第19話【手を伸ばして】
俺は、帝都の北部にある『夕日を傾けた崖』で、沈みゆく太陽の弱々しくなっていく光源を眺めていた。
貴族が将軍になるのであれば、今ごろは就任パーティーで盛り上がっていただろ。
ルグラン家の家紋が、刺繍されている赤いフェルトコートと金色の龍の意匠が施された将軍職に与えられるロングソード。
これが、皇帝からの将軍就任に際し、賜ったものだ。
フェルトコートは、サーコートよりも上質な布を使用した一軍の御旗となるための上着。
将軍職に与えられるロングソードは、通常のものよりも耐久性があり、柄頭に黄金の龍顔の意匠があり、ガードの部分は金色に塗装されている。
龍の顔を武器に施せるのは、ターブルロンドでも将軍以上の人間だけである。
名称も区別するためにロングソードではなく、バスタードソードと呼ぶらしい。
騎士にとっては、一生を捧げても足りないほどの名誉らしいが、俺にとっては、どうでもいいことだ。
あの老いぼれに忠節と人生を捧げたところで意味はない。なぜなら、あの人物には価値がない枯れ木の如き人間なのだ。そして何よりも、俺が殺すからだ。
しかし、将軍に選ばれて感謝してることがある。暗殺計画を実行に移すまでの準備期間を大幅に短縮できることだ。
そのための武器と盾を魔王の命一つで手に入れることができた。これは、僥倖である。
思えば、リシャール・ルグランの名を得るまでは、野垂れ死ぬ未来しか見えていなかった。奴隷サーカス団のピエロとしてムチを打たれる毎日。兄弟などと一度も思わなかったが、同じピエロたちの悲惨な残骸を積み上げていく毎日であった。
俺に懐いてくれた人間もいた。唯一の──も奪われて、失い。この世の太陽なる貴族たちの酒のつまみにされる日々。
俺は、地面にバスタードソードを突き立てる。柄を握りしめ、山に落ちる太陽を睨みつけた。柄頭の龍が、夕日に向かって吠えているように見える。
アルウィンから教えてもらった。夕日の別名は、『落日』と言うらしい。確か、勢いのあるものが、落ちぶれていくといった意味だったか。
今を謳歌する太陽にも、落日は訪れる。いや、俺が落日にさせるのだ。そのためのリシャール・ルグラン。そのための将軍の称号だ。
俺が指揮する一軍は、ルグラン伯爵領を拠点とするらしい。理由は簡単だ。アルウィンが目付けとして副官の肩書きが与えられたことで理解できる。
貴族どもからすれば、アルウィンが存在してこその権威だと言いたいのだろう。それも、仕方がないことだ。
いずれにしても、全てをひっくり返すためには、まだまだピースが足りないのである。
遠くに見える山の陰に夕日が沈んでいく。黄金色に染まる山肌は、まるで金貨を積み上げたように見える。俺の足元で鳴き虫がささやきはじめた。
まるで、太陽を恐れる星のように夜天を喜ぶ。彼らは、皇帝の権威に脅かされている者たちだ。虫のような金切り声を上げて、死を待つだけの……。──月が必要だ。太陽を脅かす月の存在を。
「リシャール、こんなところにいたのかい? 将軍様が護衛もつけずに危険だよ?」
俺は、アルウィンの声のする方へ振り返った。アネモネの高貴な香りを漂わせながら、微笑を浮かべる。中性的な顔立ちと細身の体から伸びる長い手足。肌などは、夕日を浴びて宝石のような透明感がある。
アルウィンの黒紫の髪を風が、なびかせる。怪しく笑みをたたえた童顔の男は、相変わらず何を考えているかわからない。
「君の努力を称えたいんだよ。リシャール。あの餌を待つだけの養殖魚だった君が帝国の将軍様とは、英雄譚の再現だよ。そう思わない?」
アルウィンは、口の端を歪めて拍手をする。周囲には、規則的で何の感情もない称賛が俺の耳に響く。
嫌味なのか。それとも、素直な称賛なのか。アルウィンの心は読めない。それは、はじめてあったときも今も変わらない。
アルウィンは、感情を顔に出さないのだ。親からの叱責され、同級生から嫉妬され、憧れの眼差しを持たれても、そのどれにも反応せずに無表情のまま生きてきた男だ。
「何を企んでる? 面白いことでも思いついたのか?」
アルウィンが近づいてきた。風の花の香りがより強くなる。俺は、いつでも剣を抜ける準備をした。しかし、抜くつもりはない。アルウィンを敵に回してもデメリットしかないからだ。
「本当にただのお祝いだよ。信用なくて悲しくなっちゃうよ。覚えてる? 学校で約束したよね。英雄になるってさ」
俺は、頷いた。言葉にしなかったのは、今でも変わらない目標であるからだけではない。それ以上の目標を得たからだ。
