剣の世界の人々

鉛筆のミヨシノ

盾神の剣

 薄暗い、というよりもほとんど明かりの無い洞窟。湿気や獣臭さの充満した清潔とは言い難い闇の中を、一人分の人影が動いていた。

 暗い色のフードを目深に被った人影は、音を立てることなく歩き、洞窟の中をあらためていく。元は天然のものなのだろう洞窟の分岐路を進んだところには、いくつかは簡易な寝床らしき藁束が積み上げられていたり、武器や強奪したものと思しき金品が乱雑に積み上げられていたりした。

 手早く戦利品の山を調べ、探しているものが無いことを確認して、人影はため息をついた。

「ここも、ハズレか……」

 つい先ほどまで調べていた痕跡を、手慣れた手つきながら慎重に消して、人影は立ち上がった。普段から気をつけて消しているが、蛮族は鼻が利いたり勘が鋭いものも多い。己の居住空間ともなればなおさら、自分のものでない匂いや痕跡には敏感だろうーーバレないためには、人一倍注意を払う必要があった。

 そんなことを繰り返しながら、奥へ進み続けると、やがて洞窟の最奥に辿り着いた。ご丁寧にも木製の扉が設けられており、下級蛮族たちが使う文字で『オカシラの部屋! 許可なく入るバカ、殺す!』と書かれている。

 躊躇うことなく人影は扉を開けようとする。だが、それより早く扉の向こうから聞こえてきた話し声を耳にして、手を止めた。

『やっぱりオカシラがソレ手に入れてから、チョーシがいい!』

『人族ども、カンタンに皆殺しにできる。いいもの手に入れてきた、よくやった!』

『燃料のも手に入れ放題、オカシラ無敵!』

 そして続く大勢の下卑た笑い声に、耳を近づけて聞いていた人影は顔をしかめて扉から離れた。

 どうやら、探していたものは首領が持っているようだ。そして、ちょうどその首領は扉の向こうにいるらしい。

 今まではもし首領がいなかった場合に備えて隠密行動をしていたが、いるならば話は早い。それに他にも、価値のある話を聞き出せそうな者いるようだ。

 今度こそ扉に手をかけ、開く。笑い声が止まり、中にいたすべての蛮族が途端にこちらを睨みつけた。

『オイ! どこの誰だか知らねぇが、オカシラの許可なく入るな! オカシラに殺されたいのか、死に急ぎのバカ!』

 背中に皮膜の翼を持つ、二足歩行する小柄なトカゲに似た下級蛮族ーーフーグルが、現れた人影にそう言い放つ。彼に同調するように、周囲にいた妖魔たちが罵声を浴びせかけた。

 だが、オカシラと呼ばれていた白い体毛に覆われた青い肌の大柄な蛮族ーーボルグは、上機嫌で笑いながら部下を止めた。

『まあそう言うな、オレは今気分がいい。文字が読めないバカだって一回は許してやろう。

 おい、いつまでそこに立ってる、とっととコッチ来て座れ!』

 首領の言葉を無視して、軽く部屋を見回す。部屋の中は円形に広く、暗視がない下級蛮族に配慮しているのか、かがり火が焚かれている。蛮族たちは円陣を組むように並んでおり、中央では付近の村から攫ってきたのだろう家畜が捌かれていた。

