第10話 彩宮の虹彩軍

 雛依と更夜が店の外へ出ると、上から見下ろしていた時よりも人々は恐怖に包まれていた。


 「こう見ると鯉屋領地内は出目金慣れしてるんだね」

 「平和ボケはしてねえな」


 鯉屋領地内で避難ルートが確立されていない理由の一つがこの『出目金慣れ』だ。

 鉢には地の利を活用した逃走術が存在する。樹々が乱立し凹凸が多いうえ、建物に鍵が付いていないのでどこかにしら隠れる事ができる。

 日々襲われるうちに、各自が『この辺はあのくぼみに入れば大丈夫』のような防衛策を確立させている。

 だが彩宮は地面が平らに舗装され建物には鍵がかかっている。誰かが家に入れてくれなければならないが、家の中にいた人間は早々に鍵をかけて閉じこもってしまう。つまり避難用施設を設けておく必要があるのだ。


 「おかまさんのお店は避難場所なんだね」

 「俺らみたいな余所者も歓迎してくれたし、悪い奴じゃなさそうだな」

 「ちゅーされちゃったけどね」

 「うるせえよ……」


 店員は子供や高齢者、怪我で動けない人間を背負い店へ逃げ込んでいく。

 それはとても迅速な行動で、守るのも簡単そうだ。


 「えっと、僕は金魚湯で更夜君は僕の護衛専念だよね」

 「十匹くらい俺一人でどうとでもできるってのに何でだよ」

 「何か考えがあるんだよ」


 雛依は肩から斜め掛けしていた縦長のポーチの蓋を開けると、そこには幾つもの小さな試験管が詰め込まれていた。

 それを三本取り出すと、そこには金魚湯が入っている。


 「金魚湯、ちゃんと作っといたか?」

 「うん。結様が買ってくれた小分けの瓶すっごく便利」

 「残量に気を付けろよ。俺が盾になるから片っ端から頼む」

 「りょーかい」


 雛依は残りの試験管が飛び出ないようにポーチの蓋を閉め、更夜の背に隠れながら出目金に向かって走った。

 そして雛依は更夜の背を踏み台にしてポンと飛び上がり、上空から出目金に力いっぱい試験管を投げつけた。すると試験管はパリンと割れて出目金に金魚湯がかかり、途端に出目金は目を閉じぽとりと地面に落下する。金魚湯で殺す事はできないが時間稼ぎには十分だ。

 雛依がくるんと宙で一回転して着地すると、着物の裾が金魚のようにひらひらとはためいた。


 「さすが金魚姫」

 「僕男の子!」


 そして結はというと、酒場の裏道に隠れてその様子を見ていた。


 (十一、十二、十三……全部で十七匹。偶然同時発生したにしては多い)


 雛依が言うには、出目金に群れる習性は無い。

 出目金の元は生者だから、行動を共にするのは同時に死んだ親しい人間かこちらでナンパしたかなのだ。群れたとしても二、三匹。十七匹はあまりにも多い。


 結は這いつくばって地面の土を撫でて回ると、急にじめっと水分が滲んできた。

 すると手に何かが刺さりぷくりと赤い血が零れてきた。結の手を切ったのはガラスだった。曲線を描き端はうねうねと曲がっていて縁は赤いグラデーションになっている。


 「金魚鉢……」


 ふうんと結が呟くと、思考を邪魔するように子供の泣き声が聞こえてきた。

 来た、と結は子供のところへ駆け出した。出目金は牙を剥き子供に食い着こうとしていて、結は疾風をコンと小突く。


 「行け!」


 結の合図と同時に、疾風はその名の如く目にもとまらぬ速さで出目金に食い付いた。

 そのまま人目の無い物陰に飛び込んで、しばらく暴れていたけれどあっという間に静かになった。

 そして疾風は出目金を呑み込まずにペッと吐き出す。


 (体内で消化しなきゃ錦鯉の魂は消費されない。消化しなくても動けなくなればそれでいいんだ)


 食われかけていた子供に駆け寄ると、子供はきょとんとしていて何が起きたか分かっていないようだった。

 結は子供を誰かに任せられないかときょろきょろしていると、聞き覚えのある低い声が近付いてきた。


 「ちょっとぉ!やるじゃない!なあに、あの鯉!」


 駆けつけてくれたのは酒場のおかま店員だった。

 部屋にいないから心配したのよ、と結の事を抱きしめた。


 「この子連れて中入って下さい。僕ひよちゃんと更夜君のとこに行くんで」

 「何言ってんの。もう終わりよ!終・わ・り!」

 「終わり?何でですか?」

 「皇太子殿下と虹彩軍が戻って来たのよ!」


 ん、とおかま店員が指差した先を見ると、そこにはぞろぞろと大勢の男が連なってやって来ていた。

 屈強な男ばかりだが、結はぴくりと眉間にしわを寄せた。


 (破魔矢!?)


