時が流れた。


 北方の大国タイライの軍が南下して、道筋の国々を飲み込んでいることは、もはや内緒にしておけることではなかった。

 アナンの住む、持ち回りで王を決めるような緩やかな連合国も、ただ手をこまねいているだけでは済まなくなった。

 幸い、間には険しい山岳地帯がある。その麓に周辺諸国と共に砦を築き、なんとか食い止めようと話がまとまっていた。

 領内では、各集落から一定数の男を集め、兵士として送り出されてるようになっていた。


 アナン22歳。

 未だ矍鑠としているとはいえ年老いた父親に代わり、領内の諸事を行っているため、兵役は免除されていた。


 そんなある日、母親の兄である伯父が一人の異国人を連れ、約束もなく訪れた。年の割にぎらぎらした、いかにも元気そうな伯父である。連れの異国人は大柄で、この地の人びとよりも色が黒く、髪の毛が縮れていた。


「父は視察に出かけております。前もってお知らせいただけば、日を変えることもできましたのに。それとも母を呼びましょうか?」


 応対したアナンは、執事に母の居場所を訊ねようとしたが、伯父が途中で遮った。


「あれ達ではなく、お前に話があるのだよ、アナン」


 いかにも親しげな笑みを浮かべて、伯父は身を乗り出した。それから、執事を部屋から追い払った。メイドも近づけるなと言い含めて。


「どういったお話でしょう」

「我が妹がこのサーラム家に嫁いでから、お前が生まれるまでに、長いときがかかった」

「はい」

「ニャムナット寺のお葉付き銀杏に願をかけ、名僧と名高いマイナムさまのお力添えもいただいて、ようやくお前が授かった」

「はい」

「ということになっている」


 いきなり聞き返すことはせず、アナンは眉根を寄せて首を傾けるにとどめた。


「あいつと義弟殿は、実は、手を出してはならぬものに手を出したのだ」


 更に身を乗り出して声をひそめる伯父に対し、アナンはわずかに上半身を引いた。


「ニャムナット寺よりも力のあるものに頼った。頼ってしまった」

「何ですか、それは。なぜ、そんなことをご存知だとおっしゃるのですか」


 伯父は隣の異国人と頷き交わし、もったいぶった咳払いをした。


「このお方は、タイライで呪術士として働いていたことがある」


 アナンの驚きを見てとって、伯父は小さく頷いた。


「しかし、人を呪い殺す役目におののき、また役目を全うできなかった同輩の末路を目の当たりにして、逃げ出していらしたのだ。人として、逃げることこそが正しいこともある」

「…幸いでありましたね」

「このお方だけではない。皇帝の無理難題を受け入れがたく、逃げようとした呪術士、道士たちが多くいるそうだ。逃げおおせることができず、命をとられた方々のほうが多いだろうが」

「お気の毒です」


 アナンは手を合わせて瞑目した。


「ほんにひどい話だ。縁あってこのお方に出会い、我が屋敷でお世話できることになって良かったと思っている」

「はい」

「そこでだ。心を割って話せる間柄になり、かつての罪に苛まれる胸の内を聞くようになって思いついたことがある。この地にかけられた悪しき呪いを、解くことはできないものかと」

「それができれば、さぞ良いことでしょう」

「だろう? 並の腕ではできんだろうが、この術士殿は優れた技をお持ちだ。いくつもの呪いを暴かれた。その中で、一つ怪しいものが現れた」

「ほお」

「亡くなった御魂みたまを産み直す術が行われた痕跡だ」


 アナンは一瞬目を険しくした。


「大変に難しいことだが、術士殿はそれがどういうものかを詳しく調べられた。まさに大変なご苦労があり、お体にも差し障るほどで、我は何度も、もう宜しかろうとお止めしたものだ。しかしなあ、それはこの世のことわりに叛くもので、誰が、なぜ、どうやって行ったのか知りたいとおっしゃって」

「我が生まれるずっと前に、母は幾度か赤子を亡くしたと聞いております」


 伯父の話に被せるように、アナンは静かに言った。不作法な振る舞いであったが、伯父は全く咎めなかった。


「そう。実に辛いことだが、アナン、お前が呼び戻された子だ。依頼したのは我が妹と義弟殿。そして、その途方もない術を行ったのは、西方の呪術士」

「西方の?」

「そうらしい。その呪術士はかつて、商人たちとともに旅をしていたそうだ。今も健在だが、旅に出ることはない。なぜだかわかるか?」

「さあ?」

「タイライに雇われたからだ」

「ありそうな話です」

「だが、宮殿奥の呪術士としてではない。今まさに南へと進んでいる軍の、将軍付きの軍師としてだ」


 さすがに驚いて声を立てたアナンに、伯父はいかにも心配しているといった目を向けた。


「術士殿は怖れておられる。軍師の術の痕跡が、この地方攻略のくさびになることを。お前の体を手がかりにして、己の好きなように操り、内側から国を壊すような術を仕掛けるのではないか、とな」

「この身が今も呪われていて、国を滅ぼす道具になるかもと?」


 アナンは自分の体を見下ろして、静かに撫でた。


「我が死ねば、その術は成り立たないのでしょうか」

「そんなことを言うものではないよ、アナン」


 伯父はわざわざ立ち上がり、座ったままのアナンの肩を抱いた。


「術を消す方法、あります」


 それまで無言だった呪術師が、初めて口を開いた。

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