 そこまで把握したところで、フーグルに負けず劣らず小柄な下級蛮族ゴブリンの一体が、苛立ったように人影に近寄る。

『オイ! オカシラの言うこと聞けねぇのか、このノロマ! さっさと動け、大体その邪魔くせぇフード取りやがれーー』

 そして人影のフードに手を伸ばしたところで。

 一瞬の剣閃とともに、ゴブリンの伸ばした腕から先が宙を舞った。

 驚きに遅れてやってきた痛みとおびただしい出血に悲鳴をあげながら崩れ落ちる仲間の様子に、全員が得物を手にして人影に構える。

『歓迎ご苦労。だが気遣いはいらない』

 人影は悪びれる様子もなく血飛沫を器用に避け、己のフードに手をかける。

 そして人影がフードを脱ぐと、かがり火の光に照らされて輝く金髪と、鋭く尖った両耳、整った顔立ちの美しい人族ーーエルフの女が姿を現した。

『私はお前たちの敵だからな』


 人族の突然の襲撃と仲間がやられたことで、一瞬の動揺が走る。しかし蛮族たちは敵が一人だとわかると、すぐさま憎悪と敵意を持ち直して、素早い動きで彼女を包囲した。

『敵は一人だ、殺してギタギタにしてやれ!』

 首領のその言葉を合図に、配下の蛮族たちは一斉に攻撃を仕掛けた。

 各々が槍を突き出し、そして包囲の外から正確に弓矢で射撃を放つ。だが、その全てをエルフは最小限の正確な動作で回避してみせた。

『チィ、なら魔法だ!』

 首領のすぐ近くにいたフーグルの部下が、素早く杖を構えて詠唱し、魔法の矢を放つ。魔法は回避できない代物で、そして基本的な技術を身につけた魔法使いは誤射をしない。

 ーーだが、魔法の矢はエルフに命中したものの、霧散してかすり傷すら負わせられなかった。

『なっ……!』

『そろそろいいだろう。こちらの反撃だ』

 冷めた声色でエルフはそう言うと、首から下げた聖印に触れて短く詠唱した。

「イーヴ様。お力、お借りします。【フォース・イクスプロージョン】」

 刹那、彼女を起点として衝撃の波が蛮族たちを襲う。槍で近接戦闘を挑んだ者はもちろん、少し離れた位置で次の矢をつがえていた者たちも巻き込んで、波は被害者たちを吹き飛ばして洞窟の壁に叩きつけ、全滅させた。

 周囲に残ったものがいないことを確認すると、エルフはその視線を首領たちに向けた。

『クソ! ザコどもでは敵わんか、ならオレ自ら打って出る!

 オイ、オマエはアレを呼び出せ!』

 怒り狂った首領は重装備を構え、部下に指示を出して一気に詰め寄っていく。そして走りながら、首領は腕につけていた腕輪に何かを仕込み、大きく武器を振り回した。

「あれが……」

『オオオオ! 死ねっ、死ね死ねぇ!!』

 武器が異様な気配をまとい、エルフに向けて振り下ろされる。単調な攻撃ゆえあっさりと回避したが、かわされた攻撃は地面を強烈に叩いて揺るがし、踏み固められた床を割り砕いた。

 その隙にフーグルは携行鞄から何かを取り出し、鳥のような小さな眷属ファミリアらしき何かに言葉を告げる。すると眷属はたちまち人一人が優に入れるほどの禍々しい巨大な門を形成し、その頂点で装飾の一部に変化した。

『来い、魔神! オレたちに力を貸せ!』

「"異界の門"を形成した!? ただのフーグルマンサーが……」

 初めて出した女の驚いた声に、フーグルは汚らしくせせら笑う。同時に門の扉が開き、中から異形の魔物が姿を現す。それはタコのような触腕を持ち、頭部に巨大な一つ目を持っていた。

「ナズラックね……」

 特徴的な眼球から対象を萎縮させたり高揚させたりする魔力を持った視線を放つ、【魔神】と呼ばれる魔物の一種だ。仕留めるには心臓のある頭部を傷つける必要があるが、その複数の足が頭部への攻撃を妨害するため、足を先に倒さないことには頭部を狙いづらい。そうして敵を足止めしているうちに、自身のタコ足や高揚させた仲間に敵を倒させるのである。

 召喚されたナズラックは、フーグルの指示に従い眼を妖しく光らせて萎縮の視線を放つ。恐らくは魔神による弱体化と重装備の首領による強力な一撃で、これまで数々の人族を打ち倒してきたのだろう。加えて腕輪の効果ーー恐らくは攻撃の威力を高める物か。この連携では駆け出しの冒険者はおろか、それなりに経験を積んだ中堅の冒険者パーティーでさえも倒されかねない。