 男達の武器は破魔矢そっくりなデザインの西洋剣だった。

 しかも出目金を切るのなら破魔矢そのものと言ってもいい。

 

 (どこで誰が作ったかは置いといて、同じデザインなら確実に一本は流出してる。誰かが持ち出したんだ)


 これは鯉屋への裏切りだ。鯉屋に味方するか分からない相手に破魔矢を与えて、もし敵になったらこちらが危うい。


 だが、今の結には気になる事がもう一つあった。

 それは男達の動きだ。幾つかの部隊に分かれていて、指示を出し率いる者がいるようだった。部隊ごとに指揮系統が確立されていて、的確に無駄なく出目金を捕らえていく。

 武装組織であり、かつ各部隊に隊長格がいる。それは結が目指している組織そのものだった。


 「あの軍を率いてるのは誰ですか?」

 「皇太子様よぉ。半分くらいは虹宮前領主の兵なんだけど、みいんな皇太子殿下に寝返ったのよ」

 「それで『虹彩』軍ですか。虹を先に付けるなんて嫌味ですねー」


 国主が軍の最高責任者なら彩宮は軍事国家という事だ。

 それはちょっと嫌だな、と結は眉を顰めた。結では軍事国家のメリットデメリットがよく分からないからだ。

 現代日本は象徴天皇と三権分立で、軍は自衛隊だ。実体験の無い政治体制は想像の域を出ない。ならば実体験のある人間にやってもらいたい。


 「あのあの、皇太子様ってどうやったら会えるんですか?」

 「え~?会えないわよお。出目金討伐もあるし虹宮の残党狩りもあるし。今は大忙しよ!」

 「謁見依頼する手続きはあります?」

 「ないわねえ。そんなトコまで手ぇ回らないでしょ。怪我人運び込んだりはするけどね」

 「そっか……」

 

 今回は敵情視察が目的だが、結は狙っている事があった。それが人材の確保だ。

 桜華は魅力的だが、いるかどうかも分からない人間を探すよりも目の前にいる有能な人間をスカウトする方が確実だ。


 (皇太子と隊長格だけ欲しいな。そのためにも謁見したい)


