の瞬間、反射的にやっていたようで祐実は目を瞑っていた。頭がふらつくのを感じながらすっと目を開けてみると、周囲には誰もいなかった。
白昼夢みたいだった。さっきと同じ場所にいるはずなのに、誰もいない。背後にいたはずの勲もいない。風もない。日はまだ高いままだったが、静寂に包まれている。この付近は来るまでの道中見た限り動く者は誰一人いなかったのだから、そもそも静かではあったが、それでも何かしらの音、気配、例えば木々のざわめきや、衝突して鳴りっぱなしになったクラクションの音などは遠くで聞こえていたはずだ。それが今は何もしなかった。無音。耳鳴りすらしそうだ。
世界の終わり、人類の終焉、そんなものが到来したらこんな具合なのかもしれないと、祐実は思った。よもや今がまさにその時なのか、とも思ってしまう。
突如として、勲も茂木探偵も井浦もいなくなったこの異常で不可解な状況に、祐実はとにかく冷静になろうと努める。さしあたってポケットの中の携帯電話を取り出そうとして弄(まさぐ)るが、ポケットの中には何も無かった。どこかで落としてしまったのだろうか。携帯電話があれば勲に電話するなり何かしら確認も取れるだろうと思ったがこれでは無理だった。
場所を観察してみようと祐実は山頂からさらに続く遊歩道の先を行くことにした。先程井浦と茂木探偵が睨み合っていた場所よりも先へ進むと、少し開けた場所に丸太で作られたベンチが据えられている。
ベンチは年季が入っていて、明るい水色のペンキがほとんど剥がれている。そこに少年が座っていた。小学生くらいの男の子だ。どこか見覚えのある顔だ。
「あの、君」
と声を掛けると、男の子はこちらを見上げて、ベンチから立ち上がってさらに奥の方へと走り去ってしまった。走って行く彼を追いかけて、その姿が消えた茂みの向こうを覗くと、見慣れない教室の中にぽつんと祐実は立ち尽くしていた。
教室には夕日が差し込んでいて、がらんとしている。祐実は教室の後ろに立っていた。あたりを眺める。室内の様子からして小学校ではないだろうし、高校のものよりも多少物があふれているし、後ろの黒板に書かれた連絡事項の文言からどこかの中学校だろうと祐実は推察した。
教室の前方の入り口あたりに一人着席している男の子がいた。黒い学生服の後ろ姿。
「ねぇ、君」
祐実が声をかけると、男の子はこちらを振り返った。眼鏡をかけたその顔は、今よりも幼いが井浦だった。
「井浦君?ここは?一体何があったの?」
祐実の問いに中学生の井浦は何も答えず、教室の前方に顔を向けた。祐実のことなど見えていなかったように。不意に教室の中が賑やかに、いや、音はしていない。けれど人が、生徒が増えていた。このクラスの生徒たちだろう。みんな思い思いに動いている。休憩時間だろうか。すぐに教壇に教師が現れた。生徒たちはいつの間にかちゃんと着席している。早送りで映像を再生したように、祐実の見る教室の中の様子はめまぐるしく動いていく。
井浦は教師の授業を進める様子を真剣に見ている。真面目に授業に取り組んでいる。井浦はこの教師を尊敬しているのだろうなぁ、と祐実は感じた。
教室の中の人たちは皆、祐実のことが見えていないようだった。意識していない。異常な空間に放り出されてしまったと思ったが、ここでは逆で祐実の方が異常な存在なのだ。そこにいるのに気付かれない存在だ。まさか幽霊の気分になるとは祐実も思ってもいなかった。
この不可解な空間から抜け出す方法が分からない。方法が分からない以上に祐実は今見えているこの空間の様子をしっかり見ておいた方が良いように思えて仕方なかった。理由を問われた訳でもないが、「そうしろって囁いてるのよね、女の子の勘が」などと一人呟いてみる。
サイレント映画を時折早送りで見るように教室の中の様子が移り変わっていく様を眺める。
ホームルームのような雰囲気の教室になった。生徒は皆小さな紙を配られて、それに何か書いていく。似たような光景を祐実も少し前に見た気がした。
やがて生徒たちが教卓の上にその紙を思い思いに置いていく。中学生の井浦も席を立って教卓に紙を持ってくる。祐実は置かれたその紙を覗き込んでみた。