 ……しかし、相手が悪かった。

『……この程度?』

 萎縮の視線を受けたエルフは、しかしそれを容易く跳ね除けて退屈そうに視線を向けた。

『へ? ……え?』

 困惑するフーグルを他所に、軽く息を吐き、特定のリズムで大きく吸い込む。彼女の細い四肢がひとまわりしなやかな筋肉質になり、その目は猫のように鋭く変化する。練技と呼ばれる、呼吸を用いた肉体強化の技術だ。

 そして短い詠唱を二言放ち、腰に下げた二振りの短剣を抜く。いつの間にか剣は魔法の光に包まれており、その一撃が強化されていることを物語る。

『これ以上隠し玉を使われる前に、さっさと倒すとしよう』

 言った直後、エルフの姿がかき消えた。いや、あまりに俊敏な動きに、目が追いつかなかったのだ。

 そして次に首領の目が彼女の姿を捉えた時、事は既に終わっていた。足元に再び現れたエルフに得物を振り上げた途端、全身を無数の斬撃が襲い、首領は痛みに崩れ落ちた。

『ガ、あ……っ!?』

『急所は外してある、殺しはしない。お前たちには聞くことがある』

 そのまま倒した相手に目もくれず、彼女はフーグルへと前進する。

『オカシラがやられた!? クソッ、止めろ魔神!』

 指示に従い、ナズラックが行く先に立ち塞がろうとする。しかし彼女は一瞥すると、足を止めることなく両手を振り抜いて何かを放った。

 銀色の光を放ち、投擲された二振りの短剣が飛来する。ナズラックの巨体やタコ足が邪魔できるのは近接武器に対しての話であり、飛び道具には無力である。短剣たちは吸い込まれるようにナズラックの眼球を過たず貫き、その二撃で絶命させた。

『バカな……クソっ、役立たずめ、クソぉぉッ!』

 霧散していく魔神の死体に毒づき、フーグルは詠唱して真空の刃を生む魔法で攻撃する。魔法の矢より威力に優れるそれは、エルフの手に軽い切り傷を作り、かつ彼女の足を幾許か鈍らせることにも成功した。

 そしてその隙にフーグルは翼を広げて上空に飛び立ち、逃げようとする。もはやこの蛮族集団はこれまでだが、自分が生きていればそれで良いーーそうした自己中心的な目論見は、しかし体に走った衝撃と数瞬遅れてやってきた痛みによって打ち砕かれた。

 新たに投擲された短剣が、皮膜の翼を穿って標本のように岩肌に縫い止めている。引き抜こうとしても、位置が絶妙に遠く手が届かない。

『話を聞かせてもらうと言っただろう。逃がさない』

 まごついているフーグルを、冷徹な双眸が見下ろす。ーーフーグルは、圧倒的で敵わない相手というものを致命的なまでに遅れてようやく理解した。

 

 最低限死なないかつ最大限逃げられない程度の止血処理と簡単な拘束を済ませると、エルフの女剣士は首領とその参謀であったフーグルに問うた。

『順番に尋ねる。これ以上痛い目に遭いたくなければ隠さずに正直に答えろ。

 この腕輪はどこで手に入れた?』

 そう言って彼女が手にしたのは、ボルグの首領が装備していた腕輪だった。一部に黒い物質が填まっているが、先程首領が戦闘で使用したからか、少し欠けているようだ。

 両者がうめき声や威嚇で返答すると、その填まった物質を指差して、彼女は続ける。

『お前たちは知らないのかもしれないが、これは〈アビスシャード〉と言う。"奈落の魔域"や先ほどお前たちが召喚したような魔神がたまに落とすような代物……お前たちのような烏合の衆が持つような物ではない』

