第5話 結が狙う第二の権力者、破魔屋の黒曜

 「結様っ!!!」

 「ひよちゃん下がって!」


 鉢を出て数分歩いた所で結は一人の男から襲撃を受けていた。

 二十代後半ほどだろうか。男の上背はそれほど高くなく、華奢な事もありとても小さく見えた。

 短髪だが襟足だけ少し長い烏羽玉の黒髪を小さく結んでいて、揃えたような黒々とした瞳はまるで宝石だ。陽の光を照り返せば銀に輝く白い着物は錦鯉の鱗など比にならないほど美しい。

 男は細い切れ長の目をさらに細め、笑いながら日本刀で切りかかってくる。

 生前病気で運動などした事の無い結がそんな物に立ち向かえるはずもないのだが、それでもその刀が結を切り裂く事は無かった。


 「臨!食べちゃ駄目だよ!食べたらぺっして!」


 結の代わりに戦っているのは錦鯉の臨だ。

 臨は結の指示通り食べる事はせず、男の刀に食らい付き引きずり回す。刀を噛み砕こうとしてるようだがそれは叶わず、けれど男も臨を押し切る事はできず拮抗状態だ。


 「来てすぐ錦鯉を使いこなすたぁ優秀だ」

 「あなた誰ですか。僕が誰だか分かってやってます?」

 「分かってるからやってるんだよ」


 男が力押しで臨を後ずさりさせ始めた。人間と比較すれば身体が小さい臨では体力で負けるし使える筋肉も少ない。

 これは不利だなと思った結は、男が動けなくなる程度に足を噛ませようとしたけれど指示する前に別の何かが男の顔面に向かって行った。


 「わあああああああん!」

 「んがっ!!」

 「結様に何するんですかあああ!!」


 泣き叫びながら飛び込んだのは雛依だった。

 腰にぶら下げていた竹筒をがぼりと男の口にぶち込むと、流れ出るお湯が男の顔を派手に濡らした。

 男はそれを飲むまいと吐き出し、顔にへばりつく雛依を剥がして放り投げた。ぜえぜえと肩で息をして、男はぎろりと雛依を睨みつけた。


 「雛依ぃ!金魚湯無駄遣いすんなっつってんだろ!」

 「結様をいじめるなら眠ってしまえー!」

 「ひよちゃん落ち着いて」


 あうっと頭を抱えた雛依を抱きしめて、よしよしと頭を撫でると雛依もぎゅうと抱き返してくれる。

 小さいなりに守ろうとしてくれる姿は愛おしい。

 そんな雛依に毒気を抜かれたのか、男はため息を吐きながら刀を鞘に納めた。


 「ったく。文字通り水差しやがって」

 「旦那、顔拭けよ」

 「おう。悪ぃな」


 更夜は腰に巻いていた手拭いを外して男に渡す。どうやら男と更夜は知り合いのようだった。

 男は顔を拭いて更夜に手拭いを返すと腰に挿していた煙管を抜き取りくるくると回す。その姿はとても堂々としていて、更夜は男から一歩下がって控えているようにも見えた。そんな大人しい姿は珍しく、何より、わずかにでも雛依の傍を離れている更夜を見るのは初めてだった。


 「更夜君。旦那って、まさかこの人」


 ふんと男は鼻で笑う。

 そして結の前に立ち、にやりと怪しく微笑んだ。


 「俺が破魔屋の主、黒曜だ」


*


 黒曜に連れられて破魔屋の屋敷に入ると、そこは大きな池に朱塗りの社が立ち並んでいる。

 それぞれが住居なのか、ちらほらと人の姿が見える。皆一様にレザーのパンツとジャケットはまるで軍の制服だ。


 「黒曜さんは随分お若いようですけど、主っていう事はご当主なんですか?」 

 「そんなとこだ。つーても俺は依頼請けて仕事を振り分けるだけだけどな」

 「依頼?依頼って誰の何の依頼ですか?」

 「誰のでも何でもだよ。破魔屋は報酬次第で何でもやる店だ」


 ああ、と結は納得がいった。

 破魔屋は出目金と戦える武器を持ってはいるけれど戦闘技術は稚拙だった。逃げ惑う様は戦闘の専門家とはとてもいえない。

 けれど実態が何でも屋なら話は別だ。専門ではなく、何でもやるからやっているだけなのだ。


 「お前も依頼があるなら報酬用意して来いよ」

 「え?鯉屋でも報酬が必要なんですか?」

 「当り前だろ。うちは鯉屋じゃねえ。収入がなきゃやってけねえだろ」


 結は少しだけ眉を顰めた。鯉屋に降らないという事は独立してるという事だが、結はこれを疑問に感じた。

 出目金退治ができるだけで重要な組織である事は明らかだ。僕だったら鯉屋直轄に取り立るけどな、と結は心の中で呟いた。加えて何故紫音がこんな重要事物をフリーにしているのかも気になった。考えがあってそうしてるのか考え無しなのか。


