第1話 死後の世界で生きる方法
結は空飛ぶ出目金から逃げていた。
出目金といっても現世で見る観賞用の小さな魚ではない。一メートル近い巨体に裂けた口から牙が剥き出しになっていて、これが片手では握れないほど太い。しかも見た目にそぐわず俊敏で、中には成人男性が全力で投げるくらいの速度で飛んで来たりする。
日本という平和な国で生きて死んだ結にとって完全な化け物である。
「やー!累のとこに帰るー!」
「お前の兄貴は現世だろうが!戦えよお前も!跡取りだろ!」
「更夜君、一匹そっち行ったよ!」
「くそっ!
更夜と呼ばれた黒い着物の青年は、腰まである長い三つ編みを躍らせながら日本刀で出目金五匹を相手にしている。
だが刀で切るよりまずは殴り飛ばし蹴り飛ばし逃げないように足で踏みつけ、同時に襲ってくる他の出目金を拳で叩き落として刀で串刺しにする。かと思えば刺したまま別の出目金を切りつけるという、端正な顔立ちに反してまったく美しくない野蛮な戦い方だ。
んくっんくっと泣きながらうずくまる結を、雛依と呼ばれた赤い金魚のような着物を着た幼い少年が引っ張り大木の陰に逃げ込んだ。
「結様!大丈夫ですよ!僕が守ってあげますからね!」
「ひよちゃああん!」
結は今鯉屋の領地から出ていた。
何故大切な跡取りである結が鯉屋を離れたのかと言うと、話は数日前に遡る。
*
結が雛依と更夜に出会ったのは鯉屋に入った五日後だった。
その日、結は紫音に連れられて時代劇で将軍が下々の者と面会するような広間の上座に座らされた。
一段下では赤い着物の少年が平伏していて、さらにその後ろで日本刀を抱えた黒い着物の青年が立っている。
結は赤い着物の少年に近付き顔を上げさせると、まだ十歳にもなっていないように見えた。鳥の子色のさらさらした髪と蜂蜜色のくりくり真ん丸の瞳。肌触りの良さそうな上質の羽織は少年が動くと金魚の尾のようにひらりと揺れた。首から下げている小さな鈴も金魚のように真っ赤だ。
「この金魚みたいな子はもしや」
「金魚姫です」
「え、女の子?」
「違います!僕は男の子ですっ!」
「あまりにも愛らしいので皆が金魚屋の姫と呼んでいるのです。雛依、ご挨拶を」
「は、はい!初めまして!金魚屋次期当主の雛依です!この度は恐れ多くも結様のお側仕えを仰せつかまりま――イテッ」
「……可愛い」
「きゃうっ」
礼儀正しい挨拶をしようとしたのだろうけれど、早口言葉になり舌を噛んでしまったようだった。
顔を真っ赤にして慌てふためく様子はとても可愛らしくて思わずきゅっと抱きしめる。すると雛依はさらに顔を真っ赤にしてはわわわと身体を揺らした。
金魚屋当主は跡取りの側仕えになるしきたりらしいのだが、今は当主が不在のため次期当主となる雛依が上がって来たとの事だ。
「金魚屋さんがこんな可愛い子だなんて思っても無かったよ。僕の看病してくれてたって聞いたんだけど」
「はい!《金魚湯》をお持ちしてました!」
「そっかあ。有難う。おかげですっかり良くなったよ」
結は鯉屋に入ってすぐ金魚化を防ぐ薬である金魚湯を与えられたのだが、これを作ったのが雛依だ。
金魚湯は金魚屋にのみ伝わる秘術だとかで、この世界で唯一魂を回復させられる物だという。ただその副作用として強烈な眠気に襲われるため、雛依に会うのはこれが初めてというわけだ。
「後ろの彼も金魚屋さん?」
「いいえ。更夜君は破魔屋さんです。僕の護衛なので結様ともご一緒しますよ!」
「破魔屋?」
雛依は後ろに座っていた黒い着物の青年の腕をぐいと引っ張った。
鯉屋に来て結に礼を示さない人間は初めてだったが、理由はこの青年の尽くす主は鯉屋では無いからだったのだ。
「更夜君はとっても強いんですよ!出目金だってちょちょいのちょいです!」
「へえ、そうなんだ。よろしくね、更夜君」
「ひよ以外とはよろしくしねえ」
「更夜君!めっ!」
更夜は雛依にぎゅうと抱き着いて、雛依は渡さないぞと言わんばかりに警戒した目をして結を睨んだ。
駄目でしょ、と雛依に叱られてしょんぼりする様子はどちらが年上か分からない。更夜は渋々頭を下げて、よろしくと不満げに吐き捨てた。
「結様。もうお一方ご紹介するので参りましょう」
「あ、はい。ひよちゃんも行く?」
「行きます!」
「ひよが行くなら俺も行く」
「よーし。じゃあみんなで行こう」
頑張りますと雛依は意気込んで元気よく立ち上がり、更夜は面倒くさそうにため息を吐いていた。
*
広間から出てさらに外へ出ると、鯉屋敷地内を流れる川が見えてきた。
そこにかかる朱塗りの橋を超えると黒い箱のような建物が見えてきた。朱塗りの鯉屋の中では異質な建物だった。