 蛮族たちは何も答えない。ただ一瞬、首領が視線を外した。

 首領が視線を向けたと思しき先には、露出した洞窟の岩肌がある。しかしよく見ると、岩に手を引っ掛けやすそうなくぼみと小さな切れ込みが入っていた。試しに岩を引いてみると、岩のカモフラージュの裏に小さな空間があり、そこに彼らの戦利品と思しき物品が幾つかと、黒く小さな球状の物質ーー〈アビスシャード〉が十数個出てきた。

「……驚いた。腕輪に使う分を考えれば予備があるのは予想していたけど、こんなにあるなんて」

 アビスシャードの入手方法は、"奈落の魔域"を攻略しその核を破壊するか、これを落とす魔神を倒すしかない。そしてそのどちらも、蛮族たちには非常に困難なことだ。

『お前たち。このアビスシャードは誰から貰ったんだ?』

 訊ねると、首領は血の混じった泡を吹きながら答える。

『イ、言えナい……!』

ということは、誰かからもらったのだな。そして、その誰かには黙っているよう言われた』

 その返しに、首領はしまったという表情を浮かべる。そして突然、発狂したように暴れ出し、喚き散らし始めた。

『チ、違う! オレが手に入れタ! マイキとかいうのぶっ潰して、オレサマが手に入れたんだ! アガッ、違う違う、ちガァァウ!!』

 傷口が開き、おびただしい量の出血が起こる。いくら生半可な人族より頑丈な蛮族とはいえ、こうも何度も出血していては血液不足による死に繋がるだろう。……もとより生かしておくつもりは無いし、それに、聞き出すべきことは聞けたようだから、止血する必要もないのだが。

 エルフは狂乱している首領を放って、少し離れたところで縛られているフーグルの前まで歩み寄った。

『次はお前だ。お前はどこで、魔神の使い方や喚び方を教わった?』

『ギギ……っ』

『そうだな……お前にそれを教えた者は、このアビスシャードをお前たちに与えた者と同一か?』

 フーグルは小さく唸りながら眼を激しく泳がせて、首を横に振って否定する。形ばかりであることが明らかな否定、すなわち肯定。

「となると上位蛮族が裏に居そうね……狙いは人族の目を別に向けさせる陽動かしら。戦争好きのディアボロ種はこんな回りくどい方法はしないでしょうし、ドレイクか。享楽主義のバジリスクの愉快犯の可能性も捨て切れないけれど……」

 なんにせよ、裏で糸を引いている者はこれだけのアビスシャードを確保できるだけの腕かツテがあるということ。厄介な事件になりそうだった。

 ……ふと、かがり火に揺れる首領の影に目が吸い寄せられた。ボルグはすでに出血多量によって瀕死であり、地面に広がる暗い血の海と揺らめく影は溶け合うように同じ色をしている。

 その影がことに、彼女は気づいた。首領は横たわっているのに、大人の人間よりひと回り大きな影が、

「ーーダルグブーリー!」

 彼女が名前を呼ぶと同時に、影の魔物は彼女に刃のように鋭い爪を振るった。すんでの所で接近に気づくことができたおかげで、ギリギリで回避に成功する。

 ダルグブーリー、影から影へ移動する能力を持ち、闇夜に紛れて爪を使った連撃で獲物を仕留める、恐ろしい魔神である。ナズラックよりもかなり強く、影から影へ渡っていく移動は物理的な手段では止められないため、手練れの冒険者パーティーでも後衛を狙われて壊滅的な被害を受けることもある。

 素早く体勢を整え、イーヴ神に祈りを捧げて神聖魔法を発動する。再び祝福を受け淡く輝き始めた二振りの短剣を構え……彼女は目を見開いた。

「……え?」

 ダルグブーリーはその爪を、傍らの瀕死のボルグの首元に突き立て、引き裂いた。ただでさえ失血状態にあった首領の首から大量の血が流れ、わずかな痙攣ののち完全に動かなくなる。

