最後の封印 一
突如、幾度となく再生を繰り返し、その首を落としても尚動き続けた四方に生まれた異形は、ある時を境にピタリと動きを停めた。
その巨体を唸らせていた姿は消え、静かにその場で眠りにつく。
四凶との闘いに明け暮れていた者達は、驚きながらも白き鳥の知らせを受け、新たなる夜明けを知る。
静まる山々に冠る白雪に鮮血の色濃く遺し、戦いの終焉を告げた。
◆
丹省
「静瑛殿下!!」
静瑛は、一人眼前に転がる巨体な異形を見上げていた。つい一刻前まで死闘を繰り広げていた相手は沈黙し、静かに瞼を閉じ眠りについた。
死んではいない。皇都からの連絡を聞いても尚、静瑛は再び饕餮が動き出しそうで一時も目を離せなかった。
そうしている間に再び知らせが届くも、静瑛は
「静瑛殿下、志鳥です」
「ああ」
単調な返事は、赤髪の男へと目を向ける事もなく手を差し出しす。男も未だ解けぬ緊張を前に、志鳥を差し出す。
無垢なる白い鳥は、果たして何を告げるか。静瑛の手に渡った志鳥は嘴を動かし始めた。静瑛にとっては、慣れない声で。
『霊宝天尊より姜静瑛へ告ぐ。四凶は一時的に封じられ、現状問題は取り除かれた。これより最後の封の為に必要な手順を行う為、至急皇都に戻れ。これは、皇帝の代理としての声である』
静瑛は、言葉を聞き終わるよりも前にその眉間にはしっかりと皺が寄っていた。
六仙が今になって姿を現した事、何を持ってして問題は取り除いたと判断したかを説明を省いた事、そして皇帝の代理として静瑛を強制送還しようとしている事、全てが訝しむ要因を強めていた。
「殿下、」
声は、届いた本人にしか聞こえない。白玉を管理していた男は静瑛の顔が曇り行くことに懸念してか、静瑛の顔色を伺って少々しどろもどろに言葉が続かない。
「……一時的だが、
静瑛は重苦しい声を思い出して、溜め息を吐く。異常は終わったと思えば良いのか、それともまだ何か続くのか。それすら伏せられた状態の中、皇都があるであろう南の空を見上げる。
「直ぐに立つ準備を」
「承知しました」
赤髪の男が視界から消え、静瑛の視線は再び饕餮を突き刺した。
完全に沈黙を続ける饕餮を封じたと言い切った霊宝天尊は何を根拠として言ったのか。静瑛に不安が過ぎる。何故、霊宝天尊が皇帝代理を名乗っているのか。
饕餮から目を離す不安と同時に、全く違う底知れぬ胸騒ぎにかられていた。
◆◇◆
静瑛は皇都に戻るなり、驚きの連続だった。
兄が目を覚ました事や、同じく四凶と闘っていた者達が無事に戻ったことには安堵が出来た。
が、兄の従者である女の右半身の変化や、父や異母兄を含む姜家が全て死亡した事実。更には神子燼の死と現実味のない知らせばかりで静瑛は全て嘘ではないのかとすら考えてしまう程に混乱した。
最たるは、神農の封印だった。
戸惑いの連続で、静瑛は考えを整理する時間が必要だった。だったのだが、その時間が与えられる事はなく次なる現実を突きつけられる事となる。
◆
一人欠けた六仙は、一堂清白の間に集う。一つ空いた円卓の席の主は、今は深き眠りの中にある。目覚めさせる事は叶わず、今は更なる封を施さんとする為に準備をせねばならなかった。
その前に六仙は、祝融と静瑛に
祝融と静瑛は二人、跪く。冷たい床は静瑛の心情を映している様で、冷やりと染みる。
何を言われるかの察しはついていた。しかし、その言葉を向けられる相手は恐らく兄である。
皇族として破綻した状況でも、血は残る。皇位の正当な順位で言えば祝融の継承権は第十位であり、静瑛は十一位だ。
千二百年に渡り、玉座は神農一人のものだった。
それが、覆る。
国が動く瞬間であると同時に、崩れかけた国を復興させる役目を負う。その重責を兄に背負わせるのか。それを思うと静瑛はどう先を見据えれば良いかが、まるで霧中を彷徨う気分だった。
何よりも、何も語らぬ兄の心情すら知る由もないのが一番の気掛かりだった。