 (無かったらそれはそれで最悪だな……)


 ここまでを見る限り、紫音には経営も政治的能力も期待してはいけない事は分かっている。

 だがそれでも紫音が代表である事には変わりが無く、彼女の誤った判断は鯉屋領地内を左右するのだ。役立つ能力が無いだけならまだしも、善意で足を引っ張られるなら厄介だ。結はしかめっ面をして考え込んだ。


 「何だよ。言いたい事あるなら言え」

 「ああ、すみません。出目金と戦う手段についてうかがいたいんですけど」

 「情報料前払い」

 「……がめついですね。これならどうですか?」


 結は手に嵌めていた布製の籠手を外して差し出した。

 これは紫音がくれた物で、その証拠に生地は鯉屋にのみ許された鯉の鱗柄だ。


 「おま、女が寄越したモン売り飛ばすか?」

 「お好きにお使い下さいって言ってましたよ。これでいいです?」

 「馬ァ鹿。装飾品ごときが情報の対価になるわけねえだろ。ゼロからイチを生む情報は何よりも価値のある商品だ」

 「では分かりやすく言いましょう。それは鯉屋当主と跡取りが下賜した物です。有難く受け取って下さい」


 ピクリと黒曜は右の目じりを揺らした。それと一緒に泣きぼくろも揺れる。

 結は紫音個人の能力には何も期待していないが、鯉屋当主という立場には価値を感じている。何しろ紫音が結様結様と敬い持ち上げ平伏する。おかげで結は今この世界で支配者にも等しい立ち位置を手に入れているのだ。

 黒曜はチッと舌打ちをすると、籠手を奪い取り口を尖らせた。


 「何が聞きたい」

 「有難う御座います。破魔屋が出目金退治を出来るのは何故ですか?」

 「専用の武器を作ってんだよ」


 黒曜は煙管で更夜の刀を指した。

 更夜は腰から抜き出し刀身を見せる。


 「これは対出目金武器の破魔矢。俺達はこれで出目金を殺す」

 「はい。で?」

 「で?」

 「……え?まさかそれだけですか?」

 「あ?他に何があんだよ」


 結の率直な感想は、そんな分かり切った事を自慢げに言うな、だ。


 (武器持って戦えば殺せるの?じゃあ跡取りの価値は遠距離攻撃ができるってだけだ)


 確かに結は放流という儀式で大量の出目金を戦わずして消した。それは確かに特殊能力なのだろう。

 けれど実際どうやったかは自分でも分からないし、もし遠距離攻撃可能な破魔矢が大量生産できたら放流は無意味になってしまう。


 (まずい。跡取りの存在意義がなくなって反乱を起こされたら僕は殺される)


 となれば破魔矢の大量生産は何としても阻止しなければいけないという事になる。


 「これ量産できますか?」

 「できない。俺にしか作れないから無理だ」

 「それは量産設備が整えば可能になりますか?それとも物理的に絶対に無理?」

 「物理的に絶対に無理」

 「分かりました。じゃあいいです」

 「何だよ。アッサリしてんな。作り方教えろとか言わねえの?」

 「量産の可否を知りたかっただけです。大体聞いたって僕には作れないんだからどうでもいいです。お好きにどうぞ」

 「……あン?」


 何様だ、と全員が思った。

 黒曜は露骨に不愉快そうな顔をしているが、口を挟んだのは雛依だった。


 「結様一言多いって言われません?」

 「えっ!?どうしたのひよちゃん!急にそんな可愛くない事言って!」


 いつもの愛らしい雛依から予想だにしない言葉が出て、結はやだやだと言いながら雛依を抱きしめぐりぐりと頬ずりした。


 閑話休題。


 (量産できないなら一先ずはいいけど、今後の事を考えれば破魔屋も僕の物にしたい。この人も握らなきゃ駄目だ)


