第2話 結が狙う第一の権力者・大店の鈴屋

 「良いのかい?返してしまって」

 「紫音さんがいたらあなたは正しい情報を喋れないでしょうから」

 「おや。僕が嘘を教えるとでも?」

 「はい。だってあなた紫音さんに隠し事をしてるから」


 急に室内の温度が下がった。

 鈴屋の表情は見えないけれど、緊迫した空気を感じ取り雛依はぴゃっと背筋を正す。

 結は雛依に負けじと愛らしく微笑んで、無意味な業務一覧の帳面をぽいと投げ捨てた。


 「隠し事とは何の事だい?」

 「あなたが紫音さんに降っている理由ですよ。鯉屋の経営を握っておきながら独立しない理由」

 「何の事か分からないね」

 「紫音さんに降るのなら僕に降るという事です。僕はやるからには徹底的にやりますよ。まずは属人化の廃止と経費削減。その後は跡取り業務の仕組化と自動化」

 「……へえ。面白い事を言うね」

 「その面白い事の中であなたが降る相手は紫音さんでいいですか?」


 しいんと静寂が走った。

 にこりと微笑む結と表情の見えない鈴屋。更夜は気まずくなってきたけれど何を言ったらよいか分からず冷や汗を流す。

 けれど雛依はこの緊迫した状況が分かっていないようで、こてんと首をかしげて結の着物の袖をつまむ。


 「結様ぁ。僕は何したら良いですか?」

 「ひよちゃんの仕事は僕と仲良くする事だよ!」

 「きゃうっ」


 結は更夜ごと雛依を抱きしめ、ん~っと頬ずりをした。雛依も嬉しそうにきゃっきゃとしている。

 鈴屋はじいっと結を見つめていて、結はクスリと笑って返した。

 

 「では気を付けて答えて下さいね。まず出目金被害が一番大きいのはどこですか?」

 「《鉢》です!!」

 「うわ。どしたの、ひよちゃん」


 答えたのは鈴屋では無く、ぐいぐいと結の袖を引っ張る雛依だった。


 まず、鯉屋領地は円になっていて、大きく三つのエリアに分かれている。

 鯉屋が中心でその周囲をぐるりと囲うのが大店でその外を囲うのが街、そしてさらにその外が鉢だ。

 これらの違いは住人だ。大店は鯉屋に認められた商人で全人口の二割。これがいわゆる富裕層にあたる。街は一般的な収入の人達で、これが全人口の四割ほどだ。

 そして鉢だが、ここは貧困層だ。収入が無くまともな生活をできない人達だが、なんとこれが人口の四割を占めている。

 鉢は家どころか建物もろくに存在しないので出目金から隠れる場所が無い。食べ物も無く弱った身体では立ち向かう事も逃げる事もままならず、襲われたら死を待つのみだ。

 雛依はわんわんと泣きながらその酷さを訴え、落ち着け、と更夜はぽんぽんと雛依の背を撫でてやった。


 「出目金の巣が近いから鉢は大変なんです!どうにかしないと駄目なんです!」

 「巣?巣があるの?」

 「鯉屋領地の際はぐるっと森になってて、そこにうじゃうじゃいるんです!」


 雛依には悪いが、結が気になったのは鉢の被害より『際』という意識がある事だった。

 領地の際というのは国境だ。現世の地図上では線が引かれるが、実際その場で柵が立てられているとは限らず視認できない物だ。この世界もそうではあるのだろうけれど実質出目金が国境であり、つまりそれは領土意識があるという事でもある。

 それがどういう事か考えてるんだろうか。結はちらりと鈴屋を見たけれど表情は面に覆われ知る事は出来ない。


 「結様、鉢を助けて下さい」

 「そうだね。ちゃんと考えなきゃね」


 雛依は涙目になっていて、結がよしよしと頭を撫でてやるとぱあっと嬉しそうに微笑んだ。

 だが結は現状どうにもならないと判断した。何しろ出目金は現世の人間から生まれるわけで、人間は常に増え続ける。

 つまり出目金は無限なのに、それに対峙する跡取りは結一人しかいないのだ。


 (……いや。出目金を消せる人間は跡取りだけだとしても、他の手段があるはずだ。今まで跡取り不在でどうにかなってるんだから。きっと紫音さんは知らないだけ。つまり紫音さんが普段関わらない場所で行われている)


 紫音が関わらない場所といえば経営だ。そして経営を担うのは鈴屋で、鈴屋は金魚と出目金を商品として扱っている。

 それはつまり、危険な出目金を商品にできるだけの安全な運用があるという事だ。


 「鈴屋さん。これ以降の虚偽と隠ぺいは反逆罪として処分します」

 「おや、怖い。何かな」


 雛依は結の強い物言いに驚いたようで、ぴゃっと更夜にしがみ付いた。

 更夜は相変わらず雛依を大切そうに抱きかかえ、怯えさせた結に苛立ったのかぎろりと睨みつけていた。


 「跡取り以外に出目金を消す手段がありますよね。それは何ですか?」

 「……ふふ。そんな凄まなくてもちゃんと教えてあげるよ」

 「聞かなければ答えなかったでしょう。紫音さんに黙っているように」

 「さてね。ではこちらにおいで」


*


 鈴屋の建物を出て、大きな池に点在する小島を渡り歩いた。

 その道のりは結にも覚えがあり、着いた先は鯉屋の地下に隠された薄暗い倉だった。


 「ここ出目金の水牢ですよね。この前僕が出目金を《放流》した」

 「そうだよ」


 放流とは出目金を消す儀式のようなものだ。結は鯉屋に来てすぐこの放流をやっていた。

 しかしこれが結の頭を悩ませた。放流というのは魔法のような呪文があるわけではなく、くるくると回るだけだったのだ。

 それだけなのに、水槽に詰め込まれた出目金達は何とか逃げ出そうと牙を剥き暴れ続けた。しかし次第に肉体がじゅうじゅうと音を立てどろどろと溶けてしまった。まるで酸でもかけられたようなその姿は映画で見るゾンビのようで、結は思わず腰を抜かした。