 だがいきなり『鯉屋に来て下さい』と言ってもこれだけの人気を誇る皇太子を捨ててくれるとは思えないし、そもそも会う事もできない。

 どうしようかなと考え込んでいると、聞き覚えのある声が聴こえてきた。


 「結様いた~!!」

 「ひよちゃん」

 「怪我無いですか!?あっ!血が出てる!!」

 「あら。出目金の怪我なら長老様がまとめて宮殿に連れてってくれるわよ」

 「いえ、ちょっと切っただけなんで」


 雛依は鞄から手拭いを出し、止血しなきゃ、と言ってぎゅっと結の手を縛ってくれる。

 こんな時でも愛らしい雛依に癒されていると、がやがやと賑わう声が聴こえ始めた。

 どうやら出目金が全て捕獲され、軍が出目金の回収を終えて撤退を始めたようだった。捕獲といっても、素手では触れないので剣に突き刺したままなのだが。


 「……ひよちゃん、ちょっとおいで」

 「何ですか?」


 結はこしょこしょと耳打ちをすると雛依はうんうんと大きく頷いた。

 そして雛依に小さな革の袋を持たせると、軍の最後尾でのろのろと歩いてる男に雛依一人で声を掛けさせた。


 「軍のお兄さん!これ捕まえました!」

 「ん?おお、出目金じゃないか!凄いぞ、嬢ちゃん!」


 結が持たせたのは疾風が倒した出目金を入れた革袋だ。

 嬢ちゃんと言われて雛依はぴくりと頬を引きつらせたが、怒りを呑み込みえへへと可愛らしく笑って見せる。


 「偉いぞ。けどな、こいつはくたばってても危険だ。もう近付くなよ」

 「はあい。でも捕まえてどうするんですか?宮殿から逃げ出しちゃいませんか?」

 「なに、心配はいらない。皇太子殿下がしかと隔離して下さる」

 「あ、そっか!皇太子殿下しか入れない水牢なら安心ですよね!」

 「ああそうだ。だから安心しろ」


 雛依は男に革袋ごと出目金を渡すと、幼子のようにばいばーい、と手を振った。

 そしてすたたたっと結の元に戻り、こしょこしょと耳打ちをする。


 「宮殿に皇太子様しか入れない水牢があるみたいです」

 「やっぱりね~」

 「おい。ひよにあくどい事やらせんな」

 「可愛いは正義であり武器」


 雛依は老若男女誰が見ても愛らしい容姿をしている。幼い無邪気さに絆され情報を流してしまうのは仕方のない事だ。

 三人がこそこそしていると、老齢の男性が声をかけてきた。 


 「お前さん達、服が汚れてる」

 「あ!おじいちゃん!」

 「ひよちゃん、長老様だよ。失礼しました」

 「ご、ごめんなさぁい」


 雛依はおじいちゃんと呼んで長老に抱き着いた。無邪気で可愛らしいが、これは結の仕込みだ。

 結としては権力者に好意を向けてもらいたいのだが、如何せん出だしが悪かった。

 だが幼い雛依が戦って人々を守り、その雛依に甘えられたら陥落しない人間はいない。

 そして狙い通り、長老は雛依の頭をよしよしと撫でてくれた。結と雛依は目を合わせて、イケる、とほくそ笑んだ。


 「そんな汚れていては過ごし難いだろう。着替えをやるからうちに来い」

 「え!?いいの!?」

 「ひよちゃん、駄目だよ。ご迷惑でしょ」

 「構わんよ。こっちだ」


 おいで、と長老は雛依の手を引いて歩き出す。

 結はよっしゃと小さくガッツポーズを取ったが、更夜は複雑そうな顔で溜め息を吐いた。


 長老が向かった先は自宅という事だったが、着いたのは三階建ての大きな建物だった。

 三階はどうやら住居のようだったが、一階と二階は何かの店のようで――


 「うわー!お着物がいっぱい!呉服屋さんですか!?」

 「好きなのを持ってお行き。皆を助けてくれた礼だ」

 「わあい!有難うございます!この国のお着物可愛いなーと思ってたんです!」


 きゃー!と子供のようにはしゃいで雛依は服に飛び込んでいく。

 結は保護者のようにぺこりと頭を下げ、ひよちゃん駄目だよ、と冷静な大人ぶった。


 三人はあれこれと服を見て回った。

 結が選んだのは濃紺の漢服だ。袂の無い着物のような造りになっていて、鯉屋から着てきた白パーカーの上からそれを着た。さらにその上から金で雲のような柄が入っている黒いロングジャケットを羽織る。その柄は鯉屋の羽織に似ていた。

