第一章【自我を求めて】
第1話【騎士団長は、元ピエロ】
今は、帝国暦895年。
ターブルロンド帝国は、敵国であるイストワール王国と同じ年に建国した。
リュンヌとイストワールは、精霊世界リテリュスで、いちばん有名な双子だ。
それぞれに、その名前を冠する国を建国した。世界をリードする国である。
ターブルロンド帝国の建国者は、あまり知られてはいない。リュンヌとイストワールの弟であるが、腹違いということで、ふたりからは認められぬままに辺境へと旅立ったのだという。
アルウィンから聞かされたときは驚いたものだ。名前すらも公文書に記載がないからだ。
普通は、建国者の名前なんて誰もが知っていてもおかしくない。
アルウィンは、笑いながら言った。
「ターブルロンド帝国の始祖なんて、誰も知らないよ。僕も知らないからね」
自室の窓には、雨粒が付着して流れていく。夜の静けさに、雨音が心地よい。
リテリュスの雨季は、水の龍と呼ばれている。昔から、俺は、この時期が大好きであった。
金持ちでも、貧乏人でも、同じような顔をして空を見上げるからだ。
いけ好かない太陽様も、雨雲には勝てない。それならば、雨雲は誰に当たるのだろう。
太陽の如き貴族を打ち倒す雨雲。歓喜の涙を流す雨雲。
「徹夜になるかもだな。アルウィンの奴……。いらない真似をしやがって。就任の挨拶なんて、どう言えばいいんだ」
俺は、机の上に乗った白紙を見る。まだ、一言も書けないでいる。
✢✢
「っと、やっぱり。盛大に祝おうよ。いつの間にか、団長になってました。なんて、寂しいよ。それに、リシャール。君、緊張感が足りないからね」
俺は、突然の提案に燃やした野心の置き場を無くして、随分と間抜けな声を上げた。
「君の副官ともそこで、顔合わせをしよう。そのほうが、運命的だ」
アルウィンは、目を細めて意味ありげに笑う。中性的な表情と相まって、蠱惑的なものを感じた。
俺が、反論をすることも忘れるほどだ。昔、考えたことがある。アルウィンが、女だったなら、と。
俺は、下衆な考えに頭を振ってはねのける。
あんなことがあったからだ。
命乞いをしたものを殺した。そのせいで、気持ちが高ぶっているだけだと、自分に言い聞かせる。
我に返ったときには、遅かった。就任式の挨拶を考えるようにと、紙を渡されていたのだ。
「挨拶だと、そんなもの。いるのか?」
俺は、貴族ではない。しかし、就任式とやらに集まるものは、低級貴族であろうとも、その子弟だ。
逆効果にならないだろうか。言葉よりも行動で、戦場の手柄で押さえつけたほうがいいのではないか。
俺が、アンベールを討てば、或いは将軍に就任すれば、文句のあるやつも黙りこくるだろう。
現実的な考えではないと思うが……
「いるよ。君の部下のためではないよ。君のためだからね。団長職を甘く見ないほうがいい。力で押さえつけてやるぜってそんな問題じゃないんだよ。リシャールは、団体行動は苦手だよね。でも、単独で、英雄になるのは無理だよ」
アルウィンは、開け放っていた窓を閉める。
俺の方に手を置いた。幼い顔立ちだが、その目だけは、人の何倍も先を見ているようだ。
御曹司と思っていた。だが、そうではなかったのだということを思い知らされる。
それも、ここ最近のことだ。
「そうだな。努力はする。アルウィンに、捨てられないようにな」
アルウィンは、肩を何度か叩いた。
いつの間にか、狡猾さが増したのようだ。それとも、爪を隠していたのだろうか。
アルウィン・ルグラン。子供の時からの付き合いだ。知らないことはないと思っていた。
今は、知らないことばかりである。
✢✢
「やっぱり、思いつかん……」
俺は、ため息をついた。ペンを置いて、窓の外を見る。雨の勢いが強くなっていた。
俺は、皇帝になるつもりだ。と、ボルドローに宣言したのだ。
果てしなく長い道のりになる。
第一歩にして躓いていた。焦燥感は、ボルドローの最後の顔を鮮明に思い出させる。
俺は、後悔しているのだろうか。殺したことを、交渉に応じなかったことを?
