第2話【感情の椅子取りゲーム】
二五名の騎士たちの五十にも及ぶ眼球が、俺に注がれている。
視線の持つ感情を言葉で表すならば、軽蔑が正しいだろう。
しかし、彼らの目が軽蔑以上の邪悪さを含んでいないことは理解できた。
同じ人間としてみていない。自立歩行するカカシを見ているようなものだ。
(所詮は、太陽の御曹司ども。なるほど、アルウィンは、やっぱり変人だったというわけだ。こいつらのあの目……。ふん、でなけりゃ、俺のような道化師を拾ったりせんからな)
俺は、演説台の両端を掴む。何故か震える手。沈黙は続く。まるで、睨み合いのようだ。
どの騎士も、肌艶の良い健康的な若者ばかりだ。生まれ持った家柄の恩恵。
傷もつかないように、大切に育てられた身体。その毛穴の一つに至るまで、作り上げられた美である。
肌の色の話をしているのではない。質の問題である。
良いものを食べ、良い言葉を聞き、良い教えを受ける。それが、上流階級。こいつらだ。
道化上がりの俺を見て、せせら笑うのは仕方がないことである。
優雅に空を舞うカモメの下で泳ぎ、死を覚悟しながらも、卵を産み付けるウミガメの気持ちなど分かるはずもない。
(まずは、騎士団の名前だな。そこからだ。この坊やたちが名乗るに相応しい名前を与えてやる。あぁ)
俺は、また自分の側面を理解した。
今まで、同世代の貴族をこれほど間近で感じたことはなかった。記憶の奥底を探ってもない。はじめてのことだ。
アルウィンの友人たちの顔など見る気もしなかった。目が合えば、殴られ、蹴られるのが関の山──痛くはないが、反撃もできずに耐えるしかない。
アニュレ砦にいる騎士どもは、ただの貴族ではない。徴兵された農民や中流階級出身者が多い。ある程度は気安く話もできて、色々と考えさせられた。
こいつらは、違う。何色にも染まっていない生の貴族である。例えるなら、朝日だ。
こいつらを見ていると、自分の中に眠っていた加虐的欲求が、目覚めていくことに気づいた。
昂っていく気持ちを抑える。ボルドローを闇狼の餌にしたときの感覚と同じだ。
思考が研ぎ澄まされ、考えが鋭さを増していく。その生意気な自意識を汚してやりたくなる。
やがて、何かの衝動に身を任せたい。巨悪となって、欲求のままに、陵辱の化身になりたい。
俺は、目を見開いて頭を振った。
(と、とにかく名前だ。名前、名前……)
希望や栄光、名誉を感じる名前ではない。何か、逆の名前は……。俺は、目線を下げた。
鎧が、見える。ルグラン家の家宝。
黒塗りの鎧だ。俺が、分家からルグラン家を救ったときに送られたものだ。
名前は、黒曜の鎧。意味は、黒い太陽だったか? 確か、威光勢力に負けぬ精神の具現化だっただろうか?
「俺たちの騎士団の名前は、黒曜騎士団」
俺の中では、最大の皮肉だった。太陽と呼ばれる貴族たちを黒く染める黒曜。
落日をもたらすもの。黒い雲。黒曜。
「おお、ルグラン家の秘宝の名を冠する騎士団」
「なんと名誉な名前だ」
「その名に恥じない働きをしなくては……」
「お腹すいた」
俺は、困惑していた。
不名誉きわまるだの、愚弄するのか、などと貴族の代名詞がとびだすことを期待した。
称賛の声にあふれていた。俺は、奴らの目を輝かせる手伝いをしたようだ。
「分かりにくい皮肉だね……」
アルウィンがささやいた。振り向くと、哀れみを込めたような笑顔を向けてくる。
(こいつらは、皮肉すら理解できないほど頭の中が、晴れ渡ってやがるのか)
騎士団の名前は、不発だった。ならば、就任の挨拶だ。なんとしても、後悔させてやろうと考えた。
今から、誰に仕えるのかを教えるために「リシャールサーカス団」のことを話してやろうと決めた。
「アルウィン司令より、紹介があったと思うが。俺は、卑賤から身を起こした男だ。元々は、なんだと思う?」
俺は、自分が、リシャールサーカス団のピエロであったことを告白した。
リシャールサーカス団は、ターブルロンド帝国の非公認曲芸団であること。
収益の六割ほどを、イストワール王国に献上していたこと。
また、多くの奴隷を見世物として扱っていて、彼らは、心を失った人間であったことも暴露。
「そのような状況にあっても、俺だけは心を保ち続けた。反逆のときをうかがっていた」
そして、アルウィンに救われたとき。
リシャールサーカス団の団長を殺したと、その方法や心情まで包み隠さずに話した。
