第11話 彩宮皇太子・白練

 更夜が結を背負い、長老の案内で皇太子の宮殿へ向かった。

 急にやって来た患者に困惑した様子だったが、長老の紹介ならばと迎え入れてくれた。

 そのまま結が運び込まれたのは何故か風呂場だった。高級そうな温かみのある木材で作られた大きな浴槽があり、大人が十人入ってもまだ余裕がありそうだ。

 結は湯帷子に着替えさせられ湯舟に浸される。結が流されないよう、雛依はぎゅうっと結の身体を抱きしめた。


 そして結が湯船に浸けられてから数分後――


 「結様。もう狸寝入りしなくて良いですよ」

 「あ、ほんと?よいしょ」


 けろっとした顔で結は身を起こした。


 「ひよちゃんよく気付いたね」

 「ちゃんと聞いてましたもん!結様は皇太子殿下に興味持ってました!おかまさんは長老様が怪我人をまとめてるって言ってました!宮殿が手当てする場所なら長老様は宮殿に入れるはず!」

 「大正解!さすが僕の金魚屋!」

 「でも人の優しさに付け入るのもう嫌です」

 「だって宮殿に入る方法無いんだもん。それよりこのお湯、これ金魚湯じゃない?」

 「僕も気になりました。でもそんなはずないです。金魚湯は金魚屋しか作れないです」

 「うーん。ねえねえ、金魚湯の作り方教えてよー」

 「駄目です!依都と雛依だけの秘密です!」


 ぷんっと雛依は顔を逸らした。

 これは何度聞いても絶対に教えてはくれない。雛依が言うには、金魚屋最大の秘密らしい。


 「……ちなみに、ひよちゃんと依都は血縁?」

 「いいえ。僕は元々街に住んでたんですけど、才能があるって金魚屋に入れて下さったんです!」

 「才能?それは経営とか?」

 「経営は旦那様がなさるから知りません。でも依都様は僕には当主の資格があるって!」


 えへんと雛依は誇らしげに笑った。

 そっかあ、と結はよしよしと雛依を撫でる。


 (血統は関係無いのか。当主になる条件を満たせば金魚湯を作れるとすると――……あれ?)


 ふと結は不思議に思った。

 本来跡取りに付くのは金魚屋の当主だ。それが雛依になったのは選び抜かれたわけでは無く、当主の依都が不在だからにすぎない。


 「……依都って何処に何しに行ったの?」

 「知らないです。でも神威様と一緒なので安全ですよ」

 「え?一緒なの?」

 「そりゃあそうですよ。神威様は依都様の護衛ですもん」

 「ああ、そっか。更夜君は神威の事知ってる?」

 「そりゃ知ってる。俺は神威に戦い方を習ったんだ」


 うーん、と結は小さく唸った。

 雛依はいつも通り心配そうに顔を覗き込んでくる。


 「依都も金魚湯作れるんだよね」

 「当然です。僕は依都様に教えて頂いたんですもん」

 「でも今いないんだよね」

 「はい」

 「神威は依都と一緒にいる」

 「はい」


 ではこの金魚湯を作ったのは依都で、破魔矢を持ち出したのは神威である可能性があるという事だ。

 出目金を眠らせる金魚湯を持つ依都と更夜を上回る力量の神威がいれば出目金の巣くらい突破できるだろう。


 (しまったな。依都と神威がいない理由聞いとくんだった)


 思わずぎゅっと拳を握ると手のひらがちくりと痛んだ。

 それは出目金に襲われた時に金魚鉢の破片で付いた傷だ。


 (金魚鉢は金魚屋だけの物だ。土が濡れてたからあの時あの場で割ってる。もし入っていたのが出目金だったら犯人は依都……)


 結はあの数の出目金が現れた時点で人為的な襲撃ではないかと疑っていた。

 出目金を兵士にする虹宮の残党ならそれも可能だ。


 (依都なら出目金を操っても不思議じゃない。けど……)


 結には依都が人を襲うとは思えなかった。

 何しろ雛依が全面的に信頼し目標としている人物だ。雛依がそんな人間を敬愛するわけがない。

 結は雛依を抱きかかえてゆらゆらと湯に揺れた。


 「ひよちゃんから見て依都はどういう人?」

 「依都様はとっても優しくて可愛い方ですよ!」

 「え?可愛いの?ひよちゃんから見て?」

 「年が同じくらいなんだよ、こいつらは」

 「僕の方がちょっと下です」

 「……へー……」


 雛依は依都様は、依都様が、ときゃっきゃっとはしゃぎながら語っている。

 この雛依と同じくらいなのかと思うと、結は混乱する一方だった。


 (依都が虹宮を率いてるなら、鯉屋の侵入者も依都の手下って事になる)