アルウィンには、感謝をしている。ゴミ山から拾ってもらった恩もある。だからこそ、俺の計画にアルウィンの殺害はない。
俺が築いた俺の帝国で、アルウィンにはそれなりの地位についてもらいたいとすら考えているのだ。
「信用できないのならさ。剣を交えてみようか? それで分かることがあるって、お祖父様が言っていたんだ」
アルウィンは、剣を抜くと曲芸のようにクルクルと回してこちらに向ける。普段のアルウィンなら、やらない芸当だ。
おそらくは、大道芸人のマネごとだ。剣を抜く気配のない俺をその気にさせようとしているのだろう。
「サーカス団のピエロのマネか? 俺のその気にさせようってか? アルウィンっ!!」
「僕は、どうかな? トップスターになれると思うけどね」
俺は、バスタードソードを地面から抜くと真っ直ぐアルウィンに突撃する。ただ、これはフェイクだ。直前に右に飛び込み、そのまま剣を横に払う。
アルウィンは、いとも簡単にロングソードで俺の一撃を上に弾く。バスタードソードは、ロングソードよりも重たい。体制が崩れると隙も大きくなる。
「ぐふぁっわっ!!!!」
俺は、アルウィンの蹴りを腹部に食らって倒れ込む。すぐに起き上がり、斜め上段からアルウィンに向かって斬りおろす。アルウィンは、バックステップのあとロングソードの柄頭で俺の顔に叩きつける。
俺は、接近してきたアルウィンを払いのけるようにバスタードソードを振り回す。──体制を立て直した俺は、アルウィンに向かって斬りかかる。
激しい剣戟の音が、夜を迎える夕空に響く。アネモネの花の香りが、俺の周囲をすべるようにただよう。
技術も 、実践経験も、全てアルウィンのほうが格上だ。楽しそうに笑うアルウィンに対して、俺は必死だ。震える手を抑えながら、逸る気持ちをなだめ、隙をうかがう。
「リシャール、いいかい。君は、将軍になった。それは、政治的な発言力を得たことになる。君を取り込もうとする狸や狐。風見鶏どもと戦わなければならないんだよ。そのためには、強くなれ。もっと、剣技を磨け。僕に勝てるくらいに──ね」
俺の耳に突き刺さる金属音。跳ね上げられた体。次の瞬間、アルウィンの剣が、俺の喉元に触れる。
「勝負あったね。リシャール。うん、腕は上がっている。まだまだ、だけどね。さあ、起きれるかい?」
アルウィンが手を伸ばしてきた。すぐに手を取るのは不愉快だったので、しばらく睨みつけてやってから手を握った。
アルウィンは、微笑を浮かべる。そして、自分が跳ね上げて遠くに落としたバスタードソードを拾い渡してくれた。
「さあ、帰ろう。馬車の準備ができたころだろうからね。こんな場所、一瞬だっていたくないよ」
アルウィンは、ロングソードを鞘に納めると先に歩き出した。その背中は、まだまだ遠く追い越せない。俺の目的は、帝位の簒奪である。
この背中すら、追い抜けなくては簒奪者にはなれない。俺は、バスタードソードの柄に力を込めて乱暴に鞘に収めた。
✢✢✢
「久しぶりに見たきがするよ。アニュレ砦。やっぱり、ルグラン領内は安心するよ。リシャールも、そう思うかい?」
座席に深く座りながら足を伸ばすアルウィン。俺は、アニュレ砦の向こう側に見える峠を見つめた。あの向こうには、イストワール王国の至宝「アンベール・ベトフォン」がいる。
もっとも、今もいるかどうかはわからない。俺たちが帝都に向かっている間に配置換えがあったかも知らないからだ。
「俺には、故郷なんてない。ボロいサーカスのテントが故郷なんでね」
俺の皮肉をものともせずにアルウィンは、窓の外に手を伸ばして、虚空を掴む。何か掴むマネなのだろうか。
「居場所は、自分で作るものさ。故郷だって同じだよ」
「故郷は、無理だろ」
故郷とは、生まれた場所だ。お貴族様には、あるのだろう。立派な産屋にリュンヌ教の経官(※神官のこと)どもが祝福してくれる。だからこそ、言えることだ。
俺たち下民は、産み落とされ商人の手に引き渡され、奴隷として生きていく。故郷や居場所どころか、名前すらない。
「そう言うなよ。リシャール、僕たちはこれからも友達だろ。君は、僕の弟。ルグラン領が、君の故郷さ」
アルウィンは、本気でそう思っているのだろうか。それを知るすべはない。兄であり、友である男の本心はいつだって空の色と同じで、掴むことができないのである。
俺を友だと言ったアルウィンに肯定の意味を込めて頷き。同じ目線でアニュレ砦を見下ろした。
俺たちは、もうすぐ、アニュレ砦に帰還する。
第一章第19話【手を伸ばして】完。
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