最後の封印 二
焔歴千二百十二年。
炎帝神農の御代が終焉した。
千二百年の安寧を齎した神農の最後は、その身を持ってして突如始まった陰なる気を、一族と共に鎮める為に尽力したとされた。それにより、遂に寿命を迎え後世へと繋ぐ。
皇位継承は第八皇孫が次代の皇帝として、神子瑤姫により略式の拝命式及び即位式が執り行われた。
神の言葉により、祝融は叔母である聖人と同格となった。その姿に瑤姫は薄らと微笑むも、哀しみの色が瞳の奥に色濃く残る。
己が神の所業故か、それとも現状の伏犧神を嘆いてか。
式典の間、必要事項以外に二人が話をする事はなく、瑤姫は最後に袞衣を纏う祝融に対して「吉兆なる御代をお祈り申し上げます」と他人行儀に零した。それが精一杯の言葉だったのだろう。
彼女もまた、姜家の生き残りの一人なのだ。
儚げで今にも消え入りそうな姿を最後に、瑤姫は式典を後にした。
伏犧神は最後に六仙に向かって放った言葉。『お前達まで裏切るのか』と。
その真意を知る術はなく、神子瑤姫も語らないだろう。
華美絢爛なる場こそ設ける事こそなかったが、其の日、祝融は新たなる名を名乗る。
焔皇国第二代皇帝、その名も
そして、赤帝が妻、皇妃槐は皇后位を賜る。実に五百年振りとなる皇帝皇后両名揃っての在位であった。
その日の内に、皇宮敷地内広場にて二人の披露目があった。
皇位にのみ許された高みで、皇帝皇后共に玉座に座る。
都は荒れ、今も修復は進んでいない。されど、神農が命を賭して都を救い、新たな皇帝の誕生により広場に集まった民からは喝采が起こった。
唐紅の御旗が風に揺れ、その権威が今もあると知らしめる。その意に応え、民もまた其の色に近き赤い布を大手と共に振った。
暗い都が活気に溢れ、これからの未来に希望を抱いて新たなる皇帝と皇后をその場にいた誰もが祝福していた。
華々しい門出となった景色を前にしても尚、祝融の心中は仄暗いままだった。未だ休まる事のない心中を誰に晒す事もなく、腹の底に溜め込んでいる。そう、共に国を背負う事になった妻にすら――。
ふと、共に国を背負う事になった槐の横顔に目を向けた。
否応なしに、その位に就く事になった槐を慮る余裕はなく、転がる様に皇后位を賜った妻の想いを祝融は知らない。祝融は全てが終わった後、槐に己が皇位を継ぐ可能性があると伝えただけだった。其の時も、言葉に槐は頷くのみ。
そうして、正式に六仙から拝命を受けてからというもの、互いに意思疎通を図る余裕はなく今日を迎えた。
皇妃となった其の時から違えぬ美麗のままの妻は、豪奢に姜家の唐紅の色を着飾り、柔らかくも民衆へと笑顔で手を振る姿は美しい。
「槐――」
民衆の声に掻き消えそうな囁きで祝融は妻の名を呼んだ。それでも、槐は其の声に反応し祝融へと振り向く。
いつもより濃い紅の唇が、ふっと民衆へ向けるものとは違った笑みを溢す。それは国母ではない、妻としての顔だった。
「不安は無いか」
今更な言葉ではあった。今更後戻りも出来ぬというのに、祝融は今、尋ねずにはいられなかった。
「不安です」
槐は実直に答えた。されど、瞳は寸分の曇りはなく、澄んだ眼差しのまま祝融の手を取った。
「不安は皆同じです。きっと、今不安を感じていない者などいないでしょう。祝融様が皇帝位を迷いなく拝命したのは、民の心中を思っての事でしょう? でしたら、私にも其のお手伝いができます」
祝融と違って真直に言葉を紡ぐ槐の姿は、再び聖母の如く柔らかい笑みを浮かべていた。
「今まで私は、待っている事しかできませんでした。でも、これからは祝融様と共に私も肩を並べる事が出来る」
繊細な見た目とは裏腹の力強い言葉に、祝融は細っそりとした其の手を握り返した。
「……不甲斐ない夫は俺だな」
祝融は、逞しい姿を見せた槐とは反して弱々しく俯く。
「何か、別のお考えが有るのですか?」
「いや、槐の言った通りだ。今は国には道筋が必要だ。俺が皇帝位に着く事は一筋の光明となるだろう。だが、俺は――」
民衆の声に、祝融の言葉は掻き消えた。が、槐にだけはしっかりと届いたそれに、槐は目を見開く。