 雛依が着たのは詰襟でチャイナボタンが付いた五分袖のトップスに、下は完全にロングスカートだった。

 くるりと回るとふわふわとした赤いスカートが広がり、金魚のような愛らしさはそのままだ。


 「僕男の子の服が良いです……」

 「大丈夫!すっごく可愛いよ!ね、更夜君」

 「……ウン……」


 同情を得たい時に幼い女の子がいるとあらゆる対応が甘くなる。

 女の子に見間違えるような愛らしさは所属等関係無く万人に有効である。

 特に更夜には効果抜群だ。雛依はぼんやり答える更夜にとことこと近付くと、ちょろちょろと足元をうろつき更夜の服を確かめた。


 「更夜君も着替えればいいのに」

 「これは破魔屋の着物だから脱がねえの。ひよが可愛ければそれで良いんだ」

 「そこは『俺が動きやすければ』じゃない?」


 あ、と更夜は顔を真っ赤にして違う違うと慌てたけれど、結も雛依もハイハイと笑って流した。


*


 着替えが終わると長老は自宅として使っている三階に案内してくれた。

 結と更夜には飴湯を淹れてくれて、雛依には赤い果物のような物が入っている水飴を出してくれた。

 雛依は目を輝かせ、頬張ると喜びできゃあと震えた。それは謀らずとも長老の胸を鷲掴みにしたようだった。


 「昼はすまんかったな」

 「昼?何かありましたっけ」

 「……優しいな、お前さんは」


 長老が言っているのは意味も無く結達を罵倒した事なのだろうが、結はけろりとしている。

 それを「気にしてない」という意味に受け取った長老は深々と頭を下げた。だが――


 「これ作戦だと思うよ。優しい良い子だって思わせようとしてるの」

 「そんな事分かるようにならなくていい」


 雛依と更夜はこそこそと耳打ちしあった。

 結の真意は何であれ、長老はは別人のように優しく微笑んでくれている。


 「俺は余所者の連れて来た出目金に家族を食われてな。殿下も手を尽くしてくれたが助からなかった」

 「手を尽くしたって、治療したって事ですか?出目金は魂を食べるから治療は無理でしょう」

 「殿下の彩宮殿で手当てしてもらえば治るんだよ。特別な手立てがあるらしい」

 「……へえ」

 「だから余所者はこの街には入れたくない。けどあんたらは街を守ってくれた」


 長老はちらりと横に座っている雛依に目を落とすと、ぽんぽんと頭を撫でた。


 「小さいのに勇敢だ」

 「い、いえ、そんな。できる事をしただけです」

 「偉いなぁ……」


 何かを懐かしむような眼差しに結は切なくなっ――たりはせず、ちらりと雛依にアイコンタクトを送る。

 それを受け取った雛依はピンときて、ぎゅうっと長老に抱き着いた。


 「軍が使ってた武器って街でも売ってるの?格好良かったからひよも欲しい」

 「ありゃあ皇太子殿下しか持っていない特別な物だ。売りもんじゃない」

 「なんだあ。つまんなーい」

 「そんなもんに興味持っちゃいかん。ひよちゃんにはこうい方が良いだろう」


 長老は戸棚から大きなガラス瓶を取り出した。

 その中には赤に橙、黄、桃、青、緑……一つ一つが様々な色で星の様に輝く飴玉が入っている。

 長老は赤と橙の飴を取り出すと、金魚鉢のように丸っとしたガラスのコップに放り込む。そこに透明の液体を注ぐと、しゅわしゅわと音を立てて水泡が弾け出す。


 「飲んでごらん。少しずつだ」

 「……きゃうっ!」

 「はは。パチパチするだろう」

 「ふわぁ……不思議な食べ物がいっぱい……」


 雛依は不思議そうにしながらも楽しそうに飲み続ける。

 長老は結と更夜にもそれを作ってくれて、こくりと飲むと口の中で甘く弾けた。


 (炭酸だ。こんなのもあるんだこの国。これも皇太子が持って来たのかな……)


 彩宮には様々な文化が混在している。

 皇太子が新たな物を取り入れたのは国民意識を改めるためというが、裏を返せえば虹宮の国民意識が残っているという意味でもある。


 (皇太子はこの地の英雄だろうけど鯉屋を狙ってないという事にはならない)


 鯉屋への侵入者は虹宮の人間だと言っていたが、虹宮の意識を持ったまま虹彩軍に入った人間の可能性もある。そうじゃないにしても、差し向けた親玉がいる事には変わりがない。今この近辺でそれができるのは皇太子くらいだろう。

 何よりも虹宮は出目金を兵として扱う。そこにきて虹彩軍は出目金を持って帰り、その管理をしているのは皇太子。

 もし皇太子が出目金を操る技術を入手しているのなら、出目金狩りを称して鯉屋を討つ準備を整えている可能性もある。


 (何にせよ皇太子は怪しい。これを調べずに帰るわけにはいかないけど宮殿は入るルートが無い……いや……)


 結はちらりと長老に目をやった。

 あれこれと雛依にお菓子を与え、それは心優しい祖父と孫のようだ。


 (……ひよちゃんが気付いてくれますように)

 

 結はふうと息を吸い込んだ。すると途端に身体がぐらりと揺れ、椅子ごと床に倒れ込む。


 「結様!?」

 「結!」


 雛依は結の身体を揺すったけれど、結は何も言わず目を閉じている。


 「きっと出目金にやられたんです!前もそれで倒れてるんです!」

 「ならすぐに宮殿へ運ぼう。一般から入るには手続きがいるが、私は通行証を持っているんだ」

 「は、はい!はいっ!!」

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