「ちょっと見させてね」
誰に聞かれる訳でもないが、一応断りをいれて、紙に書かれた文字を読む。目標とする職業を書いて、それに伴う進学希望先を思うように書く、そういう指針の調査票のようだった。具体的に目標があれば、それに向かって自分がこの先、どういうことをしていく必要があるか、自分なりに考えさせる、そんなコンセプトのようだ。
肝心の井浦少年の目標は、「教師」とあった。その下には地元の大学の教育学部を志望している旨が丁寧な字で記されていた。
「井浦君は先生になりたいのかぁ、ほうほう」
顎に手をやり祐実は感心したように何度も首肯≪うなず≫いた。
祐実が顔を上げると、教室が見知らぬ部屋に変わっていた。六畳程の部屋。端の方に寄せたベッドの上で布団が不自然にこんもりと丸まっている。
「多分、井浦君の部屋、なのかな」
最初にベンチに現れた男の子が、幼い頃の井浦だと祐実にもすでに察しがついていた。彼が小学生くらいの姿で次が中学生だった。順当に行けばおそらく最近の高校生になってからの井浦の姿を目にするのだろうと予想はできた。
丸くなった布団の団子は動かない。
「井浦君?」
恐らく声は届かないだろうと分かってはいるが、それでも微動だにしないのが心配になった。いっそ布団をめくってしまえと、祐実は布団を掴もうとしたが、指は何も掴めずにすり抜けてしまった。
「ありゃ?」
立体映像というものなのか、それとも自分がここでは幽霊だからなのか、どちらにせよ、自分は今この世界には何も干渉することができないのだと悟る。
「なら観ててやろうじゃないの」
祐実は腹を括った。
そう決めて改めて様子を窺うと、静かだった六畳の空間にぶつぶつと呟く声が聞こえてきた。
井浦が中で何か言っているのだろうか。祐実は布団団子に近づいてみた。
「水窪さん、ごめん、ごめん…」
布団から井浦の小さな声が繰り返しそう呟いているのが聞こえた。
「何もできなくて、ごめん、ごめんごめんごめん」
いじめられていた夏希をかばってやることが出来なかったことを悔やんでいるのだ。謝罪、悔恨。きっとそんな気持ちがずっと引っかかっていたのだろう。だから井浦はいじめをしていた側の生徒四人に何かをしたのだ。その『何か』が何であるか、祐実は薄々感じていた。
それは今いるこの不可解な世界、それを見せているものではないか。根拠や理屈は祐実は的確に説明できないが、自分が幽霊のようにして見ているこの空間は、井浦が何かをしたからこうやって目の前にあるのだと、感じていた。
布団の中から井浦のくぐもった声がずっと聞こえてくる。その声は後悔を通り越して自分を責めるような、自分に向けた呪詛のようにも聞こえてくる。
「そんなに謝らなくても、夏希ちゃんはきっと怒らないし、責めないのに…」
祐実は声の届かない井浦にそう言ってやった。
「まぁ、今の言葉はわたしじゃなくて、夏希ちゃん本人に言ってもらうべきよね」
井浦が自分を責めても納得できないのが、こんな世界にいるせいもあってか祐実にもその気持ちが伝わってくる。彼は、夏希のことを特別な存在に思っていたのだろう。だから彼女がいじめにあっていた時に、彼女を庇ってやれずにいたことが尚のこと許せないのだ。
きっとそれは彼が弱いからだろうと、祐実は思う。
いじめられている者を庇えば自分も標的にされることはよくある話だ。そこで自分が矢面に代わりに立つ勇気がなかったことに、井浦は憤りを抱えているのだ。弱い自分が許せないと。
けれど祐実は思う。その弱さは非難されるものではないはずだ。人間はみな弱い生き物だから。
祐実は父親から折りにふれ、そんな話を聞かされてきた。最初から強い人間はいない。ヒーローのような理想的な強さを持つのはフィクションの中だけで、現実には弱い人ばかりなのだと。
そして父親はこうも言う。弱いから、強くなれるのだと。きっと彼も今ではなくてもいずれ本当に強い人間になれるはずだ。
祐実は祈るような気持ちでそう思った。
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