どう言葉を返すかも槐には検討もつかず、戸惑っている間に祝融は槐の手を優しく撫で宥めていた。気がつけば、祝融は再び民衆へと手を翳して笑みを取り戻している。槐も釣られて民衆へと目を向けるも、取り繕った笑みを浮かべ、胸中はざわめき続けていた。
『俺は、国にとって悪疫にしか成り得ないんだ』
確かに、祝融はそう言った。祝融の真意は如何なるものか、見定める事が出来ない。
◆◇◆
皇帝皇后の披露目の日、最後の役目を果たす為に東王父、西王母、原始天尊、道徳天尊の四名は霊宝天尊を皇都へと残し、其々が自らの封印の地へと旅立った。
四凶は全て、龍人族総出で其々の封印の地へと運ばれている。四凶の肉塊に残った力を利用して、さらなる人柱で封印を強化する事となった。
その柱こそ、六仙であった。
東の豊邑山には東王父。
西の高麗山には西王母。
南の崑崙山には原始天尊。
北の不周山には道徳天尊。
それぞれの山の山頂に、四凶を置き、六仙がその地に舞い降りたという知らせが皇都に届いたのは、式典から四日が過ぎた頃だった。
その日、鳳凰の間には赤帝の名の下に集められた面々は全て、薄暗い顔色で濁っていた。これから行う儀式は非道徳的とも言えたが、他に手段はなく腹を括っているが内心決めきれずにいる、という状況でもあったのだろう。
あの日――神子燼の死と、神農の封、そして姜家の惨劇が嘘の様に鳳凰の間は何事もなく整然として、全ての出来事が夢ではなかったのではないのかと思わせる。が、鳳凰の間の中央に置かれたものが無ければ、だろう。
鳳凰の間の中央には、棺にも似た黒漆の木箱が大小二つ並んでいた。どちらにも、それぞれ独立した封印がかけられていたが、時折人の鼓動に似た脈打つ音が箱からは鳴り響いていた。
大きい方には神農の本体が、小さい方には神農の首が其々納められている。それを知った面々の顔色がより濁ったのは当然と言える事だろう。
禍々しくも、胴から首が離れても尚生き続ける肉体は、無死の神髄と言えるやも知れぬ。
祝融は、
集まった面々も同じく軽装な上に、その中でも五人は腰にはしっかりと帯剣している。
風鸚史、黄軒轅、解洛浪、姜静瑛。そして、赤帝祝融の五人。その五人は五星を描いて中心となる者達を囲んだ。
中心には最後の人柱、霊宝天尊が二つの棺と共に中心となり、峻厳な様相で構えていた。
その霊宝天尊を涼しい顔をした
その四人もまた、人柱であった。
東西南北に位置した四方。華林、媚嫻、青娥、そして――王扈。
「
霊宝天尊は躊躇いもなく宣った。まるでこれから何が起こるかを忘れている様だった。
「では、霊宝天尊。御頼み申し上げる」
五星の一角を担っていた祝融も、威風堂々と物申す。
「赤帝直々の言葉、確かに受け取った」
中核たる霊宝天尊が手を合わせた。
それを合図に、鳳凰の間の全員が、同じく手を合わせる。
第一の封印は、神農の肉体直々に。
第二の封印は、神農の首を切り離す。
第三の封印は、神格に近い人柱を用いて悪神の力すら利用して全てを封じる。
バチリ、バチリ、――
神子四人の祝詞が始まりを合図に神血なる力が流れ始めた。
激しい閃光に混じって、青い稲光が床を伝う。
伏犧神の最後の抵抗か。青い稲光は封じられているからか弱々しい。薄弱とした神威を前にして、誰一人、動揺もない。
閃光は次第に大きく強くなる。霊宝天尊と神子達の姿が光の中へと消えてゆくと共に、その気配は全てが混じり合っていく。眩いばかりの白光はいつしか鳳凰の間を包み込み、その封印の強さを知らしめた。
皇都の封印が終焉へと向かうと共に、四方の封もまたそれぞれ光を放っていた。白く、神々の威光とすら見間違える程に神々しく五つの光は、天へと柱となって伸びていった。
そして、封印の完成と共にその光は消え、人柱となった者達封印の一部となり姿形を失ったのだった。
その日の出来事は、後に『陰影の氾濫』と名づけられ、神農を含む六仙と神子四人。そして、赤帝を主導とした四人の功績として焔歴の終盤の物語として今も紡がれ続けている。
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