「術を消す。つまり、我がこの世から消えるということでは?」

「違います」


 黒い肌の術士は、難しいことを考えている目つきで天井を見上げた。


「あなたの御魂、しっかりと命の根を張った。この地の水を飲んで、育ったものを食べて、何年も経ったから。我が考えたのは、あなたと、軍師の、つながりを切ること」

「そんなことが?」

「できます、難しいけれど」

「どうやって」

「あなたの手で、軍師を、殺せば、叶う」

「なんと!」


 アナンは思わず立ち上がった。その肩から手を離した伯父は、数歩後ずさった。


「我が戦いに赴いて、それなりの働きができたとして、将軍の軍師に近づくことなどあるでしょうか! いや、ない!」

「できなければ、毒になるのみです」


 術士は左右に首を振った。


「難しい。とても難しいことです。でも、今、自ら命を絶つよりも、国のためになることです。違いますか? あなたが、強い兵になる。絶対にできないとは言い切れない」

「証は立てられない。そういうことか」

「え、なんと言いましたか?」

「いや」


 口の中で小さくつぶやいたアナンは、きっと顔を上げた。


「わかりました。軍に加わりましょう。そして、領内のことについては、」

「それは心配しなくていい。お前が無事に戻るまで、我が息子を義弟殿の下で働かせて、」

「いえ、それこそご心配には及びません。リヤンに任せます」

「リヤンっ?!」


 伯父は思わず大声を上げ、取り繕うように両手を振った。


「いやいや、年端もいかん小娘に、領地を治める手伝いをさせるなんぞ」

「リヤンはただの小娘ではありません。あの子の成長を見るにつけ、我よりも跡取りに向いていると何度も思いました。サーラム領にリヤン有りと言われる日も近いでしょう。このことを両親とリヤン本人に相談し、我は軍に志願するとしましょう」

「リ、リヤンのことはともかく、ゆっくり相談している暇はないぞ!」


 赤くなったり青くなったりしていた伯父だが、叫ぶように言った。


「今年の徴兵団は今日の昼過ぎにも出発するところじゃないか。領主見習いのお前が忘れてどうする」

「え、徴兵団とは別に志願するということは」

「できたばかりの頃とは違う。軍とは規律の厳しいところだ。のこのこ出かけて行って、入れてくださいと言えるものか。そもそも遠い道のりだぞ。一人でどうやって行くんだ」


 伯父は唾を飛ばしながら早口に言った。

 恥ずかしさで赤くなったアナンは、気持ちを振り切るように拳を握った。


「わかりました。徴兵団と共に行きます」

「そうか。よくぞ辛い決断をした。我が見送ってやろう」

「いいえ、伯父さまはお戻りください。このことが人の耳に入らぬように、お願いします」

「おっ、そ、そうだな。我が経緯を知っているそぶりを見せてはならんな」


 伯父たちは、そそくさと帰って行った。

 急な来訪と退出におろおろしていた執事を下がらせて、アナンは椅子に座り直した。


「さあ、出てこいエーラン」

「へっ、気づいてたんですか、若さま」


 精巧な木彫りのつい立ての向こうから、四つんばいで姿を現したのは、まさにエーラン。


「呪術士が、人の気配に気づかねえってのに。あいつ、本物なんですかね?」

「どっちでもいい。我は戦いに赴くことを考えていた。時が来たというだけだ。それより、よく物音を立てずにいられたな。褒めてやろう」

「ありがとうございます」


 アナンが立ち上がったので、エーランも照れ笑いしながら立ち上がった。

 二人が向かい合って立つと、アナンの頭はエーランの胸にかろうじて届くくらいだった。


「まったく、大きくなってしまって。時が来たが、悔いはないか?」

「もちろん、有りません。若さまと一緒に行きます」

「よし。お前は手はず通り、料理長にだけ話してこい。我はリヤンと話してくる。後はいつもの場所で」

「はい、わかりました」


 料理長やリヤンがどのような愁嘆場を繰り広げたのか、二人は互いに語らなかった。剣の稽古に励んだ林で落ち合った後、黙りがちに歩き始めただけである。

 二人の荷物はとても少なかった。布の包みを一つ持った他には、背中に斜めにくくりつけた袋だけ。

 その出で立ちで徴兵団の集合場所に現れた二人を見て、人びとはざわめいた。


「サーラムの若さまではありませんか! それと、異国、人?」

「誰が異国人だっ! おれはサーラム領育ちだいっ。サーラム領のほかどこも知らねえ」

「控えろ、エーラン」


 エーランの腰をぽんぽん叩いて黙らせると、アナンが責任者の前に出た。


「我ら二人、枠の外では有りますが、志願します。必ずやお役に立ちます。共に連れて行ってください」

「いや、若さま、いけないっていうんじゃないですが」

「その呼び方も止めていただきたい。一兵士見習いとして扱ってください」


 出立の時は近づいていた。責任者は迷っていたが、二人のために遅らせることはできなかった。渋々というか、本人のたっての希望というところに幾たびも年を押し、一団に加えることを了承した。

 本来ならば持参した武器を検めるところだが、適当に流しての出立になった。

 すでに集められていた男たちが20人、〈

お役人〉と呼ばれている責任者と補佐が一人ずつ、アナンたちを加えて24人である。

 興味津々なのに話しかけられない面々と共に、アナンたちも黙々と日暮れまで道を進んだ。

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