第19話(最終回) 千の歳月 変わりなく

「ここから見る景色はいつ見ても美しい。海の澄んでいるのを見つめていると、私の心のうちも澄み渡ってくる想いがする」


 希咲は、海神の社の鎮守の森の奥、海岸の真上あたりに立ちながら、寄せては砕け散る波を眺めていた。


 今日の波は穏やかだ。空は青々と晴れ、風は涼しく心地よい。陽光が色づく木の葉を照らし出す。希咲の傍らには、鷹見が立っていた。


 宮部の屋敷の庭先での裁きが終わってから、七日ばかりが経っていた。結局、実咲は北の玄武山に造られた粗末ないおりに閉じこもり、山から下りては来なくなったのだった。


「あいつが大人しくしていて、何も問題を起こさねばそれで良い」


 希咲はむしろほっとしたようだ。それきり、実咲のことには触れなかった。


 手古名に怒られながら再び、この海神の社の癒しの森の施療院で希咲は休んでいる。今はようやく手古名の許しを得て、鎮守の森を散歩出来たのだ。


 鷹見の眼下で、波が打ち寄せては砕け散る。静かな波の音が聞こえる。


「歌の一つもお詠みになってはいかがですか。希咲様はお出来になるのでありましょう?」


 鷹見は言った。歌詠みは貴人のたしなみだが、鷹見にはまだ上手く歌を詠むことは出来なかった。宮津湖に習っても、こればかりは礼儀作法や武芸とは異なる、別の修練としか思えなかった。その宮津湖にしてからが、歌詠みはさほど得意ともしていない。


 希咲の方は、ここで歌を詠むも一興かと思い、一つ声に出して、こううたった。


 海神の社の崖に寄せる波 千の歳月 変わりなく散る


「素晴らしい歌でございます」


 世辞ではなく、心からの賛嘆だ。希咲は、心にもない追従を言ったとは思うまい、と鷹見は信じる。


「いや、これは単に音の数を守り、形式に沿って詠っただけに過ぎない。もちろん形式や決まり事は大事だが、それよりも大事なのは心だ。もっとこう、聞くだけで胸を打つ、心からの想いが感じられなければ真の歌とは言えないのだ」


「だだ上手いだけでもなく、そういう意味なのですね」


 希咲は、その通りだと言った。


「そうでなくては、とてもではないが、力を入れずに天地あまつちを動かし、鬼神の心をも安らげることなど出来はしないだろう」


「天地を動かすのですか」


 鷹見には、それはあまりにも大げさな物言いに聞こえた。


「信じられないだろうが、真の歌詠みには、それが出来ると聞いている」


「それは素晴らしいですね。もしもそんなことが出来るとしたなら、それは和御魂の働きなのでしょうか。それとも荒御魂が言の葉を通して現れたのでしょうか」


「さあ、そのどちらでもあるのではないかな」


 希咲は謎めいた物言いをした。こんな言い方をする時には、希咲自身にもはっきりとした答えは分からない時なのだ。


 誰でもそうした時がある。そんな時には、謎を謎のままにしておく。いつか時期が来れば答えが向こうからやって来る。その人にとって、最も適切な答えが。

 

「これからも変わることなくお仕えいたします」


 これは声には出さずに言った。声に出して言うべき時には言う。今は出さなくても伝わると、そう信じて黙っているのだった。


 海神の社の癒しの森に、波の音が響き続ける。この波の音は、千年の後も変わらず響き続けるのだろう。


「私が英雄神として祀られるなら、この海神の社の摂社にして欲しい。そうやって、いつまでもこの海を見て、波の音を聴いていたい」


「摂社に? 希咲様なら独立したお社が建てられますよ。それも立派な、このお社に負けないくらいの物が」


 そう言えばいつものように希咲は謙遜するに違いないと思っていたが、


「そうか。そうしたら、お前と宮津湖が私の社の摂社に祀られるのだろう。それもまた良しだ」


と、意外な返しが。


「ええ、は、いや、俺は」


 あわててどう返答したものか迷う鷹見を見て、希咲は声を立てて笑った。


「ま、それは我々の後の世の人々が決めることだ。我々の一存ではどうにもならぬ」


 離れた場所から手古名の呼ぶ声がする。


「よし、私は戻ろう。あと少しで本調子になる。それまでは手古名にうるさく言われるのも我慢せねばならない」


「はい」


 鷹見は施療院に戻る主の後ろ姿を見守った。秋風が吹く。紅葉した葉を散らす。


 海の青 空の蒼に 木々の葉の 赤と黄添えて 秋風ぞ吹く


 鷹見は一人、歌を詠んだ。


「鬼神の心をも動かすには足りないな」


 そうつぶやくと、社の境内を出るべく鳥居の方へと向かって行った。


          終わり


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海神の社 片桐秋 @KatagiriAki

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