 見事だと紫音は褒めてくれたけれど、恐怖なのか疲労なのか、その直後倒れてしまい雛依が治療に当たったというわけだ。


 ここで結が考えたのは、跡取りが自分である必要性についてだ。

 仮に結が元々特殊な魔法を使えるのなら結でなければならないだろう。けれど結は魔法使いではないし、なんなら回転しただけで疲れて何もできなかった。

 つまり結は跡取りとして選ばれたのではなく、跡取りの条件に当てはまるのがたまたま自分だっただけ――と考えている。


 (現世の肉体が必要なだけじゃないかな。多分こっちの人は生者と肉体構造が違うんだ)


 しばらく真面目な顔をして考え込んでいると、雛依が不安そうな顔で結の脚にしがみ付いてきた。

 

 「具合悪いですか?この前ここの水槽いっぱいに金魚湯作ったから作り置きがあるはずです」

 「あ、ううん。大丈夫だよ。ありがと」

 「放流は身体への負担が大きいからね。跡取りは自衛手段として使う物があるんだよ」


 鈴屋は土壁に埋められたように作られた小さな扉をくぐった。

 その先に見えて来たのは巨大な水槽群だった。壁一面が水槽で、床にもランダムに積み上げられていて積み木のようだ。

 すると水槽の中で何かが蠢いて、結はぐるりと水槽を見回した。


 「……錦鯉?」

 「そう。これが鯉屋が鯉屋たる所以さ。跡取りの手足となり出目金(たましい)を砕く存在だ」

 「砕くって消せるって事ですか?どうやって?」

 「実際に見るのが早いかな」


 鯉屋は棚に並べられていた出目金の入っている金魚鉢を取り出すと、なんとそれを結に向けて投げつけた。

 結の足元でガチャンと割れると片手で握れるくらいの出目金が飛び出て来て、口を大きく開くとぐぐぐと牙が生えてきた。それは身体に収まっていたとは思えない大きさだ。

 出目金は結目掛けて飛び掛かったが、直後床に転げ落ちる。見ると転げた出目金には錦鯉が食い付いていて、もぐもぐと出目金を食べていた。次第に出目金は動かなくなっていったけれど、あまりにも無残で結は呆然とした。


 「錦鯉は食った出目金を自らの魂で相殺するんだ。食える回数は錦鯉の魂が続く限り」

 「……ふうん。跡取りの自衛手段って事は僕が貰って良いんですか?」

 「もちろんだよ。全て君の、君だけの物だよ」


 結は錦鯉達を見上げた。それぞれ大きさも柄も、よく見れば顔立ちも違う。

 そして結は一匹の錦鯉に目を付けて、出ておいでと声を掛けると水槽から飛び出し結の周りをくるくると泳いだ。


 「よしよし。お前の名前はりんにしよう。臨死体験の臨だよ」

 「わざわざ名を付けるのかい?どうせ死んでしまうのに」

 「この子に出目金は食わせません。対人護衛兼名刺代わりです」


 試しに何匹か連れて行こうかな、と結は様々な大きさの五匹を選んだ。

 雛依はひゃあと驚き更夜の背に隠れたけれど、更夜は特に驚きもしていない。ただ雛依を守るように錦鯉との間に立ちはだかるだけだ。

 結は微笑ましいその姿にクスリと笑いを零した。


 「じゃあ次は本命。破魔屋さんに連れて行って下さい」

 「破魔屋?どうしてだい?」

 「対出目金武器を持ってるからですよ。更夜君の刀、それそうでしょ」

 「へえ。どうしてそう思うんだい?」

 「どうもこうも、ひよちゃんが更夜君は出目金なんてちょちょいのちょいって言ってたし」

 「ふふ。さすがにそのくらいは気付くよね。じゃあ行こうか。少し離れた場所にあるんだ」

 「はい。でもその前に」


 結はぴたりと足を止め、臨とアイコンタクトを取り鈴屋を指差した。

 すると臨は鈴屋に向かって跳ね上がり、首筋に牙を差し込むすんでで停まる。

 これには鈴屋も含めその場の全員が驚き、雛依は目をつぶって更夜にしがみ付き更夜は雛依の目を覆った。


 「初犯という事で僕に出目金をけしかけた事は許してあげます。次はありませんよ」

 「……寛大な措置に感謝するよ、跡取り殿」


 鈴屋は深々と頭を下げ、こちらへと再び外へと歩き出した。


 「ねえねえ。結様って性格悪いのかな」

 「ひよ、あんま近付くなよ」


 雛依と更夜は呆然として結と距離を取っていた。 

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