第23話 持てる者・持たざる者①

 数回コール音がして、相手が出た。


『もしもし。どうした?』

「あ、二日酔さん。えっと、落描きの犯人わかりました。」


 祐実は手短に報告した。


『そうか。さすがだな。今ちょっと忙しくてな。そいつの名前だけ先に教えてくれるか?』


 井浦淳也、と祐実は伝えた。


『やはり彼か。俺もようやく突きとめたんだ。居場所はわかっているのかね?』


 祐実は探偵も犯人が井浦だと本当に特定していたことに驚き、「え?あぁ」と戸惑った。


「それが行方不明といいますか。場所が分からないんですよ。ひょっとして二日酔さんの方でもう何か手掛かりつかんでませんか?」

『馬鹿者。なんで知ってる思うんだよ。俺もそこまで全能じゃあないんだ。わかった。俺も今捜している所なんだが、心当たりがいくつかあるんだ。手分けして捜しにいこう。それでお互い何か情報を掴んだら連絡しよう』

「わかりました」


 茂木探偵は幾つかの施設や場所を伝えて電話を終えた。



「高校生二人組も井浦少年に辿り着いたか」


 茂木探偵は呟いた。井浦に関しては急がねばならなかった。そして彼と接触するのにあの二人組は少々邪魔だ。しばらく見当違いの場所へ行ってもらった方が都合が良い。そう考えて適当にビルや公園の名前を挙げて伝えておいた。

 茂木探偵は歩調を速めて、岩家の山へと向かった。

 彼には珍しい事だったが焦りの色が浮かんでいた。



「二日酔さんが手分けして捜そうって」


 祐実がそう言うと、勲はふーん、とつまらなさそうに相槌を打った。


「やっぱりプロというか、場所の候補も挙げてくるなんて凄いんだけど…」


 でもなぁ、と祐実は言葉を濁すように足した。


「そうは言ってもあの探偵は怪しくて信用しきれないってか?」


 勲は時々、全部を言わずともこちらの気持ちを察してくれる。案外人の事をよく見ているのだ。普段は面倒くさがりなだけに見えるのだけれど。


「そうなんだよねぇ」


 祐実はため息混じりに言った。


「おっさんが言ってきた場所ってどこなんだ?」

「市民球場、浅代神社を当たって欲しいって」

「めんどくせぇのな。どっちも方向別だし距離も離れてんじゃん」


 どうする?と勲は訊いた。

 祐実は腕組みをして、うーんと唸った。

 二日酔探偵は井浦を見つけて、依頼主に報告して、でもきっとそれだけではないだろう。彼をその後どうするのかはっきりしない点で今ひとつ信用できない。けれど完全に二日酔探偵が何か企んでいてやましい人間かと言うと、そこまで邪見もしていない。


 今どうすべきか。一つは彼の言葉を信じてその二つの場所へ向かうべきか、もう一つは夏希の言っていた思い出の場所を当たるべきかどちらかだ。

 しばらく思案して祐実は「うん分かった!」と手を打って決断した。


「考えるのは止め!ここは女らしく勘でいくべし、よ!」


 決断と言うよりも思考停止に近いようだった。


「なんで勘が女らしいんだ」


 またいつもの唐突な言動が出たなと、勲は内心で呆れていた。


「ワルキューレシリーズでナタリーがね、女の勘を馬鹿にしてはいけないって」


 またどこかのハードボイルド小説の受け売りのようだ。勲には自分の都合の良いように使っているだけのようにも見える。そこが彼女の面白い所でもあるので、いつもまぁいいかと思ってしまう。


「それで、その女の勘ではどっちに行くんだ?」

「夏希ちゃんの言っていた場所の一つ、依良≪いら≫岬ね!」


 自信満々に祐実は断言した。


「でもよ、さっき携帯電話でニュース見てたらこんな記事が」


 勲は自分の携帯電話でニュース記事を見せた。


『速報…富河市岩家町で昏睡状態続出…原因は不明。救急搬送され…警察が調査中。一部道路は封鎖…』記事を斜め読みするとこのような記事だった。

 岩家町は夏希の言っていた場所のもう一つの候補地だった。


「岩家に行きます!」


 最前の言葉よりも声高らかに祐実は宣言した。


「さっきの女の勘はどうしたんだ」


 勲は冷めた視線を送った。


「女の勘だって鈍ることくらいあるよ!別に良いじゃない!少しの間違いくらい!」

「女の勘は当てにならんてことでいいんだな?」


 そう言って勲は苦笑した。祐実はむすっとしたけれど、すぐにはっとした様子で、


「昏睡状態の人が続出ってことは、井浦君が何かした、てことだよね、きっと」

「そうなんだろうなぁ」

「とりあえず彼はまだ生きている。急ごう!」


 祐実は駆け出した。

 祐実の背中を勲は追った。その顔は平時には見せない険しいものだったが、祐実はそれには気付いていない。



 二人は電車を降りて駅舎を出た所で違和感を覚えた。

 騒々しい、けれど静かだ。矛盾した印象。

 

