終章
「物語に出て来る王子様が皆、ロナウ様に見える…」
フリーシアは本の頁を捲りながら呟いた。
「そうでしょう。そうでしょう。何と言っても、その雛型となったのは、ほぼ全て父上なのですよ。」
アランは自分の事の様に、胸を張って答えた。
アランがフリーシアにと、本を沢山持ってロナウの屋敷に遊びに来ていた。
「そうなのですか?!」
「ええ、ええ。しかも、本人は存じ上げないのです。父上はこういったものに興味がありませんからね。どうです。面白いでしょう?」
「はい!面白いです!」
フリーシアはワクワクして、頁を捲った。
「王子様はいつも女性を褒め称えています。ロナウ様はお城ではそうだったのですか?」
「違います。それは皆の妄想を物語にしたものです。父上が自分だけの王子様になってくれたらなあ、と夢見ているのですよ。父上が何時までも一人身なものだから妄想し放題です。」
「いつも王子様の側に格好良い男の人が居ます。」
「それは、ヴァレリーですね~。」
アランがさも可笑しそうに肩を震わせて笑う。
「たまに、明るい男の人も出て来ます。」
「…それは、たぶん俺ですね…」
途端に勢いが無くなり、顔を背ける。
「楽しいです!」
「そうですね。楽しいですね…それは良かった…」
「アラン。また来ていたのか。公務はどうした?」
「ヴァレリーに全部押し付けて来ました。」
「いくらヴァレリーとて、一人では大変だろう。」
「そうですね。これ以上白髪が増えては可哀想だ。母上、魔法でヴァレリーも若返らせることは出来ませんか?」
「私は魔法が苦手なのです。」
「なら、仕方ありませんね。ああ、そうだ。ヴァレリーと言えば。」
ゴソゴソと荷物の中から何かを取り出すと、広げて見せた。
「ヴァレリーから母上へと、預かって来ました。」
「ドレス!すごい!」
「気に入って頂けましたか?」
「私が着てもいいのですか?」
「勿論。」
「お城で、皆さん着ていました。物語のお姫様みたい…」
「父上と並んだらさぞお似合いでしょう。」
フリーシアはロナウを見上げる。
銀の髪が太陽の光を受け、キラキラと輝いている。
同じく銀の長い睫毛が、深く蒼い瞳を縁取っている。
動いていなけれは、女神像かと見紛う程完璧だが、本当に物語の登場人物だった。
一目見ただけで化け物だと一突きにされる自分などが、こんなドレスを着たからといって…
俯くフリーシアを見て、アランがロナウを肘で突いた。
「ほら、父上。母上に言葉を掛けて下さい。男の見せ所ですよ!」
ロナウはそっとフリーシアに歩み寄り、優しく頭を撫でた。
「先程、菓子を焼いたんだ。後でピクニックにでも行こうか?」
「はい!ロナウ様!」
アランが顔を覆い空を仰いだ。
「フリーシア、綺麗だよ。ドレスがとてもよく似合っている。髪を結ってあげよう。ここにおいで。」
「で、でも…」
「俺がやりたいんだ。構わないだろうか。」
「は、はい…」
おずおずとフリーシアが歩み寄り、ロナウの側にちょこんと座る。
始めはおどおどしていたフリーシアだが、しばらくすると小首を傾げてロナウを見詰め、何やら考え事をしている。
時々、フリーシアがロナウを不思議そうにじっと眺めている事がある。
城の女性のように、自分に見蕩れていてくれたらと思うのだが、そう上手くはいかないようだ。
「何か匂うだろうか。先程、菓子を焼いていたから。」
勿論今まで菓子所か、料理もした事がない。
屋敷に他人を入れるのが嫌で、家の事はロナウが一人でしているのだが、愛する人の為に料理をするのが楽しいのだと初めて知った。
愛しているという気持ちだけで満たされるとは、新鮮な驚きだった。
「お菓子!」
小動物の様に反応し、目が焼き菓子の入ったバスケットに釘付けになる。
ロナウは苦笑した。
まだまだ自分は菓子に勝てない様だ。
アランが、何やら含み笑いをして、ご武運を!などと言って帰っていったが、何か知っているのなら是非教えて欲しいものだ。
「さあ、出来たよ、フリーシア。とても可愛くなった。」
ロナウが微笑みかけても、フリーシアは眉尻を下げ、鏡に映った自分とロナウを見比べ小首を傾げる。
ロナウはフリーシアの頭を撫で、バスケットを手渡した。
「では、そろそろ出掛けようか。フリーシアは昼食を持ってくれるかい?」
「はい!ロナウ様。」
フリーシアがワクワクしている様子を横目に見ながら、ロナウは剣を腰に佩き、銃を背負った。
決してフリーシアを危険に晒すようなことはしない。
フリーシアは必ず俺が守る。
もう二度と失いたくはない。
「木の根があるから、足元に気を付けて。」
「…はあい。」
気もそぞろで返事をする。
元々人魚だったからか、歩みが覚束なく、出掛けると好奇心が刺激されるのか、あちらこちらへとふらふらして、非常に危なっかしい。
ロナウはフリーシアの数歩後ろを歩き、辺りに視線を配る。
警備の者は居るが、何時何が起こるか分からない。
ロナウが周囲を警戒していると、背後で、何かが落ちる大きな音がした。
「フリーシア!?」
目を離した隙に、崖から足を滑らせでもしたのだろうか?
そう思い、慌てて駆け寄ると、水飛沫を上げ、人魚が飛び跳ねた。
「ロナウ様ー!」
フリーシアが笑顔で大きく手を振っている。
ロナウは呆然とした。
そうだ、彼女は人魚だったのだと思い知った。
こんな所に閉じ込めて、自分の物にしたつもりになっていたのだろうか。
思い上がっていた。
ロナウは遠い目をした。
只の人間である俺では、手が届かない。
いや。
まだだ。
只の人間でしかないならば。
ロナウは衣服を脱ぎ捨て、駆け出した。
遠く届かないならば、跳べばいい。
せり出した崖の岩肌を蹴り上げ、ロナウの身体は高く飛び上がり水飛沫を上げて泉に潜る。
水中で笑顔のフリーシアが出迎えた。
手を伸ばし、もう届くかと思えばすり抜ける。
指先が触れそうになってもこの手は届かない。
必死に追いかけても人間のロナウでは、人魚のフリーシアに追いつけなかった。
何時まで経っても捕まらない。
縮まらない君との距離。
ロナウは、一人佇む。
フリーシアは自由に飛び跳ねてゆく。
届かないならば。
それでも構わない。
渡り鳥のように、いつか飛び立ってしまうとしても。
一時羽を休める時もあるだろう。
だから、俺は。
「おいで。フリーシア。」
ロナウはフリーシアへ向けて、手を広げた。
それに気付いたフリーシアが笑顔を見せた。
もうすぐ、フリーシアがこの胸に飛び込んで来るだろうことを、心待ちにする。
「ロナウ様!」
水飛沫を上げてフリーシアがやって来る。
俺は君の還る海になりたい
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