祝融は、皇都に戻った静瑛に淡々と状況を語ったが、自らの思惑は何一つとして口にしなかった。感情を捨て、殺伐とした表情だけが残る。余裕がない様にも見えるが、その実、一人何かを決意している様でもあった。
そして、今もその表情のまま静瑛の隣で跪き、六仙の言葉を待っていた。
待ちに待った声が届いたのは、静瑛達が膝を突き間も無くの事だった。
「伏犧神が悪神となると、神農も我々も予測はしていた。だが、いつかは元のお姿に戻ってくださるのではないのかと願ってもいた」
霊宝天尊は、厳しくも目を伏せて遠き過去に置き去りになった記憶を思い出しながら小さく語る。
「凶禍を長引かせてしまった件に関しては、我々の落ち度だ。元より、覚悟はある。これが、我々の最後の仕事となるだろう」
六仙の誰しもが霊宝天尊の言葉に同調もなければ、異を唱える事もない。ただ互いに、目も合わせず其々の決意の中にあるのだろう。
「力は蓄えた。後は、最後の封を決行するだけだ、が――」
その前にと、霊宝天尊の目がそこに来て確りと見開かれ、跪く祝融と静瑛の身姿を確りと捉えた。
「姜祝融、姜静瑛。神農の血より、最も近き者達よ」
霊宝天尊は静かに語る。今となっては分家を除けば残された血は、二人のみであり、まざまざとその血の重みを思い知らされる。
静瑛は祝融の隣で語りかける声に耳を澄ますだけだった。
「玉座をいつまでも空けておくわけにはいかない。姜祝融、覚悟はあるな」
祝融は、許しもなく立ち上がる。
霊宝天尊は考える間も無く、祝融の出立ちを一瞥した後に口を開いた。
「姜祝融。其方を焔皇国第二代皇帝とする」
決意は、既に手を下した時には決まっていたのだろう。一間も置かずして、祝融は口を開く。
「拝命致します」
清白の間に違わぬ、澄んだ声だった。其の堂々たる出立ちは、確固たる信念がある。霊宝天尊は祝融を見定めるまでもなく、其の視線を隣へと移した。
「そして、姜静瑛。其方を右丞相へと任命する」
残り二人となった兄弟に、国という重石がのしかかった。
静瑛は現実に浸るよりも前に降り注いだ言葉を前に躊躇うも、跪いたまま応えた。
「拝命……致します」
静瑛の機微など、霊宝天尊に届かず……恐らく、祝融にすら届いていなかったかもしれない。誰もが冷然とその状況を受け入れているそこで、静瑛だけが遺物の様に取り残されていた。
「後は、
意味深な言い回しに、静瑛の肩が揺れる。まだ全てが終わっていないという状況と、これから降りかかるであろう重責を前にして顔を上げそうになる。
その僅かな動揺は、錚々たる顔ぶれに即座に見抜かれた。静瑛を射抜かんとする視線が幾つも重なる。
「祝融や、静瑛に何も説明しておらんのか」
女の嫌に艶のある声が、静瑛の身体を這いずり回る。その視線だけで艶かしくも絡め取られ、静瑛は動じる事も許されなかった。
「……未だ」
祝融がその日初めて見せた変化だった。後ろ暗いのか、言い淀んだ口調が生々しいまでに真実を物語る。
知りたくもない何かがそこにある。静瑛は、誰にも口にして欲しくはないと願ったが、無情にも
「では、これから何が起こるかも、己が手で神子燼と神農の首を落とした事もまだ言うてはいないのか」
――何を……
静瑛は床の冷たさも忘れ、鼓動の音が全てを打ち消す。顔を上げろ、そう言われ静瑛は腕に力が入らなかった。
感情などと言うものを捨て去った会話に、祝融が一度「ええ」と惑いなく答える。
静瑛は恐ろしくも兄を見上げた。皇帝として拝命をした瞬間、兄は跪く必要は無くなった。
決して傲慢な人物ではない。それは静瑛のよく知るところだった。
けれども、見上げた兄のその目が、覚悟などという言葉が生温いまでに狂気を孕んでいる様で、静瑛は目を合わせる事に遅疑が生まれ不覚にも再び目線を床へと落としていた。
奇しくも、静瑛が初めて兄を畏れの対象として見た瞬間でもあった。
そう、例えるならば、神威にも似た畏怖を――
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