その両方でもない。感情の絡まりは、苛立ちに変わっていった。
机の上に置かれた紙を乱暴に取ると、丸めて壁に向かって投げつけた。白紙は、壁に弾き返されるどころか、そのまま無様に落ちていく。
高揚感と万能感だ。
鼻持ちならない貴族を追い詰めて、感じたままに言葉を吐いた。
その高揚した心は、時間と雨に流されたのだ。
今、一人になった部屋の中。
閑寂に響く雨音は、自分の愚かさをなじっているように聞こえる。
俺は、勢いよく立ち上がった。ペンの代わりに木剣を握る。やはり、こちらのほうが俺には合っている。
そして、邪念を払うように素振りをはじめた。
✢
朝を迎えた。就任式の朝である。
アニュレ砦の一室。普段は、訓示場や祈りの場所として使われる広間がある。
歴代のアニュレ砦の司令たちの肖像画が飾られていて、最後にアルウィンの顔も描かれていた。
ボルドローの後ということもあってか、凛々しく清潔感のある顔立ちに見える。
無論、アルウィンの容姿が優れていることに変わりはない。
訓示が、俺の立つべき場所の真上に大きく張り出されていた。
『剣に捧げ、鎧に誓い、兜に込め、盾に生きよ』
アニュレ砦に配属された騎士たちの目指すべき姿を表してるという。
俺には、どのように読んでも虚しい一生を歌った詩に感じる。
今、広間には、25名の騎士たちが集結していた。俺を待っているのだ。
「どう? 挨拶は考えた? 僕が、リシャールを呼ぶからね。そうしたら、壇上に上がって欲しい。簡単に君のこと紹介するから」
アルウィンは、にこやかに笑いながら手を振って壇上に向かおうとする。
「待て、変な紹介はしないでほしいな。簡単でいい。ルグラン家が、拾った孤狼とでも……」
「心配しなくていいよ。僕だって、寝ないで考えたんだよ」
アルウィンは、そう言うと登壇した。嘘をつけと心のなかで呟く──俺は、袖幕で見守る。
「新設騎士団の団員として、参集してくれたことを感謝する。この新設騎士団の名前は、まだない。それは、今日。初代団長となるリシャールに決めてもらうことになっているからだ。それは、諸君らの家となり、名誉にもなる。よく名前を心に刻みつけよ」
アルウィンは、横目でこちらを見てくる。聞いていない。就任の挨拶だけのはずだ。
寝ないで、嫌がらせを考えていたのか。性格の悪さ、唐突な悪戯。でも、憎めない笑顔。
やはり、俺の考えすぎだ。アルウィンは、何も変わっていない。思いつきで人を困らせる天才だ。
(御曹司め……。挨拶もまともに考えていないのに……。クソッ!!)
「皆も、知っているだろう。彼は、ルグラン家に引き取られた。貴族ではない。この中には、そのような団長のもとで、戦うことを嫌うものもいるだろう」
アルウィンは、言葉を止めた。演説台から団員たちを見回しているようだ。
自分の権限を使って、俺に従うように命令をするつもりなのだろう。
俺に対して、馬鹿にした態度を取れば厳罰に処するなどと宣言でもするつもりなのだ。
「……嫌えばいい。彼は、平民かもしれない。もしかしたら、貴族の落胤かも。遠慮することなく、反発し困らせればいい。しかし、そんな子どもじみた態度で、彼を挫けさせることはできない。紹介しよう。リシャール・ルグラン。彼こそが、君たちの団長だ」
アルウィンは、演説台から降りた。これが、寝ないで考えた紹介だというのか。
絶対に嘘だ。
俺は、何度も唾を飲み込んだ。戦うのは、怖くない。人を……。いや、敵を殺すのも怖くない。
度胸もあると自負している。しかし、目の前の演説台が、遠くなる。
袖幕から出ることが、恐ろしくなった。逃げる選択肢はない。
だから、ここに戻ったのだ。アルウィンという太陽のもとに。
俺は、一歩を踏み出した。握り拳をかためて、また一歩。目を閉じて、また一歩。
深呼吸をして、袖幕から出た。
第一章第1話【騎士団長は、元ピエロ】完。
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