「そうか、奴の目的は口封じ……まずい!」

 ダルグブーリーの姿が地面に落ちた影の中に溶けて消える。そして次に現れたのは、尋問していたフーグルの真後ろ。

 血に濡れたままの凶爪が、縛られて動けないフーグルの脳天に振り下ろされーー

 硬質な物体同士が擦れ合う甲高い音とともに弾かれる。飛び込んで攻撃を受け流したエルフは、そのまま受け身をとって立ち上がると、すかさずダルグブーリーに短剣を投擲した。

 投げつけた短剣は的確に魔神の身体に突き刺さり、そしてイーヴ神の授けた魔神殺しの祝福がダメージを増幅させる。人型の影がよろめき、忌々しそうに彼女に向き直った。

「こちらとしても、情報源を潰されては困るのよ。

 それに……悪しき目的のために魔神を使役する者を、私は野放しにはしない」

 エルフの着ていたフードマントが破れ、その下から刃を取り付けたスカートが現れる。それは移動に合わせて広がり敵を切り刻む、彼女のもう一つの武器。

「我が三本の刃をもって、全力で相手しましょう。ーー参る!」

 痺れを切らしたように、ダルグブーリーが影を伝って彼女の背後に出現する。完全な死角からの連続攻撃に、しかし彼女はまるでそう来ることがわかっているかのように軽いステップで回避。同時に広がったスカートの刃が、ダルグブーリーの腕を斬りつける。

『キシャァァァアッ!』

「遅い!」

 すかさず鞘から引き抜いた短剣で的確に魔神の身体を突く。影状のような肉体は捉えようが無いように見えるが、実体は確かに存在する。

 続く反撃、爪の攻撃を懐に入り込んでかわし、すれ違いざまに三度斬りつける。まるで洗練された舞踊のような動きは、ダルグブーリーの爪に捉えられることはない。そして魔神が傷つくたび血のような液体が噴き出し、空気に触れたことで結晶化し、かがり火の光に煌めいて散った。

 かなりの手傷を負い、影の魔神が苦しそうに膝をつく。彼女はその間合いに大きく踏み込み、短剣を構える。

「召喚者を恨み、こちらの世界に顕現したことを後悔なさい。ーーハッ!」

 気合の一言と共に、白銀の剣閃が影の首を薙いだ。

 ダルグブーリーの首が放物線を描いて落ち、一拍遅れてその肉体も地面に倒れる。生命力の尽きた肉体は塵となり、空気に溶けるように消えていった。


 再度の襲撃がないか周辺警戒をしてから、フーグルの様子を確かめる。やけに静かだと思ったが、どうやら恐怖からか気絶していたらしい。

「こっちは何か聞き出せそうね。引き渡しましょう」

 あとは、と立ち上がって首領を調べる。魔神の攻撃を受けた時点で望みは無かったが、案の定、首領は完全に絶命していた。自身が魔法で吹き飛ばした他の取り巻きたちもすべて全滅していたので、生き残りはこのフーグルだけということになる。

 大量のアビスシャードやそれを利用する特殊な腕輪、召異魔法を習得し魔神を召喚したフーグルの魔法使い。そして、口封じのために送り込まれてきた刺客の魔神。

 調べるべき事は多いが、とりあえず今はこの調査を終えて報告するとしよう。荷物から手のひら大の黒色の球体を取り出し、マナを通すと、それはふわりと空中に浮かび上がる。

「ええと……【写影用魔動球体カメラスフィア起動アクティベート】【機能設定モードセレクト魔動写真マナカメラ】っと……」

 【起動語コマンドワード】を唱えると、球体は瞬く間に形を変え、小型の写真機となって彼女の手に収まる。【魔動球体マギスフィア】と呼ばれるマジックアイテムを媒体として使用する魔法系統のひとつ、魔動機術である。

