黒の竜人と白い花

 不意に激しい痛みが全身を駆け巡り、それに引かれるように闇の中から意識が浮かび上がる。

 露に濡れた土の匂いに目をゆっくりと開けると、色とりどりに瞬く星空と夜の色に染まった岩肌が、半分ずつ視界の全てを占めていた。月は見当たらないが輪郭が見える程度には明るく、夜目の効かない種族である私にはありがたい。

 ここはどこだろうか、と思考を巡らせ、辺りを見渡すべく腕に力を入れて体を起こそうとしたところで、再度全身に激痛が走る。

「が……あっ……」

 今度の痛みは、私が陥っている状況を思い出させてくれた。

 ここは、町から離れたとある高山の中腹。私は依頼を受けて高地に咲く薬草を取りに来て、魔物に襲われ、戦闘しているうちに崖から滑落したのだ。

 直前の記憶と正常な思考を取り戻したところで、次に現状把握に移る。今度はゆっくりと身体の各部位を動かして、どの程度の負傷具合であるかを確認する。全身土埃で汚れ、固まった黒い血が黒い鱗の上にシミのように浮かんでいる。

 しばらく痛みと悪戦苦闘しながら確かめたことで、どうやら四肢の骨は折れておらず、痛みは概ね擦り傷や打ち身であることがわかった。私が体表に硬い鱗を持つ《竜人リルドラケン》であったから、この程度で済んだのかもしれない。しかし一方で、滑落した時に身体の下敷きになった私の翼は、骨も折れ無惨なことになっている。連戦のせいで今日はもう疲れ切って飛べなくなっていたのだが、それでも翼は主人を守るために最後まで頑張ってくれたらしい。

 いつまでも功労者を押し潰しているわけにも行かないので、無理やり上体を起こす。吐き気すら催しそうな痛みが走るが、なんとか堪えることができた。肝心の背中はほとんど見えないが、輪郭が歪なことになっているのがうかがえて、少し背筋が寒くなる。

 周囲に目をやると、ギリギリ人ひとりが横になれるだけの広さの平らな岩の上にいるのだとわかった。どうやら滑落したものの、運良く出っ張りに落ちて止まったらしい。

 そっと覗いてみると、夜闇でほとんど見えないが、かなり下の方に木々が生い茂っているのが見える。もし引っかかって止まらなかったなら、そのまま下まで滑落し続けていただろう。その場合は命がなかったか、そのまま魔物に襲われていたかもしれない。

 あまり篤いとは言えない信仰心だが、今回の幸運を神に感謝して、腰のベルトのポーチから小さな宝石を取り出す。

『光の妖精よ、来ておくれ』

 そう呟くと宝石がにわかに柔らかい光を放ち始める。しばらくして、宝石から光の玉が出てきて、ふわりと中空で浮遊する。

 いや、光の玉ではない。光の中心に目を凝らすと、背中に昆虫の羽が生えた少女のような生き物がいる。少女は私の手のひらよりも小さく、少しの間私の周りをヒラヒラ飛んだあと、私の差し出した左手の上に座った。

『こんばんは! 今回は何を探せばいいのー?』

 そう言って光の少女は楽しそうに足を揺らす。普段は私の冒険をサポートしてくれる頼もしい友人だが、今回は目的が少し違う。

『いや、怪我をしたから、癒しの水を出してくれるか?』

『わかった! じゃあ手を出してー』

 右手で受け皿の形を作ると、妖精はふわりと飛びあがり、私の手の中に向かって『えーいっ!』と手をかざす。すると、ほのかに光を帯びた水が手の中に現れ、同時に私は疲労に似た倦怠感、マナの枯渇を感じた。元から多くない私のマナ保有量に加え、戦闘で消耗していたこともあり、ついに底を尽きたようだ。

 それでも、作り出された水を飲むと、全身の細かい擦り傷や引っ掻き傷が治癒し、身体にある程度力が戻るのを感じる。翼の骨折も完治にはほど遠いが、出血箇所は目に見えて減り、いくらか痛みも和らいだ。

『ありがとう、楽になった』

『じゃあ、また用があったら呼んでね。お大事に』

 妖精は来た時と同じように羽ばたいて、光の鱗粉を散らしながら宝石の中に吸い込まれていった。やがてその薄明かりも無くなり、辺りは暗闇に包まれる。

 もし私が野伏の技術を持ち薬草の使い方を心得ていれば、薬草で傷を治したりマナを回復して再度彼女を喚ぶこともできるのだが、あいにく私は薬草の使い方を知らないし、それにその道具もない。ベルトポーチに入れていた妖精の宝石や予備のナイフ、マナを含む鉱石こと魔晶石やいくつかのポーションは無事だったが、背嚢に入れていた野営用の道具や私の主力武器である長剣は、どうやら滑落の際に落としてしまったらしく、今は手元にない。