 雛依を見るとひたすら依都の素晴らしさを説いている。

 それを否定する事などできるはずもなく、そっか、凄いね、と頷くしかできなかった。


*


 結が治療の名目で彩宮殿に運び込まれて翌日、お礼をしたいという理由で皇太子に面会を求めた。

 だがたかが怪我人の一人、わざわざ皇太子が会うほどではない。さすがにこれは無理かとだったのだが、どういう訳か今日の夕方なら良いと即許可が出たのだ。


 「ぜーったい怪しいです!すぐ会えるなんておかしいです!」

 「さすがひよちゃん。よく気付きました」

 「やっぱり変ですよね!」

 「うん。でも皇太子の方が僕達に会いたいと思ってたなら別だよね」


 ふふっと結が面白そうに笑うと、怪しい怪しいと跳ねていた雛依はぴたりと足を止めた。


 「……ははあ、根回し済みなんですね」

 「はてさて」


 雛依は何したのか教えて下さい、と結の膝に顎をぽすんと乗せた。

 結はどうしよっかなあ、とはぐらかしながら雛依の頬をぷにぷにと突く。

 そんな平和なやりとりを続けていると、ギイと部屋の扉が開いて一人の男が入ってくる。男は宮殿の使用人が着る服を着ていた。


 「皇太子殿下がおいでになりました」


 使用人はぺこりと頭を下げると扉の傍に跪き深々と頭を下げると、ゆらりと一人の男が入って来た。

 皇太子と呼ばれた男は彩宮の民族衣装を着ている。街の人々より明らかに質が良く、地模様のある赤い着物と羽織に濃紺の袴のような物を履いていた。装飾品は付けていないけれど、花や植物の地模様が刻まれた生地は高級そうでそれ自体が装飾品に見える。

 長い髪を後ろ頭の高い位置で結っていて、中性的な整った顔立ちはまるで物語の主人公さながらだ。

 しかしその男の顔を見て、えっ、と雛依が驚いたように声を上げた。


 「結様、この方が皇太子様ですか?」

 「そうだよ」

 「え、でも、この人って……」


 男はフラットで柔らかそうなソールの靴で、足音を立てず結の前にやってきた。

 どこか女性めいているこの顔を結達は知っていた。


 「……酒場のおかまさんですよね?」


 服装こそ違えど、その顔と声はどこからどうみても結達を歓迎してくれた酒場の店員だった。

 男はにやりと笑う。


 「良く来たな。俺が彩宮皇太子白練びゃくれんだ」

 「……皇太子様がおかま……」

 「んなわけあるか!ちげーよ!」


 結は怒鳴られて怯える雛依を抱き上げる更夜にパスした。

 ついでに更夜の顔色をうかがってみるが、特に驚いた様子は無かった。


 (皇太子が神威かと思ったんだけど違うか……)


 女装時は本人と気付かなかっただけで、男として会えば神威だと分かる――という可能性があるかと思っていた。

 けれど更夜は雛依の事しか気にしておらず、それどころかあんな怪しい奴に近寄るなとすら言っている。 

 当てが外れて落胆したが、すぐにいつものように柔らかな微笑みを見せた。

 

 「彩宮に入ってすぐの酒場。あそこで余所者の出入りを見張ってるんですよね」

 「ほお。気付いてたのか」

 「だって『可愛い新顔が来るとつい』って言ったから。新顔を確認してるんでしょう」

 「その通り。だが何故皇太子本人だと?」

 「最初は軍の人かなと思いました。出目金に臆さず避難を誘導なんて一般人には無理ですからね。でも一般兵にしてはあの客間はあまりにも豪華です。だから軍の一番偉い人なのかなあと」


 結達が借りた部屋はとても煌びやかだった。

 鯉屋で与えられた結の部屋よりもはるかに美しく高級そうで、それは彩宮の街中にも見ないほどだ。

 まるで来賓用に用意されているようで、それは一般人の経営する店に用意されるレベルではない。


 「とはいえ確証は無いのであなたから食いついてもらおうと思ったんです。会えてよかったです」

 「……そうか。じゃあ錦鯉を出したのはわざだな」

 「錦鯉?何の事ですか?」

 「とぼけるな。あの時子供を助けたのは錦鯉だった。錦鯉を連れてるのは跡取りのお前だけだ」


 どうだ、と問われて結はキラリと目を光らせた。


 「へ~。あれが錦鯉だって知ってるんだ~。僕が跡取りで錦鯉を連れてるのは跡取りだけってのも知ってるんだ~」


 ぴくりと皇太子の目じりが歪んだ。

 鯉屋領地内で錦鯉を知らない者はいないが、領地外の人間は錦鯉を知らないはずだ。何しろ錦鯉はそこらを泳いでいるわけではなく、鯉屋が水槽に入れて管理しているのだ。

 いざという時に鯉屋が出動させる最終兵器であり、本来連れ歩くものでは無い。結が例外なのだ。

 そして跡取りというのは鯉屋独自の役職で、現世からやって来るのだから領地外で跡取りが来た事を知る術など無い。

 

 「鯉屋の最新情報に詳しいな~。誰かに聞いたのかな~。誰だろ~。気になるぅ~」


 結はあからさまに含みのある猫なで声で、どうしてえ~?と首をこてんと傾げて見せる。

 明らかに苛立ち怒りを露わにした皇太子だったが、結はまったく怯まずにっこりと微笑んだ。


 「僕お願いがあるんです。聞いてくれますよね」

 「……聞くだけならな」

 「え?聞いてくれるんですか?鯉屋に詳しい理由よっぽど探られたくないんですね」

 「あ?」

 「いえ、何でも無いです」


 皇太子は不愉快そうに低く唸り、どかどかと足音を立てて座卓前に置かれている座椅子に座った。

 結は有難う御座います、とにこにこしながらその後に付いて行ったが、雛依と更夜はじとっとした目で結を見つめる。


 「揚げ足取って嫌味言う必要あるか?普通に話せばいいだろ」

 「結様の方が上に立ってるって分からせるためだよ!」

 「……ああ、うん……」

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