 あとは、簡単な操作で目の前にある光景を記録でき、後で魔動技師が操作をすることで出力できるのだという。300年以上前に栄華を極めた魔動機文明の遺産だが、決して魔動機に明るくない彼女にも使用できることから、非常に高度な技術を有していた文明であることがうかがえる。パシャリパシャリ、と記録するたび起動音が鳴るのも、正しく使用できているらしいことがわかってありがたい。

 そんな風に現場を記録していると、後方からバタバタと足音が近づいてきた。金属音や武器の擦れる音などを隠そうともしない素人たちの動き方に少し苦笑しながら、剣士は鞘から手を離して迎えた。

 ほどなく、一組の人族の冒険者たちが現れる。冒険者たちはいずれも不安や警戒を顔に出していたが、彼女の姿を見ると、安堵したように近づいてきた。

「お疲れ様です、ノーラさん。その……戦闘音を聞いて駆けつけてきたんですが、大丈夫でしたか?」

 冒険者たちの中で、リーダー格らしい青年が彼女に声を掛ける。他のメンバーは、彼女の破れたマントや下級蛮族の不潔な匂いのせいか少し遠巻きに彼女を見ている。

「私は大丈夫。ただ、ここにいた蛮族たちは結構手強かったから、結果論だけど新米のあなたたちに任せなくてよかったかもしれないわ」

「そうですか……あ、俺たちが調べてた入り口付近は、めぼしいものは何もありませんでした」

「わかった。私の目的は果たせたし、帰りに押収品を運ぶのを手伝ってくれたら、依頼は無事達成よ」

 初めての本格的な依頼で緊張していたのだろう、その言葉に未熟な冒険者たちは一様に安堵と喜びを示した。


 外の新鮮な空気に、ふう、と息を吐き出しながら素早く周囲を見回して安全を確かめる。太陽の傾き具合的に、中に入っていたのは二、三時間ほどだろうが、体感ではもっと長いように思う。

 警戒を終えてからようやく気を緩める。手ごろな木を見つけてもたれて座ると、少し離れたところで休憩していた一団から青年が近づいてくる。休憩中なのを気にしているのか少し不安そうな表情だが、軽く手招きすると、一礼して話しかけてきた。

「本当にいいんですよね……なんだか、依頼主に戦闘までしてもらって、自分たちは戦利品も頂いていい上に報酬もなんて、ちょっと悪い気がするんですけれど」

「本当は親玉を見つけた時点であなたたちを呼ぶべきだったのに、単独先行した私の過失だから。お詫びと思って頂戴」

「そうですか。なら、ありがたくいただいておきます」

 その後調査の報告をしてから、青年は仲間たちに情報を共有しに戻っていった。仲睦まじい会話の声が遠くから聞こえてくるのを感じながら、ノーラは目を閉じて静かに息を吸った。

 暖かい午後の日差し、草の匂い、時折風が走り木の葉を揺らす音……いずれも世界が平和であることを物語る。しかし、それに混じって立ち昇る自分の衣服から放たれる血の匂いが、どうしても彼女の心を戦場から引き離してはくれない。その匂いは鼻腔に染み付いていて、彼女を平和な世界に後戻りさせてくれない。

 ……魔神、この世界とは異なる世界から来訪する魔物。なぜこちらに来るのか、何のためにこちらで活動するのか、魔神に関しては多くの謎が存在する。しかし、この世界に現れた魔神は必ず、街を破壊し、人々を殺し、混沌と悲劇を撒き散らす。今は歴戦の戦士に名を連ねる彼女も、まだ幼かった時分に、多くのものを魔神に奪われた。

 だからこそ、奴らを止めなければならない。人々を護らなければならない。二度と自分と同じ思いをする者が現れぬように。

「私は、そのために戦う。私は人々を護るための、盾神の剣なのだから」

 今は亡き肉親から受け継いだ腕輪と、盾神イーヴの聖印に触れながら、彼女は小さく誓いを新たにした。

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