 結が確実に生きるためには金魚屋と鈴屋、そして破魔屋の三店を掌握しなければならないがそのためには何をしたら良いのか。

 結は一瞬で思考を巡らせた。

 そして鈴屋と黒曜を見てゆっくりと口を開く。


 「はっきり言います。僕は出目金を消すつもりはありません」

 「結様!?何言ってるんですか!?」


 鈴屋の表情は分からないが、黒曜はあまり驚いた様子は無かった。

 驚いたのは雛依で、更夜は口を挟むなとでも言うかのように雛依を抱き上げた。


 「その理由は」


 結が出目金を消したくない理由は三つあった。


 一つ目は自分への影響が分からない事だ。放流をして倒れた具体的な原因かが分かっていない。

 二つ目は出目金が結の存在意義だからだ。

 跡取りが必要な理由は出目金殲滅だ。出目金が消えれば必要なくなる。もし出目金殲滅後に鈴屋と破魔屋が手を組んで、鯉屋を支持しない鉢と共に反旗を翻したら鯉屋側の結は殺されるだろう。だからこそ出目金を消すわけにはいかない。

 だがこれは結個人の話だ。結以外には関係が無いし、自己中心的として悪印象にもなる。

 しかし三つ目の理由。これは鯉屋領地内全員の問題で、結の頭を悩ませる最大の問題でもある。


 「鯉屋領地の外に敵がいます。出目金の巣は外敵の侵入を防ぐ防御壁になっているんです」


 雛依はきょとんと眼を丸くした。

 しかし黒曜はやはり驚かず、更夜は雛依を宥めるようにぽんぽんと背を叩いている。


 「外敵ねえ。そんなモンいるか?根拠は?」

 「紫音さんに幾つか話を聞きました」


 それは、結がこちらに来てすぐの時だった。

 跡取りと言われても何をするものなのかが今一つピンと来なくて、紫音に色々と質問をした事があった。


 「出目金て何匹いるんですか?」

 「生者が恨みを持つ限り無数無限。無数を放流できるのは跡取りのみで、これは魂の理」

 「理?はあ、そうですか。じゃあ自衛隊と警察はどんな規模ですか?」

 「じえいたい?けいさつとは何でしょうか」

 「……え?無いんですか?戦争になったらどうするんですか」

 「せんそうとは何でしょう」


 何だこれは、と結は眉を顰めた。

 人がいる限り必ず争いは発生する。なのに戦争という概念すら無いなんて事があるのだろうか。


 「鯉屋の領地外は何があるんですか?敵国とかいます?」

 「さあ。鉢の外には出目金がおりますので出入りする者はおりません」

 「じゃあ国境付近で事件ないですか?殺人とか失踪とか」

 「まあ、何故お分かりに!?鉢では随分と死者が出ているようです」

 「その犯人どこの国の人か分かりますか?」

 「国?鯉屋の領地内ですのでこの辺りの者だと思いますよ」


 結はそうですか~と優し気に微笑みながら、さあって何だよ、と心の中で苛立ちのツッコミを入れた。

 敵国が侵略タイミングを見計らってる可能性があるのではと結は言いかけて止めた。そんな話を紫音が理解できるとは思えなかったからだ。

 けれど思いの外重要な情報をくれた事には感謝した。この時から結は外敵対策を考え始めていたのだ。


 「ふうん。今度の跡取りは頭が回るようだな」

 「それはどうも。というわけで出目金の巣は現状維持です」

 「それじゃあ鉢の人はどうなるんですか!巣が無くならないとずっとこのままです!」

 「でも巣を駆除して敵が入って来たら真っ先に殺されるのは鉢の人だよ」

 「あ……」


 雛依は愛らしい顔をくしゃりと歪めた。残酷な現実を受け入れるには幼すぎるのだ。

 結は涙を浮かべる雛依の頭をそっと撫でた。


 「見捨てたりはしないよ。鉢を守るためにやらなきゃいけない事をやろう」

 「やらなきゃいけない事って何ですか……?」

 「出目金が守ってくれてるうちに外敵を消す。その後に出目金を消すんだよ。だからまずは外の情報を集めよう。防衛だけでいいのか攻撃に出なきゃいけないのかでやる事は変わって」

 「黒曜様!」


 さて本題と乗り出したその時、ばたばたと激しい足音が響いてきた。

 何だ、と襖の方を見るとがらりと勢いよく開かれ、そこには破魔屋の人間がいた。


 「大変です!出目金が群れで来ました!」

 「ンだと!?」

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