 取りに行こうにも、飛べない上にこのズタボロの状態で斜面を降りるのは無謀な行動だ。飛行型の魔物の巣が近くにある様子もないし、ここはおとなしくこの出っ張りの上で一晩を過ごすしかないだろう。休息して明日になれば、回復したマナで妖精に翼を治してもらい、そして治った翼で飛びながら降りることも不可能ではない。

 ポーションを飲んで少しばかり体力を回復し、外套をそのまま毛布代わりにして岩肌に横になると、夜の冷気と失血で冷え切った身体に徐々に体温が戻ってきた。血が通い始めると同時に背中の痛みも蘇ってきたが、慣れれば問題ない。

 ……不意に、この依頼を受けたときのことを思い出す。孤児で身寄りのない私は、雨と風の女神フルシル様の神殿に世話になり、生活させてもらっている。今回の依頼はただ山に自生する薬草を取りに行くだけのもので、大きな危険もないから大丈夫だろうと一人で受けたのだが、神官長や友人は非常に心配していた。結果としてこのような有り様であるから、その心配は的中していたのだろう。

 場合によっては野営するかもしれないとは言っておいたが、順調に進んでいれば今ごろは町に戻れていただろう。明日にも私が帰らなければ、捜索願いが出されてしまいそうだ。

 まあ、無事に帰れたとしても、私の消耗具合を見て事の顛末を察した二人は(こういう時の勘は二人とも鋭いのだ)、きっと長い説教を始めるだろうが……私のせいで二人が嘆き悲しむことにならずに済みそうで、少しだけ安心した。

 今回の事の顛末を思い返しながら、私はいつの間にか目を閉じていた。


 翌朝、地平線から顔を出した太陽の光で目を覚ます。私の寝相が良いおかげで、寝ている間に滑り落ちずには済んだ。

 とはいえ、ぐっすり休めたとは言えない。帰ったら落ちる心配のない寝具で寝たいものだ、と身体を起こして強張った筋肉をほぐしながら思う。翼は完治までまだかかりそうだが、計画通りマナは満ちている。

『んー、これならあと3回くらい癒水ヒールウォーターを使えば治ると思うよ!』

『そうか。では、早速頼む』

『はーい!』

 私に魔法を何度も頼まれるのが、普段しない仕事で楽しいのか、妖精は昨日より活き活きと魔法を使っている。そういえば、妖精魔法これを覚えたきっかけも、薬草も回復系の魔法も使えない私の身を案じた神官の友人が「何かあった時に自分一人でも回復できるように」と知り合いを呼んで教えてもらったからだった。つくづく、私は彼女らの世話になりっぱなしである。

 妖精の見立て通り、3回目の回復の水を飲み干した頃には、私の翼はほとんど元通りとなっていた。マナにもまだ余裕はあるが、帰りのことを考えると、やたらと消費するわけにもいかない。

 翼を広げて飛行能力が戻っていることを確かめると、岩から顔を出して下の様子を探る。朝日が昇り夜闇が払拭された山は、木々が薄いところを魔物がうろついているのが非常にはっきりと見える。

 なるべく戦闘せずに帰還するためには、そうした魔物の縄張りは避けながら進むべきだ。脳内の地図に下山ルートを書き加えながら、私は注意深く観察を続け……そして、山の木々の上に浮かぶ、闇の塊を目撃した。

「……ああ、なるほど」

 道理で、安全な任務なのに気性の荒い魔物との遭遇がやけに多いわけだ。"奈落の魔域"が出ていれば、生息圏が変わり巣を追い出された魔物が外をうろつく。そしてたまたま出会った《登山者わたし》と縄張り争いになることもある。

 そして同時にもう一つ、私のいる岩のすぐ下に、白い花を咲かせた小さな薬草が自生しているのも発見した。私がこの山に来た目的である。

 落ちないように身体を乗り出して、依頼人から言われた通りに採取すると、ほのかに甘く爽やかな香りが鼻をくすぐった。

「運が良いんだか、悪いんだか……」

 雲ひとつない青空を仰ぎ見ながら、私はため息をついた。

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剣の世界の人々 鉛筆のミヨシノ @PencilMiyoshino

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