「恵まれすぎているお前たちに、何ができる? イストワール王国との戦争は、激しさを増している。ここ、アニュレ砦は、奴らと国境を接している場所にあることを頭に叩き込め。役立たずは、死ぬだけだ。お前たちなど信用も信頼もできない。まずは、俺に信用されるように働けっ!! せいぜい、信頼できる騎士になることだ。下賤の団長のな?」
俺は、演説台を叩いた。魔術で作られた拡声術式を通して、広間の隅々まで音が反響する。
(さあ、怒れ。名誉を傷つけられたと抗議しろ)
俺は、頭の片隅で馬鹿げていると自制を促す心に奥歯を噛みしめる。
アルウィンは、俺が悩んでいることを喜んでいた。これは、喜ぶべきことなのか。
アルウィンの考えは分からない。とにかく、これで……。御曹司どもは反発してくるだろう。
その後は、どうする。
(結局、何がしたいんだ。俺は……)
俺の肩を何かが叩く。振り返ると、アルウィンが片眉を上げる。そして、前を指差した。
そこには、立ち上がって拍手をする騎士たちの、御曹司どもの姿が見える。
俺は、腹の底から違和感を感じた。求めていた反応ではない。
何故だ。分からない。俺は、たたえられることなど言っていないのだ。
お前たちは、現実を知らない金を持っているだけの御曹司だと嘲りを言ったのである。
先ほど演説台の前に立った。その時に感じた視線は、たしかに軽蔑であったのに。
今は、尊敬に変わっている。俺は、何かを言う気力がわかなくなった。
そのまま、壇上から袖幕へと移動する。
俺が、広間から出るその時まで、呪いのような拍手は続いたのだった。
✢
アルウィンの執務室のソファに深く体を沈めこんだ。深いため息をついて、目を閉じた。
ここ最近だ。何かが、おかしい。一時的な昂ぶりや焦燥感。大きなことを成し遂げたいという野心。
それらが、心の中で目まぐるしい椅子取りゲームをやっている感じである。
「リシャール。迷走してるね。いい。いい感じだよ。もっと悩んで、苦しんで。そのたびに、君は洗練されていくんだからね?」
アルウィンは、執務室の机に座り、微笑を浮かべた。どうやら、俺の苦しみが、喜びらしい。
「俺は、ここに来る前は悩むことなどなかったんだ。日々を──ルグラン家に仕える日々を当たり前に生きてた。それだけのために。恩返し? いや違う。なんだかよくわからない漠然とした思いのために。英雄になるなんて、誓ったこともあるよな」
アルウィンは、読んでいた書類を机に戻した。俺の向かい側のソファに座る。
話を聞いてやるとでも言いたげな態度だ。いや、そこまでの悪意はないだろうが。
「でも、ここに来てから変わってしまった。何かが、俺を焦らせるんだ。急激な変化を求めてしまう。夢や目標が、神経をとがらせるんだ。俺は、こんなにも短慮だったのかと、自分でも戸惑っている」
俺は、無力感を感じている。アルウィンは、兄弟のように育ったとはいえ他人。
敬う気持ちも忠節もあるとは言い難い。でも、俺が見上げることのできない太陽の一部だ。
その太陽の前に、屈している。情けない姿と声と気持ちの吐露を止めることができない。
「それでいいんだよ。リシャール。君は、自分だけは違うといったね? 心のない人形ではなかったと……。確かにね。リシャールは、あの人形の中では光り輝いていたよ。でも、同じさ。心は死んでいた。今、その反動が来ているんだ」
アルウィンは、立ち上がる。俺の横にゆっくりと座った。
「色んな人に会っただろ。僕の知らない一面も見た。君の心は、確実に動き出している。失った24年かな? それを取り戻そうとしているんだよ。だから、苦しめばいい。君とは、5歳の時からの付き合いだ。もっとも、君の本当の歳は知らないけれどね? 本当は、中年なのかもね?」
俺は、何者なんだろう。何者になれるのだろう。
アルウィンの話を聞いていると、疑問ばかりが浮かんでくる。
またもや、焦燥感だ。
心が、ゆっくりと下垂していく感じがする。
「さて、明日は訓令式だ。君の騎士団は、五個伍隊からなる騎士団だ。これ、彼らの資料。よく目を通して、人事を決めるんだよ。訓練の内容、その時間。休憩及び食事。就寝や起床。すべて君が決めるんだ。無論、副官と話し合ってね。さあ、会いに行こう。君の運命の副官に。僕もついていくからさ?」
アルウィンは、何かを企んでいるような含み笑いを見せる。
俺に差し出された手は、相変わらず白鳥の羽のように軽やかで、とても綺麗だった。
第一章第2話【感情の椅子取りゲーム】完。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます