序章外伝【ピエロ】

「また来てねー。ピエロたちも待ってるよー」


 サーカスのショーが終わり、リシャールサーカス団の団長は、手を振った。


 団長の笑顔は、とてもにこやかで、観衆たちを幸せな気持ちにさせているのだろう。


 舞台の上に並ばされたピエロどもは、笑顔で仲良く教えこんだ通りに挨拶をしている。


 観衆たちが、去っていった。団長は、ピエロどもに後片付けを命じ、団員たちと控室に戻る。


 団長と団員たちの『反省会』がはじまった。言うまでもないが、反省会とは、名ばかりの酒盛りだ。


 粗末な木造の控室の壁は、穴やら傷が目立つ。


 あらゆるものをぶっかけて湿った壁には、カビが繁殖しており、キノコも顔をのぞかせていた。


 控室は、酒やらカビやらの臭いが充満し、酒に弱いものならば入っただけで酔うだろう。


 体の弱いものなら、病気になるかもしれない。故に、贅沢を極めた証とも言える。


 部屋の中央に置かれた大きなテーブルの上には、酒や『動物』の丸焼き、干し肉が並んでいる。


 これらの御馳走は、下級貴族の横流し品だ。ただの市民には、無縁のものである。


 市民から見れば、道の生活であろう。また、平民から見れば、夢にも見れない食事だ。いや、そもそも食べ物とすら認識できないのではないか。


「僕は、サーカスが大好きだよぉ。また明日も見に来ようぉ……バイバイ、ピエロさんたちぃー」


 団長は、胸の前で手を組むとあえて馬鹿にした口調で子供の演技をした。


 椅子に座った団員たちは、口笛を鳴らし、手を叩いている。


「あはは、団長最高でさ。とても60手前の爺さまには見えないね」


 団長は、椅子にだらしなく座ると今回の収益を数えはじめた。1日のうちで、一番楽しい時である。


「ふぃー。ピエロどもに鞭打って笑ってるだけで金が入ってくるんだからいい商売だなぁ……」


 普通のサーカス団なら、こうはいかない。団長も団員もピエロと一緒になって汗を流すのだろう。


 それは、あまりにも馬鹿馬鹿しく感じられる。


「そりゃあそうだね。でもさ団長? 渋い顔して数えるなんて今回は少なかったんですかい?」


 若い頃からの相棒トビーの指摘に、団長は、頭をよぎる不安をかき消すようにため息をつく。


 そして、爺さんになったんだよと心にもないことを言って、トビーを調教棒で軽くつっつく。


「キャンキャン」


 鞭で打たれたときのピエロを真似るトビー。それを見て、みんなが大声で笑った。


 仲間たちと他愛のない話で盛り上がり、夜が明けるまで飲み続ける。


「最高だ!」と声がかれるまで叫びあげる。いつもの光景だ。変わることのない勝者の権利とでも言うのだろうか。

 

「そんなに飲んで、また太っちまいますぜ。団長……おぉ、すげぇ腹!!」


 タブタブと揺れる腹の肉を掴み、団長は権力者の特権だと大笑いで返した。


 干し肉にむしゃぶりつき、咀嚼して酒で喉の奥へと流し込んだ。


 テーブルの上は、グチャグチャである。


 皆、品性も行儀も関係ない。後片付けは、ピエロどもにさせれば良いのだ。


 干し肉を貪り、酒に溺れる。人生を謳歌する男たちは、沈溺の夜を過ごした。



 朝になり、団員から呼び出された。団長は、頭を手で押さえながらピエロどもの部屋へ入った。


 この部屋は、ピエロどもの収容施設だ。


 ピエロどもの調教のための設備。彼らを収容する格子付きの牢屋が、10棟ほど並んでいる。


 常に小道具などが無造作に置かれていて、物を蹴りながらでないと歩けない。


 ピエロどもの収容施設なので、片付けていないからなのだが。


「臭ぇな……そろそろ、こいつらに水でもぶっかけなきゃ駄目だな」


「まだ大丈夫でさ。団長。舞台の上じゃ外の空気に紛れて臭いませんぜ」


 たしかにそうなのだが、調教の時にこれでは、こちらが耐えられない。


 夜にでも外に連れ出して水浴びでもさせないと、自分たちが病気になるかもしれないのだ。


 ピエロの替えはいくらでもいるが、非合法のサーカス団を運営する団員は、替えがききにくい。


 国を裏切る行為など、小心者では務まらないのだ。そういう意味では、このサーカス団の者たちは、猛者ともいえる。


「待ってましたよ団長。また、このガキです」


 狂犬のような小僧の目が、団長を睨んでいる。その後ろには、ブルブルと震えてる小娘がいた。


「お手もお代わりも伏せも何も出来ねぇくせに目だけは一人前だな! 狂犬っ!!」


「全く、言うことを聞きゃしない。団長、鞭打ち百回の刑でお願いします」 


 団長は、ムチで小僧を打ちすえた。打てば打つほど、小僧の目は鋭さを増していく。


「キャンキャン」


 相棒のトビーが、小僧を打ちすえる度にふざけて奇声を発する。


 百発打ち据えても小僧は、微動だにせず、ただ睨むだけだ。


 下級貴族から在庫処分で貰った小僧だが、在庫だけあって無能だ。そのうえ、目が死んでいない。


 こういうピエロは、死んだ目にしなくてはならない。団長は、足蹴りをした。


 倒れても、睨み返してくる小僧。行動を制限する首輪がなければ、今にも飛びかかってきそうだ。


「ぜぇ、ぜぇ、……犬っころの分際で!」


「団長、そろそろショーの準備でさ。おら、とっとと準備しろピエロどもっ!」


 小僧は、最後まで、団長や団員を睨んでいた。


 この小僧だけは、どのような拷問や調教も物ともしない。その目に気味の悪さを感じる。ショーのときも簡単な芸しかせずに、団長をにらみ続けるだけである。


 下級貴族の在庫品でなければ、とっくに殺しているところだ。


(しょ、しょせんは犬だ……)


 団長は、そう言い聞かせるように、繰り返し心の中で呟き、収容施設を出るのだった。



 今日も朝から、観衆で満員のテント内。どいつもこいつも馬鹿面を並べ、期待に目を輝かせている。


 この国、ターブルロンド帝国は、娯楽が少ない。そのおかげで、非合法のサーカス団は、稼げるのだ。


 規制された庶民の遊戯では、満足できない中流市民が主な客層となる。


 正直、団長には商売道具のピエロどもと観衆たちの違いなんて分からない。


 どちらも同じにしか見えない。自分たちに酒と干し肉を供給する道具だ。


 そうにも関わらず、観衆の前に出れば自然と笑顔を作り、楽しませようとしてしまう。


 これが、客商売というものか、世の中とは甘い。甘すぎる。


 商いで身を立てるべく、苦労なんてしなくてもいい。出世なんてしなくても楽に生きていけるのだ。


 自分たちは、その方法を実践している。リシャールサーカス団こそ成功者の集まりなのだ。


「皆様、今日も良くおいでくださいました。我ら、リシャールサーカス団もピエロたちも首を長くして待っておりましたよ。我々は、みんなの笑顔に会いたかったのです」


 そう、これだけ言ってれば、金は幾らでも入ってくるのだ。


 観衆は、団長の言葉に熱狂している。最前列のガキが、手を振ってきたので振り返してやった。


 すると、隣に座る母親らしき女に何か報告している。笑顔で、こちらを見る母親らしき女。


 もし、親子連れなら馬鹿な親から生まれてくるのは、やはり馬鹿な子だと納得してしまう。

 

 ピエロどもの芸が始まった。玉乗りをすると、拍手と歓声。


 ピエロどもが、障害物をかわしながら細い板を渡り切ると拍手と歓声。


「みんな、一生懸命に頑張ってます。もちろん、皆さんに喜んでもらうためです」


 くだらない……


 ピエロが障害物を上手く避けようが、玉乗りをしようが、それのどこが面白いのだろうか。


 こいつらは、馬鹿面を並べて、何を喜んでいるのか? 団長には分からなかった。


 今、舞台で芸を披露しているピエロどもと同じにしか見えない。


 でも、最近になってそんな観衆の心理を知りたいと思い出した。


 金に余裕があり、酒も肉も毎日たらふく飲み喰らう。だからなのだろう。


 貴族どもの悪趣味も、余裕から生み出されるという。退屈を満たしたいからなのだと……


 観衆の気持ちを知りたいなんて思うのは、要するに退屈なのだろう。


 ピエロの作らせた笑顔に応えて、観衆が手を振っている。


 ショーも終盤にさしかかり、いよいよメインディッシュの火輪くぐりが始まる。


「さぁ、最難関の火輪くぐり、ピエロたちは無事にくぐれるのか? 皆さんのために頑張ります」


 頑張る必要なんてない。火輪をくぐるだけだ。誰にでもできることだ。


 調教のときにいつも言うことだ。サーカスのピエロならできて当たり前だと。


 観衆のボルテージが、最高潮に達した。ピエロたちが、一匹、ニ匹と成功させていった。


 最後に残ったのは、例の小僧と小娘だけだ。


 客の声援が、二人に集まる。団長は、トビーに目配せをした。控室に酒盛りの準備をさせるためだ。


 今日も客からの収益金を数え、朝まで騒ぐつもりだ。


「さぁ、最高の瞬間です。皆様、ご注目下さい。これが、リシャール・サーカス団です」


 最後に客を煽った。小僧は、まっすぐこちらを睨みつけていた。


 小僧が、ゆっくりと火輪に近づいていった。


 団長は、小僧の首の違和感に気づいた。


「…………ッ!?」


 小僧にしてやられた。ピエロどもの自由を奪うための首輪が外されていたのだ。


 小僧は、火輪を掴んだ。焼けただれる手も腕も気にせずに。ただ口角を上げて、団長に押し付けた。


 観衆が、熱狂している。馬鹿面を並べて、今まで見たことがない最高の笑顔で。


 そうか、こいつらの気持ちが分かった。


 舞台の上で、おどけたり、芸をしたりするものは、ピエロたちでなくてもいいのだ。


 誰かが、苦しい思いをしているのが、見たかっただけなのだろう。


 観衆が、鬼畜たちが、団長を指差し、あざ笑っていた。実に背筋が寒くなるような光景だ。


「お前は、火輪くぐりは簡単だと言った。どうだ、簡単にくぐれそうか?」


 小僧は、ずいぶんと流暢に怨嗟の声をあげた。やはり、こいつだけは違った。


 団長には、それに答える口も喉もなく、ただ鬼畜のあざ笑いだけが、テント内に響いている。


 遠くで、かすかに怒声が聞こえた。リシャールサーカス団の終わりを告げる軍靴の音である。


 序章外伝【ピエロ】完。

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