雛依と更夜も初めて見るのかきょろきょろとしている。けれど紫音は迷いなく歩を進め、結がこの世界で初めて見るドアノブに手を掛け中へと入って行った。
「鈴屋様。結様をお連れいたしました」
「ん?ああ、早かったね」
鈴屋と呼ばれて振り返ったのは、顔をすっぽりと隠すほど大きなフード付きのマントを被った狐面の男だった。
体格を見る限りおそらく男だとは思うのだが、マントに隠されているので断言はしにくい。声も妙に高いので女性と言われても納得できてしまう。男ですか女ですかと聞くのは憚られ、後で紫音に聞くことにした。
「僕は鈴屋。鯉屋の大店を取り仕切ってる」
「棗結です。大店ってそのまま商店ですか?」
「商店街だね。出店したい人間は鯉屋に利用料を支払い店を開く」
「不動産収入?魂の世界も商売するんですね」
「もちろんだよ。鯉屋の直営商品は金魚と出目金だ」
「……ん?金魚と出目金って魂ですよね。売買するんですか?」
「そうですよ!金魚も出目金も金魚屋に集まるので、僕が鯉屋様に納品するんです!」
「えー……」
ここぞとばかりに雛依はぴょんぴょんと飛び跳ねた。
羽織がひらひらと金魚の様に揺らめいて可愛らしいが、言っている事は結に衝撃を与えた。
(それって輪廻できるかは金魚屋次第って事では?)
もし金魚屋が業務放棄したら鯉屋に金魚が入って来ない。輪廻させる金魚がいなければ鯉屋は何もできない。
ただでさえ雛依が金魚湯をくれなくなったら結は金魚になってしまうというのに、金魚になった後も雛依次第となると、結の命は雛依が握っているも同然だ。
(確実に生き残るには金魚屋を掌握しないと駄目だ)
となると金魚屋の全権を取り上げる必要がある。ならば当主のいない今が好機だ。
だが、この世界の常識すら分からない現状で魂の管理は手に余る。しばらくは指示通り動く下請けでいてもらい、いずれ結自身が金魚屋当主になるか、絶対的に結の味方である人間を派遣するのが妥当だろう。
だが鯉屋にどんな人員がいるのかすら分からない以上それもできない。
結がそんな事を考えていると、鈴屋は何冊かの本を取り出した。
「大店に興味あるかい?出展が多いのは衣類で」
「それよりも従業員の勤務状況を知りたいです。業務の一覧はありますか?」
結は鈴屋が出してくれた本をぽいっと退けた。鈴屋の言葉を遮って自らの要求を突き付ける結に、紫音と雛依はぽかんと口を開ける。
鈴屋の表情は見えないが、すぐに一センチメートルほどの厚さがある和綴じの帳面を取り出した。
その中には鯉屋の業務が書き連ねられていたが、金管理係りに金勘定係り、商品の個数数え係り、片付け係り……職種と言うにはほど遠い記載がされていた。
「……何ですかこれ。この雑用係って何ですか?何の雑用です?」
「さてね。こんなに大勢いたら誰がいるのか何をしてるのかまで見ていられないよ」
「え?それ採用基準と人件費どうなってるんですか?最新の従業員名簿見せて下さい」
「無いね。欲しければ作ると良いよ。交流ついでにやってみたらどうだい?」
何だそれ、と結は呆れてため息も出なかった。
「紫音さんはどの程度把握してますか?」
「私は何も。経営は全て鈴屋様にお任せしておりますので」
「全て?じゃあ紫音さん何もしてないんですか?」
「おや、君は何を言ってるんだい?彼女の微笑みが僕らの糧。微笑んで歩く事が仕事さ」
「……ああ、そうですよね」
結は呆れ果てた。つまり紫音は看板娘でしかなく、実権は何も持っていないという事だ。
現世なら跡取りといえば経営を行うのだろうが、鯉屋では本当に出目金を退治するだけの役職名に過ぎないのだろう。
(じゃあ跡取りになっても僕の生活は保障されない。金魚屋とこの人も握らないと駄目だな……)
結はそう判断すると、紫音を振り返りにっこりと微笑んだ。
「紫音さん。僕このまま鈴屋さんとお話するので先に戻ってて下さい」
「承知致しました。雛依、更夜。行きますよ」
「あ、ひよちゃんは僕と一緒にお勉強」
「きゃうっ」
結がひょいと雛依を抱き上げると、慌てた更夜が乱暴に奪い取る。ふうふうと威嚇する姿はまるで黒猫だ。
「ひよが残るなら俺も残る」
「うん。好きにしていいよ」
「では私は失礼致しますね。何かあればお声掛け下さいませ」
そう言うと紫音はすんなりと立ち去った。
跡取りを一人にできないとか何とか言いそうな気がしていたが、そこは随分とあっさりしている。
(跡取りを招待したらお役御免なのかもね。ふうん……)
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