 駅舎の前は小さなロータリーがあり、普段なら本数の少ない路線バスや送迎の車が入ってくる場所だ。そこには今車はなく、人もいない。電車から降りてきた客は他にもいたが、皆が一様に不可解な顔をしている。

「あれ、電話でない。どうしたんだろ」「バスもタクシーも来ないな」「なんで誰もいないんだろう」そんな声がぼそぼそ聞こえてくる。

 誰もいない。とりあえず先を急がなければと、祐実と勲はロータリーを渡って駅前の交差点に来て、違和感の正体を知った。


「おい、紺藤」


 勲の呼ぶ声が何を言わんとしているかは、祐実にもすぐに分かった。

 電柱に突っ込んだ自動車。その中で運転手が突っ伏しているのだろう、クラクションが鳴り続けている。車のエンジン音やクラクションが鳴っているのに誰も騒ぎ立てる人間がいない。当然だ。近くには動いている人間は誰もいなかったからだ。

 人はいたが、歩道の上で倒れて動かない。その道路の先でも車は玉突き状態で列が停まっていた。道路脇の民家に突っ込んでいる車もあった。一目で大規模な事故が起きているのが分かる。にも関わらず、動いている人間がいない。民家から人が出てくる気配もない。


「何があったって言うの…?」


 祐実は総毛立つような悪寒に襲われた。


「さっきのニュースだろ。岩家町で集団昏睡て言ってた、あれ」

「それがここまで広がったってこと?何をどうしたらこうなるの?」


 訳分かんない、祐実はぼやいきながら、それとなく今来た道を、つまり駅舎の方を見渡した。

 祐実は横にいた勲の袖を引っ張った。


「勲、さっきいた人たち、皆倒れてるっ。どうなってんの!?」

「落ち着け、紺藤。とにかくここから移動しよう。水窪の言ってた事と、昨日の学校で起きた事と井浦の行動からあいつが何かやったんだろうってことは、何となくだけど察しがつくじゃねえか。なら、今はあいつととにかく会わなきゃ。そうだろう?」

「…うん。そうだね。会ってみないと分かんないんね」


 祐実がそう言って首肯くと、その手を勲が引いて歩き出す。


「紺藤、俺から離れるなよ…絶対。1メートル以内にいてくれ」


 前を向きながら、勲はそう言った。祐実は背の高い少年の斜め後ろ姿に「なんで?」と問いかけた。


「なんでもだ。頼むから」


 勲は前を向いたままそう答えた。表情は分からなかったが、いつになく必死なその声音に圧(お)されて、祐実は「わかった」と言った。そしてふと、彼の首元を見ると、いつものヘッドホンの、耳の所に来るハウジングの外側に入った細いスリットにキラキラと光彩が灯っていた。



 プラネタリウムに近づくと、勲は建物ではなく山道の方へと足を向けた。

「勲、そっちなの?プラネタリウムは逆だよ?」

「いや、井浦はこっちだ。山頂にいる」


 祐実の疑問に勲はきっぱりと断言した。

「なんで」


 そう言いきれるのか、と訊こうとして、


「そう言いきれるのかっていうと、まぁそんな気がしたとしか言えないんだけど」


 勲は訊かれることも分かっていたように、即答した。


「何それ?」

「男の勘てやつだな」


 妙に自信満々に勲は言い放った。先の自分の言葉に対する当てつけか皮肉で言っているのだろうが、今はそれが嬉しく思えた。大きな事故も起きているこの切羽詰まった状況なのに、勲はいつもと変わらないように振舞ってくれている。その優しさが嬉しかった。

 歩道とは言え、簡単に整えただけの山道を歩いていくとだんだんに息が上がって行く。

 最初こそ勲の手に引かれていたが、山道に入ってからはさすがにそれでは歩きにくいので祐実は手を離していた。言われた通り、勲から離れないように彼のすぐ後ろにくっ付くようにして歩いて行く。


「紺藤はさ、井浦に会ったらどうする?」


少しこっちを振り向いて勲は訊ねた。


「どうするもこうするも、死にたがっているなら食い止める。夏希ちゃんが泣くぞって脅す。それでも駄目なら殴って気絶させてでも止めるわ」


 言葉に力を込めて祐実は言った。


「そっか。それが一番良いよな、やっぱ」


 一人で納得するように勲は言った。


「紺藤さ、お前は何もないとかって言ってたけど、俺はそうでもないと思うぜ」

「き、急に何よ」

「いや、まーお前なら井浦も止められそうだなぁと思って。余裕でさ」

「何よそれ」


 さっきの真面目で緊張したような声音ではなく、いつもの勲のテキトーで脱力したそれだったので、祐実は顔が少し綻んだ。


 井浦を止めると言う事に関しては、何が何でもという気持ちが強いから、出来る出来ないの話でもないと祐実は思った。勲の何も無いってことはない、という言葉の方が祐実の心の中に引っかかって、宙づりのような感じで残っている。褒められた?いや慰められた、そんな気分だからか、嫌な心持ちではないのだが、祐実はうまく説明できない。結果、もどかしさだけが苦味のように尾を引いて舌の奥に残った。

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